2500年にわたって読み継がれる兵法書『孫子』。ソフトバンクグループ会長兼社長の孫正義氏が愛読書にあげるなど、IT業界では必読書とされている。『最高の戦略教科書 孫子』の著者で中国古典研究家の守屋淳さんが、『孫子』を愛読書にあげる各界のリーダーにその活用法を聞く連載第2回は、クリエイティブプラットフォームnoteのCXO(チーフエクスペリエンスオフィサー)でインタラクション・デザイナーの深津貴之さん。深津さんが選んだ『孫子』の好きな言葉は、「兵は拙速を聞く」。その意味とは?

守屋淳さん(写真左)と深津貴之さん
守屋淳さん(写真左)と深津貴之さん
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カードゲームで勝つために『孫子』を活用

守屋淳・中国古典研究家(以下、守屋) 深津さんはnoteのCXOとしてご活躍されていますが、noteとはどのような会社なのでしょうか。

深津貴之(以下、深津) 私達はnoteを「クリエイティブプラットフォーム」と呼んでいます。世間一般のイメージで言う、ブログに近いものです。ただ、記事だけでなく、記事や短文、音声、画像、漫画、動画など、クリエイターが様々なコンテンツを発信できる総合プラットフォームです。

 会社としてのミッションは「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする」。noteは日記やレシピ、思いつきのメモなどまでを含めて、クリエイション(創造物)の範疇(はんちゅう)と考えています。インターネット全体で、人々が思ったことや感じたことを、気軽に発信できるようにすることを目指しています。

守屋 ブログが進化したようなイメージでしょうか?

深津 そうですね。ブログの進化形とも言え、漫画家や音声クリエーターなど、従来のブログでは参加しづらかった人々も取り込める、より包括的なプラットフォームです。創作活動を継続できるよう、コンテンツ販売、マガジン形式のサブスクリプション、ファンクラブ機能、イベント開催支援などの仕組みも提供しています。

深津貴之さん
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深津貴之(ふかつ・たかゆき)
サービスデザイナー
大学で都市情報デザインを学んだ後、英国にて2年間プロダクトデザインを学ぶ。株式会社thaを経て、Flashコミュニティで活躍。2009年の独立以降は活動の中心をスマートフォンアプリのUI設計に移し、株式会社Art & Mobile、クリエイティブファーム「THE GUILD」を設立。現在はnote株式会社や弁護士ドットコム株式会社のCXOを務めるほか、横須賀市のAI戦略アドバイザーなど、領域を超えた事業アドバイザリーを行う。共著に『 ChatGPTを使い尽くす! 深津式プロンプト読本 』(日経BP)などがある。

守屋 深津さんはnoteのCXOということですが、どのようなお仕事をされているのですか?

深津 CXOはチーフエクスペリエンスオフィサーの略で、ユーザー体験の最高責任者です。「ユーザー体験」と言うとフワっとしてしまうのですが、noteにおいては、クリエーターが創作を始めやすく、続けやすく、挫折することなくマネタイズなどのゴールまでたどり着けるよう、全体のバランス調整を設計する役割です。

 実質的には「何でも屋さん」ですね。アプリケーションのインターフェースを作って、エコシステムを作って、プラットフォームをグロースさせて、みたいに全部を薄く広く見ています。

守屋 そんな深津さんは、今から2000年以上も前に書かれた『孫子』がお好きだと伺いました。最初に読んだきっかけと、そのときの感想を教えてください。

深津 最初は深く考えていたわけではなく、『三国志』の影響でした。横山光輝の漫画やNHKの人形劇、吉川英治の小説、そしてゲームなど…。私は46歳なので、NHK人形劇だと再放送世代ですね。小学生の頃は横山光輝版の『三国志』のアニメも放送されていました。関連したゲーム、例えば『信長の野望』や『三國志』シリーズなどもはやっていましたね。そういった『三国志』関連のコンテンツで『孫子』が引用されているのをよく見かけて、自然と関心を持つようになりました。最初に読んだときは、正直よく分かりませんでした。必殺技やノウハウが羅列されているような印象でしたね。

守屋 それがどのようにして、深津さんに「刺さる」ようになったのですか?

深津 きっかけは少し特殊なのですが、中学・高校時代に流行っていた『マジック:ザ・ギャザリング』などのカードゲームです。これらのゲームには、テンポ、バリュー、アドバンテージといった概念があり、『孫子』と通じるものを感じたのです。

 例えば、テンポは現在の盤面で優位に立つための戦術、バリューは長期的な視点で効果を発揮するカードの価値、アドバンテージは手札の枚数や盤面の状態、使用可能なコストなど、様々な要素で優位性を示す概念です。これらの概念を学ぶ中で、以前に『孫子』で読んだ内容と重なる部分があることに気づきました。

 カジュアルにプレイする層と、競技としてプレイする層では、戦略の深さが大きく異なりますが、カードゲームの世界には、『孫子』に通じる概念が数多く受け継がれています。

守屋 最近の若い人は麻雀(マージャン)をあまりしないため、戦略的な思考力が低下しているという指摘を聞いたことがありますが、カードゲームはそれに代わるものなのかもしれませんね。

孫正義さんのお薦めでIT業界では必読書

深津 確かに、種類によってはかなり高度な戦略が求められますね。このような経験を通して、『孫子』の理解が深まり、ビジネスにも応用できるようになりました。ビジネス書でも『孫子』が引用されることは多く、IT業界では孫正義さんが「『孫子』読めよ、すごいよ」と推奨していることも影響しています。もともと読んでいたこともあり、孫さんの言葉に共感し、改めて読み返すようになりました。

守屋 ああ、やっぱり孫正義さんの影響って、すごいんですね。深津さんはnoteで「孫子の兵法の現代語訳」も連載されていて、途中で止まっていますが、完結はしないのでしょうか?

深津 新型コロナウイルス禍中に執筆していたのですが、忙しくなり中断してしまいました。実は一度、書籍の企画書を出したこともあったのですが、それも頓挫してしまいました。当初は図解入りの解説書のようなものを考えていましたが、すでにnoteで公開している内容で十分だと感じ、そのままになっています。

守屋 とてもセンスの良い現代語訳で、ぜひ書籍化してほしいです。砕けた言葉遣いで翻訳するのって、すごくセンスが問われるんですよね。作家の高橋源一郎さんが『 一億三千万人のための『論語』教室 』(河出新書)という本で、『論語』をかなり砕けた口調で訳していて、抜群の面白さと解釈の深さにびっくりしたことがありますが、深津さんの『孫子』現代語訳にも、同じことを感じました。

深津 私は研究者ではなく、あくまで趣味で『孫子』を学んでいます。実用面での経験、特にカードゲームでの戦略的な思考を通して得た知識が、私の解釈に反映されているのかもしれません。カードゲームは、戦争に比べて短い時間で何度も試行錯誤できるので、孫子の教えを実践的に学ぶのに最適です。

守屋 翻訳する際に心がけたことはありますか?

深津 わかりやすく説明するために、『孫子』が具体例を用いている部分に引っ張られすぎないように気をつけました。もともと、孫子は抽象的な概念を言いたくて具体例を持ち出したはずなんです。だから読者が逆に具体例に引っ張られると、それが見えなくなってしまう。例えば「火攻篇」に出てくる火攻めは、現代では役に立たないように思われがちですが、重要なのは火攻めを通して何を伝えようとしているのかを理解することです。「用間篇」なども同様です。つまり、具体例の一段上の抽象的な概念を捉えることが重要だと思うんです。

守屋 一段上に抽象化するって難しい作業だと思いますが、何かコツはありますか?

深津 私はプログラミングの経験が役立っていると感じています。プログラミングは、現実世界を抽象化してシステムとして表現する作業です。常に現実を抽象化して捉える訓練を積んでいることで、抽象化能力の基礎が鍛えられましたね。

守屋 プログラミングにも、すごい名人と、そうでない人がいるみたいですけど、その差はどこにあるのでしょうか?

深津 具象化しかできない人は、課題Aを解決するためにA専用のプログラムを作成します。しかし、抽象化能力の高いプログラマーは、AだけでなくB、C、Dにも応用できる汎用的なプログラムを作成します。

 例えば「AI(人工知能)でトラブルが起きた、どうしよう」という場合に、普通に素直なジュニアが作ると、カスタマーサポートの問題ならそれ向け、製造工程の問題ならそれ向けと、全部個々別々の問題として捉えちゃうんですね。もう少し上級で抽象化できる人になると、AIのリスクが確率ですべて集約できるなら、保険金と証拠金を積んでおけば全部解決できるんじゃないか、みたいなことを考えます。

 これはあくまで例で、本当はもう少しデリケートな対策がたくさん必要なんですけど、複数の問題を1つのシステムで解決できるかどうかが、プログラマーの能力を分けるポイントです。これは俯瞰(ふかん)力やメタ認知力と似ています。

守屋 前回、この連載の1回目で保手濱彰人さんと対談した際にも、『孫子』のすごさは俯瞰力にあるという話になりました。プログラミングにおける俯瞰力と共通する点が多いですね。

深津 私はnoteでエコシステムを構築するという、まさに俯瞰的な仕事に携わっています。noteのミッションである「誰もが創作をはじめ、続けられるようにする」ことは、『孫子』の最重要事項である「道」と重なります。そこは、メタ認知と相性が良い仕事をしているところがあるのかもしれません。

孫子のエッセンスは「不確実性の最小化」

守屋 深津さんが好きな『孫子』の言葉は何ですか?

深津 「彼を知り己を知れば百戦殆(あや)うからず」と「兵は拙速を聞く」です。「兵は拙速を聞く」のほうは、IT業界にも似た言葉として、「Keep it simple, stupid」や「Done is better than perfect」、つまり大規模開発してすごいサービス作るよりも、1日目にプロトタイプ作って、4日目にボロボロでもいいから出すほうがいい、という考え方があります。

守屋 「兵は拙速を聞く」は、「とにかく早く消耗戦は終わらせろ」という解釈と、「チャンスがあれば少々準備不足でも行け」という解釈があるのですが、深津さんは後者をとられているのですね。孫子の教えとIT業界の価値観には共通点が多いですが、これは何か理由があるのでしょうか。

「孫子の教えとIT業界の価値観には共通点が多い」と語る守屋さん
「孫子の教えとIT業界の価値観には共通点が多い」と語る守屋さん
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深津 私の解釈では、『孫子』の重要なエッセンスは「不確実性の最小化」です。予測できないこと、コントロールできないこと、判断できないことをいかに減らすかが重要です。IT業界も、どうなるか分からない要素が多すぎて、しかも先の未来になるほど予測が不確定になってしまう。そんななか数年かかるような大規模開発は嫌うべきであって、中途半端でも数日で世に出して、1週間後には当たる技術か否かが分かって、不確実性を排除できるほうがいいわけです。

守屋 戦争って、敵も味方も手探りで、お互いモヤモヤしているような状況じゃないですか。『孫子』は、それならこちらのモヤモヤは減らして、相手のモヤモヤを極大化させちゃえみたいな感じですね。

深津 要は、攻める側は「ここを攻めるぞ」と1カ所に収束して決められるけど、守る側はどこから敵に攻められるか分からず、すべてに張らなければならないので、コストが高くなる。なので、自分でルールを決められる側になるべきなんですよね。

 実際、それをやっているのがAppleやGoogleで、他の会社はどこから来るのか分からないので全方向投資しているのに、AppleやGoogleは自分たちでルールを決めて、隠れて1カ所に投資をやって、3年とか5年たってバーンと出してくる。ルールを決めることで、自らの不確実性を減らし、相手の不確実性を増やせるんです。

 IT業界は「座組」、つまり現場の頑張りとか工夫に依存せずに勝つ状況を構造化することで、勝負がついちゃいますからね。もう現場がどう頑張るとか関係なく勝ちます、みたいなことです。

 日本で一番分かりやすい例が、Yahoo!とLINEの「ペイペイ合戦」。孫さん側がありえない金額出して、ゲームのオッズ上げて、「みんなに数百億配ります」みたいにしたので、他の似たことをやっていた小さな会社はみな対抗できなくなった。LINEもオッズが上がって、体力的に戦うのが現実的でなくなり、結局は合体しちゃった。あれは『孫子』に書いてあることを全部やっていて、やはり「孫さん、すごい」と思います。

守屋 深津さんが引かれていたのは、『孫子』の「虚実篇」にある、「我は専にして一となり、敵は分かれて十となれば、これ十を以ってその一を攻むるなり」「人を形せしめて我に形なければ、則(すなわ)ち我は専にして敵は分かる」という、いわゆる「各個撃破」の教えですが、孫正義さんは本当に見事な兵法の使い手なんですね。

(後編に続く)

「AppleやGoogleは自分たちでルールを決めることで、自らの不確実性を減らし、相手の不確実性を増やしている」。これは『孫子』の「各個撃破」の教え
「AppleやGoogleは自分たちでルールを決めることで、自らの不確実性を減らし、相手の不確実性を増やしている」。これは『孫子』の「各個撃破」の教え
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写真/尾関祐治

孫子本ブームの火付け役となった“赤本”

読者が自らのビジネスや生き方に実践していくために、『孫子』がそもそも何を問題とし、何を解決しようとしたのか、前提条件がまったく違う現代でも本当に役立つのかという観点から、分かりやすく解説。ビジネスだけでなく、スポーツや人生のさまざまなシーンで活用できる「負けないための戦略」を数多く紹介しています。

守屋淳著/日本経済新聞出版/1980円(税込み)