私が生徒に伝えたいことは何だろう? そう考えたときに思い浮かんだのが、V・E・フランクルの『 それでも人生にイエスと言う 』(山田邦男・松田美佳訳、春秋社)でした。今回はこの本を紹介したいと思います。
私がこの本に出合ったのは、本校の泊まりがけの行事である「修養会」のとき。ある年の高校1年生の修養会で、お招きした牧師先生がこの本を生徒たちに紹介してくださいました。それをきっかけに、私も初めて手に取りました。
「問う」ではなく「人生から問われている」へ
フランクルはウィーン生まれの精神科医。ナチスによって強制収容所に送られ、過酷な環境を生き抜いた体験をつづった著書『夜と霧』(みすず書房)がよく知られています。
本書『それでも人生にイエスと言う』は、収容所という極限状態で人間が何を考え、どんな行動を取るかを目の当たりにしてきたフランクルが、「生きる意味」を説いた講演録です。
フランクルによれば、「私たちが『生きる意味があるか』と問うのは、はじめから誤っている」。なぜなら「人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているから」。「問う」ではなく「人生から問われている」へ。「コペルニクス的」ともいえる180度の発想の転換が必要なのだとフランクルは主張します。
本書には、生きていることに疲れ、「人生にもう何も期待できないから」自分の人生には意味がないと考えている男性と女性が登場します。
2人はフランクルと話をする中で、人生に期待するものはもう何もないけれど、自分を待っているものがあることに気づきます。男性には仕上げるべき未完のままの著作があり、女性には母親を待ちこがれる子どもがいる。2人の生きる意味への問いは、ここで180度転換し、人生に何が期待できるのかではなく、「人生は私に何を期待しているか」を問うようになるのです。
先生たちに聞いた人生を支える一冊
あの名門校の先生は、これから大人へと成長していく、中学生・高校生たちにどんな本を薦めているのでしょうか?生徒たちに薦めたい本、授業で扱った本、自分が好きな本を紹介しながら学校の特色や、本にまつわるエピソードまでをとことん語ります。
【掲載校】フェリス女学院/国際基督教大学(ICU)高校/豊島岡女子学園/広尾学園/渋谷幕張/開成/聖光学院/灘
平林理恵著、日経BOOKプラス編/日経BP/1760円(税込)
人生を意味あるものにする3つの方向性
人生が出した問いに答えることによって、私たちは人生を意味あるものにすることができるとフランクルは説き、実現の方向性として次の3つを挙げています。
第一は「なにかを行うこと」。活動したり創造したりすること、自分の仕事を実現することを通して私たちは人生を意味のあるものにできる。第二は「なにかを体験すること」。美しいものや偉大なものに触れる体験や、人間を愛する体験によっても意味を実現できる。そして第三が「どんな態度を取るか」。第一の方向でも第二の方向でも実現することができなくなっても、「そうした制約に対してどのような態度を取り、どう振る舞うか、そうした制約を受けた苦悩をどう引き受けるか」ということのうちに、意味のある人生が実現されるのです。
つまり、人生を意味あるものにできるかどうかは、自分がそのときそのときの人生の問いにどう応答するかにかかっている。人は運命に翻弄されるだけの存在ではなく、運命に対しての態度を決める自由がある。
本書で語られるこれらのことは、今の私たちにも、中高生にも響くものがあるのではないでしょうか。
また、フランクルは、「宗教的な人間」は、人生を課せられた仕事として捉えるだけでなく、それを課した「神格」をも知っている、と述べます。信仰を持つ人間は、「人生は神が課した使命だ」と捉えて生きている、と。フランクルは、全体を通じて宗教を信じているかいないかに重点を置かずに語っていますが、この指摘は共感できます。
フェリス女学院は、キリスト教プロテスタントの女性宣教師によって建てられた学校です。彼女が、まだキリスト教の禁じられていた日本を訪れ、宣教と女子教育をしたいという思いをつづった手紙を読むと、そのことを「神が課した使命(ミッション)」と受け止めていることがはっきりと書かれています。ミッションスクールは、このような宣教師たちの使命感によって建てられた学校だと言えるでしょう。
そして、日々の礼拝の中でも、「あなたに与えられた使命は何だろうか」という問いかけが、生徒たちになされます。
フランクルは講演の最後を次のような言葉で締めくくっています。
人間はあらゆることにもかかわらず――困窮と死にもかかわらず、身体的心理的な病気の苦悩にもかかわらず、また強制収容所の運命の下にあったとしても――人生にイエスと言うことができるのです。
人としての尊厳をも奪われた強制収容所での極限状態を生き抜いたフランクルが、「それでも人生にイエスと言う」というところに行き着いたということ。何よりもこの事実が、人生には意味があり、希望があるということを力強く伝えています。
フェリスの修養会は「いかに生きるか」を語り合う場
先ほど、本書が修養会で牧師先生から紹介された本であることをお話ししました。フェリスの修養会は、まさに「いかに生きるか」を語り合う場です。
中学・高校の6年間に、生徒たちは3回の修養会を経験します。まず、中学1年生の夏休み初日に行われる日帰りプログラムとしての修養会。ここではフェリスの教育理念である「For Others」について、グループやクラス、全体でのディスカッションを通して考えます。
中学2年生と高校1年生は、夏休みの前後に、自然豊かな場所を訪れて2泊3日の修養会を行います。テーマは、中2が「友だち」、高1が「生きる」。年によって、お招きした牧師先生のお話の方向やディスカッションの切り口などは異なりますが、高1であれば、与えられた生をどう受け止め、どのように生きていきたいかなどについて、一人ひとりが考えを深めます。
自分の心の内をみんなの前で話す「感話」にしても、生き方をじっくり語り合うディスカッションにしても、おそらく大人になってからではできない、この時を逃したら二度とできないような体験ではないかと思います。
ありのままの自分を出して語り合う。その中で、ああ、この人は本当はこんなふうに考えているんだと知り、自分ならどうだろう?と考える。中には、最初は面倒だな、と感じる生徒もいるかもしれませんが、感想文を読むと「行ってよかった」という声がとても多い。ある学年は、卒業後数年してから、同じ宿舎を借りて、有志で集まり自分たちの「修養会」を行ったそうです。
毎日の礼拝にしても、修養会にしても、フェリス生として過ごす中でじわじわと生徒の中に入ってくるもの、それを大切にしていきたいです。
自分は何をしたいのか、いかに生きるべきか、他者とどう向き合いどう振る舞うか……若い時代にはさまざまなことに悩みます。そんなとき、自分が本当に大切にすべきものは何なのか、道を照らしてくれる本に出合えたら幸せですよね。生徒たちにはそんな本に出合ってほしい。
今回紹介した『それでも人生にイエスと言う』も、以前取り上げた『悪童日記』も『「放射能汚染地図」の今』も、そんな思いを込めて選ばせていただきました。
取材・文/平林理恵 写真/稲垣純也




