その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は中野信子さんの『 ロンドン紳士と脳科学に学ぶ 品格のあるマウントのとり方 』です。
【はじめに】
野蛮な「猿山(サルやま)」を、優雅な「ティーパーティ」に変えるために
「私はマウンティングなんて下品なことには興味ありません」とエレガントに微笑(ほほえ)む貴方(あなた)。お言葉ですが、その「私は高潔である」という自己顕示こそが、最も鼻持ちならない「マウンティング」の端緒であることを、貴方の素晴らしい観察眼は捉えておいでになるでしょうか?
しなくてもいい場所で、人間は、自分の権威や優位性を誇示するために、しばしば「マウンティング」と呼ばれる行動をします。
序章以降で詳しく述べていきますが、英語圏での原義(接続する)と、現代日本における「マウンティング」という語の用法は、かなり異なります。
「マウンティング」という言葉が、人間同士の「格付けし合い」を指す心理学・社会学的なメタファーとして広く日本で使われ始めたのは、比較的最近のことです。その根底には、「霊長類学」という強固な学問的バックグラウンドが存在します。
構造を整理すると、このアナロジーの正当性がより明確になるでしょう。
まず、動物行動学、特に霊長類学において「マウント(mount)」は、雄(おす)が他の個体(雄、雌[めす]問わず)の背後に回り込み、生殖器を相手の肛門などに挿入して結合(マウント)するという具体的な身体動作を指します。これは繁殖を目的とした行為としてでなく、群れの中での「優位(dominance)」と「劣位(subordination)」を確定させるため、あるいは集団内での融和を図るための社会的儀礼として行われます。インペリアル・カレッジ・ロンドンの進化生物学者ヴィンセント・サヴォライネン教授の研究では、ある島のアカゲザルの集団では、雌よりも雄に対して、よりマウンティングしているということがわかりました。
上に乗る側は「私はお前より強い」、乗られる側は「私は貴方に逆らいません」という合意を形成し、不必要な流血の争いを避けるための生存戦略です。
一方、人間は服を着て、高度な言語を操りますが、脳の深部にある「脳幹」や「大脳辺縁系」は霊長類のそれと共通の部分が多くあります。
相手に物理的に乗り従える代わりに、「学歴」「年収」「人脈」「ブランド」といった記号によって社会的圧を相手にかけ、心理的に「自分より下」の位置に固定しようとします。
これはもともと性的なポーズを用いた優位性の誇示であるため、マウンティングにはどこか「相手を征服し、屈服させる」という、ある種のサディスティックな高揚感が伴います。
現代の心理学や脳科学的に見ても、このアナロジーには大きな違和感はありません。脳が同じ「報酬系」を使っているからです。
自分が相手より、より高い位置に置かれていることを確認できたとき、脳内では快感物質であるドーパミンが働いています。これは、野生の猿が群れのトップに立ったときに感じる快感と、神経学的に極めて近いものでしょう。
また、「自慢(承認欲求)」は単に自分を見てほしいだけですが、「マウント」は明確に「相手を下げる」プロセスを含みます。この「相手を下げる」という行為こそが、霊長類的な支配行動の直接的な写し鏡なのです。
人類は、霊長類に分類される生物種の一つです。
と言うと、ときに、「猿と一緒にするな!」と突如、特に必要もないシーンで怒り始める人がいます。普通の人は、我々は猿と同じカテゴリに分類されます、と言われたくらいでは腹は立たないものだろうと思います。ただの科学的な知見に過ぎないからです。
けれども、怒り始めてしまったその人は、つまり、何かをえぐられてしまったのですね。
そう思うと、その人が怒り始めた時点で、察することができてしまいますね。
ああ、この人は、猿扱いされてきたんだな、と。
しかも、知恵があるという猿のポジティブな側面になぞらえて猿扱いされたのではなく、軽蔑され、嘲笑されてきたのだ、ということが即座にわかってしまいます。
この人は、エキセントリックに怒らなければならないほど、「猿」と言われることが不快なのです。怒りがエクストリーム(過激)になればなるほど、その人の不快の度合いが強いのだなということがよく伝わってきます。いったいこの人の過去には何があったのでしょうか……。
とはいえ、誰がどれほどお怒りになられても、私たちは霊長類であることは動かしようのないことです。
これは、私たちは哺乳類(ほにゅうるい)です、動物です、真核生物です、といわれるのと同じくらい、シンプルな事実です。そして、我々の脳には、霊長類として複雑な社会を構成し、それによって生き延びるための機構があります。他者と比較し、序列をつけずにはいられない「社会脳」という名の呪(のろ)いが、深く刻まれているのです。
霊長類の多くは、他種と比べるとより複雑なヒエラルキーを持った集団構造をつくります。生き残り競争ともいえる、栄枯盛衰の激しい生物史において、社会性と呼ばれる機能を駆使して集団として生き延びるという生存戦略を採用してきたのです。中でも人類は、社会性が著しく発達しており、解剖学的にも社会性をつかさどる領域(これが「社会脳」と俗に呼ばれる脳機能部位です)が異様に大きいことも既知のことです。
私たちは、自分が「知性的で文明的な存在」だと思い込みたい欲求を持っています。しかし、マウンティングという言葉がこれほどまでに説得力を持って我々の社会に浸透したのは、私たちが自分の心の奥底にいる「一匹の猿」の存在を、否定しきれないほど生々しく感じているからに他なりません。
ロンドン紳士が微笑み、京都人が言葉の裏に毒を忍ばせるのは、この「猿の野蛮さ」を文明の衣(ころも)で包み隠そうとする、ホモ・サピエンスの必死の抵抗ともいえますね。
私たちが動物であり続ける限り、この社会脳を持っているという宿命からは逃れられません。
ならば、泥沼で取っ組み合いをする野蛮な生物ではなく、微笑みながら相手の急所に小さな毒針を刺す、ロンドン紳士の「品格あるマウント」を身につけるのが最良の方法の一つではないでしょうか。本書は、貴方の脳内にある「猿の衝動」を、洗練された「貴族の嗜(たしな)み」へと昇華させるためのガイドブックです。
【目次】











