コンピュータのスキルは高いが、人付き合いは苦手。それでも強い正義感から被害者を無償で救おうとする「はみ出し者」たちとは? ランサムウエア犯罪集団に立ち向かう無名でオタクな最強ボランティア集団の活躍を描いたノンフィクション『 ランサムウエア追跡チーム 』から抜粋・編集して掲載する。その第2回。
第1回 「『ファイルはすべてロックしました』ランサムウエア攻撃は突然に」 から読む
demonslay335、本名マイケル・ギレスピーは、ロンドンとは時差が6時間のイリノイ州中部の平地にある、ランサムウエアとの戦いの最前線とは思えない質素なオフィス兼自宅の2階で働いていた。彼と妻のモーガンは、8匹の猫と2匹の犬、そして1匹の兎を飼っており、自宅を「キャットルーム」と呼んでいる。彼の仕事場には机とノートパソコン、棚とその上のモニターが置かれており、他の家具は擦り切れたソファだけだ。
眼鏡をかけて無精ひげを生やしたマイケルは、ひょろっとしていて、若い頃のビル・ゲイツに似ている。赤茶色の髪は、パンデミックで散髪に行かなくなったために以前よりも長く伸び、それを低い位置でポニーテールにしている。Tシャツにジーンズがいつもの格好だ。彼が殺到するメールを読み、返信している間、猫たちは彼の膝に乗ったり、腕によじ登ったりしている。彼らはそれに飽きると、キャットツリーに登ったり、床に置かれた食器でご飯を食べたりする。
ロンドンの学校の家族たち同様、マイケルも逆境に強い。彼はいじめ、貧困、がんなどさまざまな困難を乗り越えて、29歳を迎えようとしていた。幼い頃、彼の家は貧しく、友人や親戚の家に身を寄せなければならないこともあった。大学に行く余裕もなかった。16歳の時には「ナード・オン・コール」というコンピュータ修理店のチェーンで働き始め、10年以上そこで勤めながら、独学でランサムウエアへの対処法を身につけた。高校時代の恋人だったモーガン・ブランチと結婚した後も、夫婦は請求書の支払いに苦労した。電気も水道も止められ、クレジットカードも解約され、車も押収された。ついには家も失いかけたほどだ。
しかしマイケルは、そんな逆境に負けなかった。彼は空いた時間があると、ランサムウエアに感染したファイルを復元するという行為を誰に対しても行っていた。そしてほとんど名の知られることのないまま、評価や報酬を求めることなく、マイケルは世界でも指折りのランサムウエア・ブレイカーに成長したのである。彼が作成した復元ツールをダウンロードした被害者は、世界中で少なくとも100万人にのぼる。彼は1ペニーも請求することなく、被害者を救い、数億ドルの身代金が支払われるのを防いだ。1000種類以上あるランサムウエアのうち、彼が解読したのは100種類以上に達する。
その分野で世界一と称される人物には、代理人や広報担当者、グルーピーといった取り巻きを従えていることが多い。マイケルは違う。膝の上でくつろぐ猫でさえも、彼の気をそらすことはできない。インターネットは彼にとって避難所であり、また知的な活動を行う拠点だった。彼は起きている時間のほとんどをネットで過ごし、イリノイ州の親戚や知人が驚くほどの高い評価を得ている。
マイケルの結婚式で新郎の介添人を務めたデイブ・ジェイコブスは、「彼はテクノロジーの世界に深く身を置いているので、そこで誰かが悪さをすると、それだけで頭を悩ませると思います」と語る。「ネットは彼の世界であり、その中で悪いことが起きるのを望んでいないのです」
彼がオンラインで被害者と交わす会話は、あくまで起きた出来事に関するものだけだった。彼は被害者の生活には関与せず、彼らが立たされた苦境にも興味はなかった。テレビドラマ『ドクター・ハウス』でヒュー・ローリーが演じた優秀な診断医、グレゴリー・ハウスのように、マイケルは自分が救った人々に苛立ちを覚えている。時にはマンガ『ピーナッツ』に登場する、チャーリー・ブラウンの仲間ライナスが抱くのと同じ感情を抱いているようだ。「僕は人類を愛してる。我慢できないのは人間だよ!」
無名でオタクな最強ボランティア集団
優秀で疲れを知らないマイケルは、ランサムウエア追跡チームの中で最も精力的に活動するメンバーだ。彼らはランサムウエアの解除に専念する技術者およそ12人からなる、招待制のエリート集団である。世界中にいる、サイバー犯罪者に身代金を払う余裕がない、あるいは支払いを原則として拒否する被害者たちにとって、この無名でオタクなボランティア集団は、唯一の頼みの綱になることが多い。彼らは300以上の主要なランサムウエアの系統と亜種をクラックし、推定で400万人の被害者を数十億ドルの身代金の支払いから救ったのだ。
ランサムウエア追跡チームのメンバーのほとんどは、マイケルのように、業績に関する通常の固定観念を覆すような人物である。彼らは信じられないようなサクセスストーリーを体現しており、ほとんど独学で手に入れた高度な技術力を有している。中には貧困や虐待といった背景から奮起し、いじめに立ち向かった人物もいる。彼らは犯罪者に報復される可能性があるため、何人かは偽名やオンライン限定のアイデンティティを使って身を隠している。メンバー同士が直接会うことも少ない。彼らの中で最も隠遁的なメンバーである、ツイッターで@malwrhunterteamというハンドルネームを使用するハンガリー人の本名を知る者はほとんどいない。
追跡者たちはその目的に身を捧げており、お互いに支え合っている。誰かが経済的に困窮した時には、他のメンバーが必ず寄付や仕事の紹介をしてくれる。彼らは少なくとも7か国(米国、英国、ドイツ、スペイン、イタリア、ハンガリー、オランダ)に住んでいるが、実質的にはインターネット上で生活しているようなものだ。彼らは仲間とメッセージング・プラットフォームを通じて会話し、またマシューが助けを求めたサイトであるブリーピングコンピュータ上では、サイバーセキュリティの専門家、コンサルティング会社、テクノロジーの愛好家、被害者、さらには攻撃者ともやり取りを行っている。チーム創設者の1人が運営するブリーピングコンピュータは、非武装地帯であると同時に近所のパブのような存在であり、ランサムウエアの世界の善玉と悪玉が交錯する場所でもある。
チームメンバーは通常サイバーセキュリティ関係の仕事をしており、ランサムウエアのクラッキングに情熱を注いでいる。物事に没頭するタイプの人間も多い。つまりひとたび問題解決に取り組み始めると、周囲の世界が目に入らなくなり、何時間も何日も休みなくその問題に取り組んでしまうのだ。マイケルを含む少なくとも3人は、ADHD(注意欠如・多動症)だ。ADHDの人物は通常、注意散漫になりがちだが、「過集中」と呼ばれる長時間の深い集中状態が現れることもある。
彼らはみな、人類を助けサイバー犯罪に立ち向かおうという、インターネット版の「ジャスティス・リーグ[スーパーマンやバットマンなど、DCコミックスの作品群に登場するスーパーヒーローたちが結成したという設定のチーム]」とでも言えるような、衝動に近い情熱を持っている。彼らは金持ちになることには興味がない。そうでなかったら、ランサムウエアを阻止するのではなく、ランサムウエアを開発することにその能力をつぎ込んでいたかもしれない。
「私たちはみな、ある種のはみ出し者だと思います」とチームメンバーの1人、ファビアン・ウサーは言う。彼はドイツで育ったが、高校を中退し、現在はロンドン郊外に住み、働いている。ファビアンはマイケルの師匠であり、彼と共に、チームきっての暗号解読の達人である。「私たち全員がちょっと変わっており、世間にはなじめなかったのですが、それはランサムウエアを追跡したり、人々を助けたりする際には役立ちます。それこそ私たちがこれほどまでに協力し合える理由であり、方法なのです。資格は問われません。必要なスキルを独学で身につける情熱と、意欲さえあればいいのです」
ランサムウエア追跡チームは、大きな空白を埋める存在だった。米国政府は、拡大するランサムウエアの被害に対応するのに出遅れたのである。米連邦捜査局(FBI)は身代金を払わないように被害者に忠告するものの、現実的な代替案を示すことができず、問題に対処できなかった。ハッカーはロシアやイランなど、米国と犯罪人引渡し条約を結んでいない国々で活動することが多く、またそうした国々は欧米諸国へのサイバー攻撃を黙認し、情報の収集や分け前の獲得に利用している可能性がある。保険会社からサイバーセキュリティ会社に至るまで、民間企業にはランサムウエアを阻止する動機がほとんどなかったが、その急増を受けて、彼らは利益を得ることができるようになった。
チームはあらゆる種類のランサムウエアをクラックできるわけではない。ランサムウエアが意図された通りに機能すれば、クラックは不可能なのだ。しかし攻撃者の中にはミスを犯したり、手抜きしたり、攻撃相手を過小評価したりする者もいる。そのような時こそ、チームの出番だ。
(訳:小林啓倫 次回に続く)
レネー・ダドリー、ダニエル・ゴールデン(著)、小林啓倫(訳)、日経BP、2860円(税込み)

