従来の「海外旅行ガイド」の役割にとどまらず、新たなニーズを掘り起こしてヒットを飛ばす『地球の歩き方』。その立役者の1人であり、現編集長として柔軟な発想を取り込む由良暁世さんに、今回は旅気分に浸れる本を厳選してもらった。次の旅行先を探している人はもちろん、最近旅行から足が遠のいている人も必読のラインアップだ。

2002年から『地球の歩き方』の編集に携わり、現在は編集長を務める由良暁世さん。忙しくてなかなかまとまった休みが取れない人でも、思いっきり旅気分を味わえる本をセレクトしてもらった。
2002年から『地球の歩き方』の編集に携わり、現在は編集長を務める由良暁世さん。忙しくてなかなかまとまった休みが取れない人でも、思いっきり旅気分を味わえる本をセレクトしてもらった。

巨像、カレー… コロナ禍で生まれた旅の図鑑

 由良さんは、コロナ禍で人々の移動の自由が奪われたとき、「今だからこそ、旅行ガイドができることは何か」「『旅』の視点で世の中を明るくする何かが作れないか」と考えたという。

 「旅に行けないときでも、行きたい気持ちをなくしたくない、大切に温めたい。そう思っている人はきっと多いはず、と考えました。いろいろな制限があって、どうにもならないときこそ、好きなものに触れて力をもらいたくなるものですから」

 『地球の歩き方』編集部のそうした思いは、コロナ禍で誕生した「旅の図鑑」シリーズにつながった。このシリーズは、1つのテーマで世界を“横串”にする内容で、『 世界244の国と地域 』をはじめ、世界の「端っこ」を集めた『 地球の果ての歩き方 』、『 世界のグルメ図鑑 』や『 世界のカレー図鑑 』、『 世界のすごい巨像 』など、テーマはさまざま。読むだけで旅気分に浸ることができて、「この国に行ったら、ここに寄ろう」などと想像が膨らむ内容だ。

鈴木亮平さんのリアル過ぎる妄想旅行記

 プライベートでも、旅についての本を読んで楽しんでいる由良さん。「旅の図鑑」シリーズに負けず劣らずまるで現地にいるような「妄想旅行」を味わえるのが、『行った気になる世界遺産』(鈴木亮平著、ワニブックス)だという(現在は品切れ。古書店、インターネット書店、図書館などで入手することができます)。

『行った気になる世界遺産』(鈴木亮平著、ワニブックス、現在は品切れ。古書店、インターネット書店、図書館などで入手することができます)
『行った気になる世界遺産』(鈴木亮平著、ワニブックス、現在は品切れ。古書店、インターネット書店、図書館などで入手することができます)

 俳優として活躍しながら、仕事の合間に勉強して世界遺産検定1級を取得し、世界遺産マニアとして知られる鈴木さん。実際には「行っていない」世界遺産について、あたかも現地を旅しているかのように妄想を爆発させて自ら絵・挿絵・文章を書き(描き)下ろした内容だ。由良さんは「実際は訪れていないはずの土地なのに、まるで行ったとしか思えないような文章で、本当にすごい」と目を丸くする。

 「特に注目したいのが、世界遺産のことだけを書いているわけではなく、周辺の街の様子についても詳細に描写している点です。例えば、エジプトのピラミッドがあるギザについて、『驚いたことに、街中には信号がほとんどない』というくだりがありまして、私は実際にギザに行ったことがあるんですが、本当に信号がないんですよ。車優先の社会なので、道を渡ることが1つのアトラクションのように思えるほど大変なんです。その描かれ方がリアルで、本当に行ったとしか思えない感じでした」

 ものすごく下調べをしたのか、実際に行ったことがある人から聞いたのか、はたまた鈴木さんの想像力が優れているのか。世界遺産に対する並々ならぬ熱意と愛が伝わってくるという。

 「他の場所についても、読み終えるごとに『そうそう、本当にそういう場所だった!』と共感すると同時に、『あれ? でも、実際には行っていない場所のはずだよな…』と混乱せずにはいられません」と由良さん。行ったことがない人は想像を膨らませ、行ったことがある人は旅の記憶をひもときながら“答え合わせ”を楽しめる1冊だ。

停電のパレスチナで、チキン料理を仕上げる

 次の1冊は、「世界の台所探検家」という肩書を持つ岡根谷実里さんのエッセー、『 世界の台所探検 』(岡根谷実里著、青幻舎)。16の国と地域で、現地の人と一緒にご飯を作って食べる体験をつづった内容だ。各地で教わった料理レシピのほか、その土地ならではの食習慣や調理道具なども紹介している。

『世界の台所探検』(岡根谷実里著、青幻舎)/画像クリックでAmazonページへ
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 由良さんが本書の大きな特徴として挙げるのは、一般の人が行く機会が少なかったり、なかなか気軽に行けなかったりする場所を多く訪れている点だ。インドネシアの山奥、コロンビア、キューバ、コソボ、ボツワナ、ウクライナ、イスラエル、パレスチナなど、2020年の刊行から時間が経った現在は紛争・戦争状態となり、退避勧告や渡航中止勧告が出ている場所も含まれている。

 「日本人がなかなか行かないような場所で、信頼関係がなければ入れてもらえない家庭の台所で地元の方と並んで料理をし、ともに食卓を囲むというのは至難の業です。例えば、パレスチナでは停電が起き、苦労しながらチキン料理を仕上げたというエピソードが紹介されるなど、現地のリアルな暮らしぶりや社会背景も垣間見えます。1つの国・地域で1冊作ろうと思えばできるぐらい、きっと現地で濃密な時間を過ごしたに違いない、と想像せずにはいられません」

 もはや貴重なドキュメンタリーで、歴史的にも文化的にも価値が高いと言えるかもしれない。にもかかわらず、「淡々とした口調で、自分の思いを乗せ過ぎず、見たもの・食べたもの・現地の人の言葉をありのまま伝えてくれているところに引かれます」と由良さん。静かな筆致とフラットな視点が、かえって読み手の想像力を刺激するようだ。

乗り物で「南天の葉」を見ると酔わない?

 由良さんが、いろいろな人から「面白いよ」と薦められて読んだのが、文化7(1810)年に刊行された本が基になっている『 現代訳 旅行用心集 』(八隅蘆菴著、桜井正信監訳 、八坂書房)だ。

『現代訳 旅行用心集』(八隅蘆菴著、桜井正信監訳 、八坂書房)/画像クリックでAmazonページへ
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 本書は江戸時代の旅の心得をまとめたもので、旅の携行品をはじめ、乗り物酔いの対策、温泉でのふるまいなど、旅で注意すべき61カ条が記されている。現代人に負けず劣らず旅好きともいわれる、江戸時代の庶民に広く読まれたという。

 「江戸時代の人たちは、どんな思いで旅をしていたのか。そんな時空を超えた空想旅行を楽しめます。旅の初日に、草鞋(ぞうり)が足によくなじんでいるかを確かめる…など、現代にも通じる心得が結構あるんです。今も、新品の靴で旅に出たら靴擦れを起こすからダメだとよく言いますよね。旅にかかる費用を持って歩くには腹巻きの財布に入れていくのがいいというのも、私たちが勧める防犯対策とまるで同じです」

 乗り物酔いをしやすい由良さん。駕籠(かご)に酔う人は戸を開けて、駕籠の中に南天の葉を立て、それを見ながら乗ると酔わないという心得が特に印象に残っているという。「現代では実践する機会はなさそうですが(笑)、当時も同じ悩みを抱える人たちがいたのかと思うと、親近感が湧きました」

 牛のふんを草鞋の裏に塗って山道を歩けば、けものやヘビやマムシ、毒虫などが近づかない、相宿で酒盛りが始まって夜更けまで続く場合は、その酒盛りが済むまで、仲間内で順番に起きておく(トラブルを避けるために見張っておく)…などもある。当時ならではのユニークな心得を通じて、昔の旅人に思いを馳せるのもまた一興だ。

取材・文/茅島奈緒深 構成/大松佳代(日経BOOKプラス編集) 写真/洞澤佐智子