『進撃の巨人』(エレン・イェーガー役)や『七つの大罪』(メリオダス役)、『からかい上手の高木さん』(西片役)など、数多くの人気アニメや吹替えで活躍する、実力派声優の梶裕貴さん。そんな梶さんには、「演じること」を学ぶ転機となった1冊がある。その本との出合い、そして、声優人生の目標を得た演劇について語ってもらった。

濃密な生命力に触れ、演劇の何たるかを知る

 野田秀樹さんの『解散後全劇作』(新潮社)は、高校生だった僕が、本格的な演劇に初めて触れたときに手にした本です。

劇作家・演出家として活躍する野田秀樹の戯曲集。劇団 夢の遊眠社解散後に上演された、戯曲『キル』、『贋作・罪と罰』、『TABOO』、『赤鬼』、『ローリング・ストーン』が収録されている。1998年発行。現在、野田が率いるNODA・MAPの公演は、常にチケットが入手困難なほど高い人気を誇る
劇作家・演出家として活躍する野田秀樹の戯曲集。劇団 夢の遊眠社解散後に上演された、戯曲『キル』、『贋作・罪と罰』、『TABOO』、『赤鬼』、『ローリング・ストーン』が収録されている。1998年発行。現在、野田が率いるNODA・MAPの公演は、常にチケットが入手困難なほど高い人気を誇る
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 演劇部の先輩が、(野田秀樹率いる)劇団 夢の遊眠社さんの『半身』という舞台の映像を見せてくれたことがあったんです。それはもう、本当に刺激的で、エネルギッシュで。濃密な生命力がほとばしるその舞台は、僕にとってものすごく衝撃的でした。同時に、「自分が求めていたものは、こういう芝居なんだ!」と、心から感じたのを覚えています。

 それまで生で触れてきたお芝居といえば、学校行事での演劇鑑賞会や、一般生徒たちが出演する発表会程度。だからこそ、夢の遊眠社さんの舞台を見て、「これが演劇なんだ! 芝居のプロ集団なんだ!」と衝撃を受けたんです。それ以来、食事代もギリギリの生活のなか、なんとかバイト代を貯めて、野田さん主催の舞台を観劇しに行くようになりました。

 初めて生で野田さん主催の舞台を観られたのが、2004年の『赤鬼』。出演は、小西真奈美さんなどでした。その時劇場で購入したのが、この『解散後全劇作』だったんです。

 僕が座長となり、養成所時代の友だちや演劇部時代のメンバーを集めて、劇団を立ち上げたこともありました。とはいえ…ありがたいことに、少しずつ声優の仕事が忙しくなってきたりと、皆それぞれの理由があり、結局公演には至らなかったのですが。それでも、「もしやるなら、『赤鬼』がいいね」と盛り上がって、『解散後全劇作』の中から『赤鬼』のページだけを切り取り(ごめんなさい!)、それを台本代わりにして、稽古をしたりしていました。あ、今日持参した本は、その後、保存用で買った2冊目なので、『赤鬼』のページもしっかり残っていますよ(笑)。

「演劇といえば、それまで10数人の役者でやるのがスタンダードというイメージがあったのですが、『赤鬼』に登場する役者の人数は、たったの4人。にもかかわらず、あれだけのドラマが出来上がることに感動しました」
「演劇といえば、それまで10数人の役者でやるのがスタンダードというイメージがあったのですが、『赤鬼』に登場する役者の人数は、たったの4人。にもかかわらず、あれだけのドラマが出来上がることに感動しました」
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 野田さん率いるNODA・MAPさんの舞台を初めて生で観た時は、数日間その余韻で頭と心がいっぱいでした。

 コロナ禍以降、ミュージカルや舞台の配信公演が一気に増えましたよね。時間や場所を気にせず、気軽にお芝居に触れていただける機会が増えたこと自体は、とてもありがたいことだと思います。ですが…エンタテインメントを届ける側としては、僕が初めて野田秀樹さん主催の舞台を観劇したときに感じたような、“生の舞台ならではの刺激”を、どうしても届けたいんです。

生の舞台でしか感じられないものがある

 野田さんが作られる舞台は、僕が理想とするお芝居の形そのもの。観る者に、「生きていること」を実感させるほどのエネルギーは、憧れでしかありません。それはやっぱり、生でなくては体感できないものなんだろうなと。

 お芝居を通して感じられる、「人間らしく生きること」や「生きている」という実感は、日常生活ではなかなか感じることができないもの。日本の社会特有の「空気を読むこと」が、いい例かもしれませんね。僕自身がそういうタイプですし…(笑)。当然すべての感情を表に出しっぱなしでは大変なことになってしまいます。そうやってきっと、誰もが器用に感情を隠しながら生きていると思うんです。

 一方、舞台で上演されるような物語には、“生き死に”といった極限状態を描いた作品も多くあります。もちろん、現実世界を生きる僕たちにとっても“生き死に”というのは、常に隣り合わせの問題として存在しているはずなのですが…現代の日本では、良くも悪くも、あまり強く意識することなく生きられてしまうわけで。だからこそ僕は、生きている喜びや危機感を肌で感じられる場所に…「自分は人間である、いま生きているんだ」という根源的な感覚を取り戻させてくれる舞台や芝居というものに、こんなにも惹かれるんだろうと思うのです。

「慌ただしい毎日ではありますが、僕はそれでも『生きていること』を実感できているほうなんじゃないかと。僕の心の中では、いろんなことに対して、ちゃんと喜怒哀楽の気持ちが溢れています。そうやって溜め込んだものを、声のお芝居で解放している感覚ですかね」
「慌ただしい毎日ではありますが、僕はそれでも『生きていること』を実感できているほうなんじゃないかと。僕の心の中では、いろんなことに対して、ちゃんと喜怒哀楽の気持ちが溢れています。そうやって溜め込んだものを、声のお芝居で解放している感覚ですかね」
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雲の上だった世界が、目の前に

 NODA・MAPさんの公演があれば、今でも可能な限り劇場に足を運んでいます。終演後は、舞台の余韻に浸りながら、自分だったらどう演じるのかを想像してみたりすることも。

 この『解散後全劇作』を手に入れた当時は、僕はあくまでも観る側でしかなくて、舞台上にいる役者さんは、はるか雲の上のような存在でした。ところが最近は、仕事で共演させていただいたことのある役者さんが、「既にNODA・MAP出演済み!」みたいなケースも増えてきて(笑)。少しだけ、あの世界が身近に感じられるようにもなりましたね。

 どんな稽古が行われ、どんな段階を経て本番の状態へと高められていくのか。自分も表現者の一人となった今、そういったお話を伺うと、すごくウズウズします。舞台では生身の身体で。僕ら声優は声だけで。表現する方法こそ違いますが、必要な時に必要なだけのエネルギーを放てる役者でありたいと思っています。

「“あんな場所で表現してみたい”。そんな目標を与えてくれたのが、野田秀樹さんの舞台でした」
「“あんな場所で表現してみたい”。そんな目標を与えてくれたのが、野田秀樹さんの舞台でした」
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取材・文/実川瑞穂 写真/江藤はんな ヘアメイク/中山芽美(エミュー) スタイリング/SUGI 構成/平島綾子(日経エンタテインメント!編集部)