67歳になった2025年もサブスリー(フルマラソン3時間切り)を達成した市民ランナー・弓削田眞理子さん。結婚、出産、子育て、そして教員生活——。人生のさまざまな節目を重ねながらも、諦めずに走り続けてきた長い道のりを支えてくれたのは、大学時代に恩師から手渡された、デール・カーネギーの名著『 道は開ける 』だという。弓削田さんに、目標に向かって走り続ける力の源を聞いた。

初めてのフルマラソンは、悔しさだけが残った
2025年11月の神戸マラソンで、65歳以上の女性として世界で初めてフルマラソン3時間切り——いわゆる「サブスリー」を達成しました。市民ランナーの仲間からは、「67歳でサブスリーなんて、夢みたいな話ですね」とよく言われます。でも実は、私が初めてサブスリーを達成したのは58歳のときで、最初にフルマラソンを走ったのは24歳ですから、サブスリーにたどり着くまでに34年かかっているんです。34年。長いでしょう?
24歳で走った東京国際女子マラソンのタイムは、3時間9分21秒。今思えば決して悪くないタイムです。でも、当時の私にとっては悔しくて仕方ありませんでした。私と同じくらいの実力で、国体やインターハイに出場していた仲間たちは、みんなサブスリーを達成していたんです。「どうして私だけ?」と、自分だけが取り残されたような気持ちになりました。
そのとき決めたんです。「私、3時間を切る!」って。それからというもの、頭の中はサブスリーのことばかり。ほかのことは何も考えられなくなりましたね。この思いが私を走らせ続ける原動力でした。
大学時代、恩師から渡された1冊
ただ、昔から常にモチベーションが高かったかというとそうではなくて。大学の陸上部に入ってから1~2年は記録が出ず、なんとなくぼんやり過ごしていた時期もあったんです。そんな私を見かねたのか、監督に「ちょっと来い」と呼び出されたことがあって。池袋のデパートの上にある中華料理店へ連れて行かれました。好きなものを頼んでいいからと言われてごちそうになりながら、「おまえ、これを読め」と1冊の分厚い本(現在は文庫化)を手渡された。それが、デール・カーネギーの『 道は開ける 』でした。
『人を動かす』と並ぶデール・カーネギーの代表作。1944年に米国で刊行されて以来、世界中で読み継がれてきたロングセラーで、不安や悩みを抱える人に向けた実践的な人生論として知られる。弓削田さんは大学時代に恩師から手渡され、以来40年以上、人生のバイブルとして読み返し続けている。
正直、最初は「えー!」と思いました。こんなに分厚い本を、なんで読まなきゃいけないのって(笑)。でも、読み始めたらどんどん引き込まれたんです。「カブトムシに打ち倒されるな」「おがくずを挽こうとするな」「レモンを手に入れたらレモネードをつくれ」——つまり、小さなことで悩むな、過去を悔やむな、逆境を力に変えろ、と。
レモンって、酸っぱくて、苦くて、そのままじゃ食べづらいでしょう? でも、レモンがあれば、甘くておいしいレモネードも作れる。今はこんな状態でも、ここから何か生み出せるんじゃないか。そう思えたんですよね。「今日、一日の区切りで生きよ」という考え方も大好きです。先のことばかり心配するより、今日できることを一つひとつやればいい。悩んでいる時間があったら、その分、何でもいいから動けばいい。
この本のおかげで、大学3年ではインカレと日本選手権にも出場できた。今でも、いただいた本を大事に読み返しています。私のバイブルですね。
どれだけ頑張っても記録が伸びない
大学を卒業してすぐ高校の教員になりましたが、そこでも壁にぶつかりました。本当は陸上競技の指導がしたかったのですが、最初に任されたのはバレー部の顧問。授業をして、担任の仕事をして、放課後はバレー部を指導する。部活が終わる午後7時ごろから、ようやく自分のランニングの練習を始めるんです。家に帰るのは午後10時。教師ですから当然、また翌朝から部活や授業がある。毎日くたくたでした。
それだけ頑張っているのに、肝心の記録はまったく伸びない。伸びないんですよ、これが。
そんな生活を続けるうちに、だんだん追い詰められていきました。円形脱毛症にもなって、今振り返れば、軽いうつ状態だったのかもしれません。このままではまずいと思って、学校の夏休み中に私も1週間の休みを取って、一人で京都へ旅に出たんです。何をするわけでもなく、鴨川のほとりに座ってぼんやりしたり、「哲学の道」を歩いたり、天橋立に行ってみたり。まあ、完全に現実逃避ですね(笑)。
偶然出合って、肩の力が抜けた本
その現実逃避先の京都の本屋さんでふと手に取ったのが、林真理子さんの『 ルンルンを買っておうちに帰ろう 』でした。同じ「まりこ」という名前に親しみを感じたのが、最初のきっかけだったんですけどね(笑)。
1982年刊行、林真理子のデビュー作。ブランド品への欲望や恋愛への本音、容姿へのこだわりなど、当時の女性が口にしにくかった感情を率直でユーモアあふれる筆致で綴ったエッセー集。飾らない語り口が多くの読者の共感を呼んだ。弓削田さんは教員2年目の夏、現実逃避に訪れた京都の書店で偶然この本を手に取った。
これ、林真理子さんのデビュー作なんです。1982年に出た本で、自分の劣等感とか、うまくいかないこととか、全部あっけらかんと書いてある。この人、「自分のことをちゃんと分かっている」んだなって思ったんです。自信があって、自分の力を知っている。なんだかんだ言いながら、負けていない。そういう強さみたいなものが、言葉の端々から伝わってくる。当時、女性がここまで書けるんだって、すごく驚いたし、勇気をもらった気がしました。
記録が伸びなくて、仕事も重くて、もうしんどいなと思っていた時期に読んだから、余計に刺さったのかもしれない。恩師からもらった『 道は開ける 』が「よし、やるぞ!」と背筋を伸ばしてくれる本だとしたら、こちらは「もっと自分に正直でいいよ」と言ってくれる本。どちらも、あの頃の私には必要だったんだと思います。
58歳で初めて意識した「世界記録」
結婚して、4人の子どもに恵まれました。子育てに追われるうちに、走ることから少し距離を置こうと思った時期もあった。とはいえ、体育の教員でしたから、心のどこかでは、いつもサブスリーのことがありました。
50代半ば。子育てが一段落してからようやく、本格的に練習を再開できるようになりました。少しずつ記録を戻していき、3時間1分台まできた。そして、58歳で出場した大阪国際女子マラソンで、ついに2時間59分台。念願だったサブスリーを達成しました。でも、ゴールした瞬間に思ったんです。
「あれ? まだ伸びしろがあるじゃない!」
58歳で自己ベストが出るんだから、まだいける。そう思っていたところに、同じ大阪国際女子マラソンを走っていた教え子が、「先生、これ、世界記録狙えますよ」と声をかけてくれました。「えっ、世界一ってこと?」と面食らったものの、その一言で初めて世界記録というものを意識したんです。それまで、「世界記録」なんてまったく頭にありませんでした。自分が3時間を切れれば、それで十分だったのですから。でも調べてみると、60~64歳の世界記録は十分に狙える範囲だった。「じゃあ、私がやるしかないな」と、そう思いました。
目標が決まってからは働き方も少し変えて、学校は週3日ほどの勤務に。残りの時間は練習にあてるようにしました。そうしたら、記録はまたどんどん伸びていったんです。そんななか迎えたのがコロナ禍でした。学校は休校になり授業もできない。世の中は本当に大変でしたが、私はマイナスに考えてはダメだ、と。前向きになろう、その時間を練習に使おう、と考えました。こうした発想の転換も『 道は開ける 』から学んだことです。人との接触を避け、人通りのほとんどない時間帯を選んで、一人で街を走りました。62歳のときには、2時間52分という自己ベストを出すことができました。
現在68歳、挑戦は終わらない
その後も、けがを繰り返しながらも諦めずに練習を続けました。そして2025年11月の神戸マラソンで、65歳以上の女性として史上初のサブスリーを達成。2時間59分02秒という記録は、ワールドマスターズアスレチックス(WMA)の世界記録として公認されました。
今年、私は68歳になりました。今は左足を骨折してリハビリ中ではありますが、まだ終わりじゃありません。次の目標は、70代でサブスリーを達成すること。そして、できれば100歳まで走り続けたい。そう思っています。
大学時代、中華料理店で分厚い本を渡してくれた先生には、今でも心から感謝しています。『 道は開ける 』と出合っていなかったら、今の私はいなかったかもしれない。そう思うと、人生って面白いものですよね。

取材・文/金澤英恵 構成/細谷和彦(日経BOOKプラス編集) 写真/鈴木愛子
2回目 世界記録保持者・高校教諭ランナー弓削田眞理子 やる気に火をつける指導法 ←9/11公開予定
3回目 弓削田眞理子のコンディショニング論 「100歳まで走る」を叶えるために ←9/18公開予定

