イタリア人は「損得」や「実用性」「合理性」ではなく、「好きか嫌いか」「美しいか醜いか」で、物事を判断する。小さなころから育まれてきた直観的審美眼は、イタリア人のセンスの良さ、美しい風景やイタリアンデザインの源になっている。多くのイタリアワインがコルク栓を使っている理由もそこにある。日経ビジネス人文庫『 最後はなぜかうまくいくイタリア人 』(宮嶋勲著)から抜粋。
イタリア人の直観的審美眼
「ビビッときた」という表現がある。直観に強く訴えるものがあることで、それに従って配偶者を選ぶ人もいる。たしかに人生において、直観は非常に大切である。そして、イタリア人は直観を非常に重視する国民だ。
私たちが人生の選択をするための判断基準には、さまざまなものがあるだろう。たとえば最も散文的なのは、「損か、得か」である。「どちらが合理的か」「倫理的にどちらが正しいか」「どちらが自分を高めてくれるか」「どちらが自分らしいか」なども当然重要な判断基準である。その中でもおそらく最も直観的なものは、「好きか、嫌いか」である。
イタリアではこの基準で物事を判断する人が多い。それはまた、「美しいか、美しくないか」とも深く結び付いている。
もちろん日本でも、レストランでメニューを選ぶときやバカンスの旅行先を選ぶときなど、遊びや娯楽の場では「好きか、嫌いか」という判断基準が受け入れられている。しかし、ビジネスや公の場での判断を尋ねられたときに「好きか、嫌いか」で判断するのははばかられる。「その選択の理由は何ですか?」と尋ねられて、「好きだからです」とか「嫌いだからです」と答えると、ふざけているのかと思われるだろう。
ところが、イタリアではそうはならない。200人を呼んでワインの試飲会をするとしよう。そのときに使うグラスの選択の話になる。ある程度大振りのグラスが理想的なのだが、200人も招待客がいると数がそろわない。ソムリエの公式試飲用の小さめのグラスを使うのがいいだろうということになった。
ただ、イタリア側のトップが納得しない。「たしかに大振りのグラスの数をそろえるのが困難であることは理解できるが、この小振りのグラスは醜くて、嫌いだ」と来る。イタリアにはこの直観的審美眼を尊重する風土があるので、誰も「好きとか、嫌いとかの問題ではなく、そろえられないのだから大振りのグラスは無理なのです」と反論する人はいない。合理的説明と同じぐらい、直観的審美眼が重視されるのである。
子どものときから「好きか、嫌いか」で人生を生きてきたイタリア人は、直観をかなり磨いている。「好き嫌いを言うことはわがままなのでいけないことです」と言われて育った日本人は、この直観を磨くチャンスを多く失ってきた。
イタリアでは直観的審美眼を重んずるので、とても合理的とは言えない選択がなされることも多い。私がよく経験する例はディナー・パーティーである。
ワインの仕事にはパーティーが付き物だ。試飲会の初日や最終日には、かなりの規模のパーティーが用意されていることが多い。問題はその場所の選択である。試飲会は1日に100種類近いワインを試飲する。午前9時から試飲を始めて、14時ぐらいに終了し、午後はワイナリーを訪問することが多い。したがって夕食時になるととても疲れていて、それほどエネルギーが残っていない。
生産者と交流できるパーティーはうれしいのだが、できれば近くで(ベストは泊まっているホテルで)開催してもらい、次の日の朝も早いので、できるだけ早くホテルの部屋に帰れるというのがありがたい。これはほぼ全ジャーナリストが合意しているところである。
利便性よりもロケーションを優先する
ところが、その希望が実現されることはまずない。たいていの場合、バスで1時間ほど離れた、非常に美しいブドウ畑に囲まれた丘の上のヴィッラ(お屋敷)で行われる。なぜなら、そのロケーションが「美しくて、好きだ」と主催者側が考えたからで、「ホテルのホールなんて醜くて、嫌いだ」からだ。
たしかにブドウ畑に夕日が沈むのを見ながらの夕食は素晴らしい体験で、忘れがたいかもしれないが、それを楽しむには肉体的、精神的余裕が必要だ。100種類のワインの試飲と3軒のワイナリー訪問のあとでは、そのエネルギーは残っていないのだが、そんなことを「好きか、嫌いか」の基準で決定をしている人に言っても詮ないことである。この美しい風景をなんとしても私たちに見せたいのだから。
この「美しさ」へのこだわり、「見た目」のこだわりも、イタリア人は破格である。イタリア製品について、「デザインは素晴らしいがすぐ壊れる」とか「見た目はいいのだが、一度洗濯すると色落ちする」などの苦情をよく聞くが、たしかに実用性よりも、美しさや見た目を重視している面はあるかもしれない。
しかしこれが優れたイタリアデザインの源になり、美しい田園風景を保持することになり、イタリアが観光大国として成立している基盤となっていることも否定できない。やはりイタリア人はセンスがいいのである。
コルク以外の栓は美しくないから拒否
ワインの世界では、いわゆるコルク臭が大きな問題になっている。コルクについたトリクロロアニソールという物質がワイン全体を汚染してしまうのだ。これはコルク栓を使用する限り一定の確率で起こり、避けることができない。
唯一の解決策は、それ以外の栓を使用することだ。見た目は美しくないが、最も合理的なのはスクリューキャップである。それ以外にシリコンによる栓や、ガラスによる栓も使用されている。合理的な発想をするドイツ、ニュージーランド、オーストリア、アメリカなどは、いち早くこれらの代替栓を導入した。フランスでさえ徐々に導入している。「いくら美しさに欠けても、高いお金を払って買ったワインがコルク臭でやられているよりはマシでしょう」というのが彼らの言い分だ。
最も遅れているのが、イタリアである。理由は当然「美しくないから、嫌いだ」である。この明快な主張の前に、実用性を説くことはほとんど無意味である。
怠惰で陽気で適当なのに、ファッションから車まで、独自のセンスと哲学で世界の一流品を生み出している国イタリア。彼らの秘密を、日常のさまざまなシーンの行動・価値観や「イタリア人あるある」から、軽妙にひもとく。
宮嶋勲著/日本経済新聞出版/825円(税込み)

