米澤穂信著『 談話室米澤 』(日本経済新聞出版)は、今年デビュー25周年を迎えたミステリ作家・米澤穂信さんのエッセイ集です。全68篇の内容の充実はもちろんのこと、赤い屋根の建物にキッチンや金庫が描かれたカバーイラストが目を引く、装幀の魅力も際立つ一冊です。記事の第3回目は、装画を担当したイラストレーターの高橋祐次さんに、イラストのコンセプトとお気に入りのエッセイを聞きました。
高橋さん、可愛らしさと、どこか謎めいた雰囲気が共存する本当に素敵なイラストですね。どのようなことを意識して作画されたのでしょうか。
イラストレーター・高橋祐次さん(以下、高橋) 各章の「談話室」「キッチン」「半個室」といった要素を、ひとつの箱庭のようにまとまった建造物としながら、『談話室米澤』のタイトルにつながる、喫茶店のような心地よく集まれる空間を意識して制作しました。
この絵には細部にわたって、内容とリンクしたいろんなモチーフが詰め込まれていますよね。
高橋 エッセイを読ませていただき、絵になりそう、描きたい、と思ったものを入れています。読者の方が読み終えて本を閉じたとき、もう一度表紙を見て、楽しい気持ちになってくれたらうれしいです。
これはあのエッセイに出てきて、この人物はあの本から遊びにきたのでは…? などと、想像する楽しみがあります。さて、制作のため全編を熟読された高橋さんのお気に入りを紹介いただけますか。
高橋 印象的だったひとつは〈最適解〉です。
昼に炒飯が食べたくなったのですが、感染症蔓延下で近所の街中華が店を閉めたため、初めての店に入りました。店内にかけられた木彫りの窓飾りに「経歳誰怜農父老」とあるのを見て、私は首を傾げました。おおよその意味は取れるのに、「怜」だけが文脈に合わない気がしたのです。
「怜」は、聡いという意味ではなかったでしょうか。
炒飯を頂いて家に帰り、漢和辞典を引くと、「怜」の字は「憐」に通じると出ていました。なんと。すると文章の意味は、「年を経て、誰が老いた農夫を憐れむだろうか」という反語になりそうです。漢文に通じた方の失笑を買うかもしれませんが、私としてはいい発見をした、面白い昼食になりました。
どうやらこの文は、清の皇族に連なり閩浙総督を務めた、覚羅満保の詩の一節のようです。閩とはかつて福建省にあった国の名前で、閩浙総督とは、現在の福建省と浙江省の総督を意味します。ある時、満保はマンゴーを乾物にして康熙帝に送りましたが、帝からはもういらないという手紙を返されてしまったそうです。その手紙は現存し、平成二十六年に東京国立博物館で開かれた特別展「台北 國立故宮博物院―神品至宝―」で展示されました。近所の中国料理店から康熙帝に話が繫がっていくのは、面白いことです。
街に出ても本を読んでも、目は面白がることを求めます。私はかつて自分の好奇心について、子供のようだと言われたことがあります。軽侮が込められていたかもしれませんが、それは気にしません。ただ、私が持ち合わせているのが子供のような好奇心であるという評価は半分正しく、半分間違っています。好奇心は、仕事なのです。
私は現在の仕事を二十年続けてきました。何事であれ、長く続ければ経験が蓄積されるものです。過去の仕事を順列組み合わせで再構成し、新しいことはまったく考えないままで別の仕事を完了させることも、さほど難しくはないでしょう。
かつて私は物語の中で、脊髄反射だけで行動する人造人間を書いたことがあります。「こういう場合には、こうする」というパターンを無数に入力され、思考することなく全て反射で動く人間が、しかし問題なく社会に溶け込むさまを書いたのです。これは哲学的ゾンビの考え方に似ていますし、また、今日のAIにも近いものです。
人間社会において、ある外部刺激に対してどう反応するのが正解なのか、そのパターンは既に充分な蓄積がなされています。つまり、現代においてはあらゆるものが学習可能、コピー可能になっている。それ自体は素晴らしいことですが、人間そのものの互換可能性が上がっているとも言える。それでもなお模倣不可能な優れた仕事を残すには、自分なりの物の見方、考え方を、自分の中に確立していくしかありません。それも、独りよがりな、ただ珍奇なだけで理屈に合わない物の見方では、いずれにしても使いものにはならない。見ること(経験)と学ぶこと(確実性)を両立させ、結び付けていかなくてはならないのです。
この一連のサイクルを駆動させるのが、面白がることです。興味を持っていない事柄についても、見ること、学ぶことは出来るでしょう。しかしその先、自分なりの視点を構築することは、面白がっていないと不可能です。
かつて私は学生だった頃、単に面白そうだという理由で社会学のゼミを取り、仏教学のゼミを取りました。確かに面白かったですが、その面白さは卒論には寄与しませんでしたし、その後も何かに役立つことはありませんでした。しかし二十年後、それらは突然結びついて、客観的評価から見れば私の最良の仕事の一つを生み出しました。
事程左様に、誰が何を面白がったことがどんな結果に結びつくか、予想することは困難です。であれば、目につくものの出来るだけ多くを、心のおもむくままに面白がる戦略が最適解となります。これは作家にだけ言えることではないでしょう。
ゆえに私は面白がります。子供のように、そして、仕事を続けるために。
高橋さんがこのエッセイに惹かれた理由を教えていただけますか。
高橋 自分が仕事の中で、似たような絵を描いちゃっているな、もっと面白い、新しいことをやりたいな、という気持ちのときに読んだんです。ハッとさせられました。好奇心から得たものが、次の瞬間、すぐ仕事に生きるかは分からない。でも、何年後かにつながることがある。今興味を持てないことも、のちのち、絵に生きてくることもあるのかなと思えました。
ご自身のお仕事と照らし合わせてのことなんですね。そのほかも、絵を描くことと結びつけて読んだものが多いですか。
高橋 〈炊飯道〉は、米を炊くというそれだけのことが、米澤さんの手にかかればこんなに面白いエッセイになるのかと印象的でした。自分の仕事に重ねると、絵のモチーフが素朴でも、技量によってはとても面白いものができるというか。僕の場合はモチーフ自体がヘンテコなものを選びがちで、その面白さに頼ってしまっているなあと思うこともあります。〈二階〉は、謎めいた雰囲気と、物語の導入のようなワクワク感が絵本のようでとても好きです。
高橋さんの「読み」、とても素敵ですね。ありがとうございます。
高橋 ありがとうございました!
会場:丸善・岡山シンフォニービル店 地下1階ギャラリー(入場無料)
※表紙イラストの原画を展示予定
文/桂 星子(日本経済新聞文化グループ兼日経BP 日経BOOKSユニット) 構成/市川史樹(日経BOOKプラス編集) 写真/鈴木愛子
米澤穂信/日本経済新聞出版/1980円(税込み)



