僕が中学生のときに国語を教えていただいた五十嵐裕先生は、ドイツ文学を学び、出版社勤務を経て開成の教員になった方で、ものすごい読書家。生徒の間には、先生が図書館にある本をすべて読破したという噂が流れていました。

 あの頃の図書館はまだ電子化されておらず、本の背表紙裏にカード入れが貼り付けられていて、そのカードに名前を書いて借りる方式だったんです。そして手に取る本、手に取る本、すべてに五十嵐先生の名前があったんですよ、いや、本当に(笑)。

 そんな先生に薦められて読んだのが、 『錦繍(きんしゅう)』 (宮本輝著、新潮社)です。

鎌田亨(かまたとおる)。開成中学校・高等学校 国語科教諭。1975年東京都生まれ。開成中学校、高等学校を経て、東京学芸大学を卒業、同大学院修了。趣味はオーボエ、ワイン、読書。現在、高校2年生を担任
鎌田亨(かまたとおる)。開成中学校・高等学校 国語科教諭。1975年東京都生まれ。開成中学校、高等学校を経て、東京学芸大学を卒業、同大学院修了。趣味はオーボエ、ワイン、読書。現在、高校2年生を担任
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 物語は夫の不倫で離婚した元夫婦が10年ぶりに偶然再会したことから始まり、2人の手紙のやり取りだけで進んでいきます。事態が進展したり新たな局面を迎えたりすることはなく、「せっかくだからちょっと会おう」なんてことにもならず、当然ながら2人が元サヤに収まるわけでもない。ただ淡々と、互いの過去の出来事や一緒にいたときには言葉にできなかった思いが書きつづられていくのです。
 設定といい展開といい、およそ中学生向きとは思えないこの作品を、先生がなぜ選び、どんな言葉で薦めてくださったのか。今となっては定かではないのですが、確かなのは、14歳の僕がこの静かな物語に心をつかまれてしまったということ。

昭和の大人のラブレター、心をぎゅっとつかむ言葉の魅力

 深い絶望と激しい嫉妬、怒り、そして悲しみ…、2人の間には埋めようもない溝があります。ところが、相手を思いやりながら自分を振り返り、気持ちを整理しつつ、本当の自分の思いはどこにあるのかを解きほぐしていくなかで交わされる手紙の言葉が、その溝を次第に埋めていく。
 感情をほとばしらせるわけではなく、どちらかといえば控えめなのに思いのしっかり伝わる、丁寧で美しい言葉の連なり。
 そして、気が付けば、2人はそれぞれの場所でそれぞれの未来を見つめているんです。

 ああ、これは主人公たちの再生の物語なのか。

 思わぬ事態に立ち会わされてしまった14歳としては、ぼうぜんとしながらも、彼らと一緒に自分の未来を見つめてしまいました、みたいな(笑)。

 と同時に、個人的には人生のかくも早い時期に、「恋愛とは清く美しいものである」という幻想から解き放ってもらうことにもなりました。まあ、それはそれで良かったのではないでしょうか(笑)。

「およそ中学生向きとは思えないこの作品。開成の先生に薦められて読んだ14歳の僕が、この静かな物語に心をつかまれてしまった」
「およそ中学生向きとは思えないこの作品。開成の先生に薦められて読んだ14歳の僕が、この静かな物語に心をつかまれてしまった」
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 ともあれ、あの深いしみじみとした読後感は、今も心に残っています。

 SNSはおろかメールさえなかったあの頃。草稿を練ってから便箋に向かい、たゆたう心をしたためる。来るか来ないか分からない返事を何日も何日も待つ。
 レスポンスは早いほど良し、というコミュニケーションをしている今の子たちは、これをどう捉えるんだろう。直情的に返すばかりでなく、ちょっと寝かせて考えてみることもやってみてほしいな。

 そんな思いもあって、先日若い現代文の先生が「ラブレターを書く」という授業をやると聞き、「生徒に紹介するならこの本がいいよ」と『錦繍』を薦めました。

 開成の生徒だからそうなのか、今の若い世代の特徴なのか、恋愛経験は全体的に乏しくて、ラブレターを書いた経験などない子がほとんど。だからこそ、この昭和の大人のラブレターの、心をぎゅっとつかむ言葉の魅力に触れてもらえたらいいなと思います。

 裁判記録をいくら読んでも見えてこない、当事者たちの内面が…

 感じているのにうまく言葉にできないことを鮮やかに言葉にしてくれるのが宮本輝さんであるとしたら、本人ですら気付いていないような感情をすくい上げ、それに言葉を与えてしまうのが山田詠美さんではないでしょうか。 

  『つみびと』 (山田詠美著、中央公論新社)は、2010年の夏、大阪市内のマンションに置き去りにされた幼い弟妹が餓死した実際の事件をモチーフに描かれた小説です。

 タイトルでもある「つみびと」は誰なのか? 

 もちろん実際の裁判で懲役30年の判決を受けた母親であることに間違いないのですが、読後はその確信が揺らぎます。自分に彼女を責められるのか? 人は人を裁けるのだろうか? という疑問が湧き上がってくるんです。
 なぜなら、この小説には、裁判記録をいくら読んでも見えてこない当事者一人ひとりの内面が描かれているから。

「タイトルでもある『つみびと』は誰なのか? 自分に懲役刑となった母親を責められるのか? 人は人を裁けるのだろうか? という疑問が湧き上がってくる」
「タイトルでもある『つみびと』は誰なのか? 自分に懲役刑となった母親を責められるのか? 人は人を裁けるのだろうか? という疑問が湧き上がってくる」
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 小説は、シングルマザーの蓮音、その母親の琴音、置き去りにされる子供の1人である桃太、3人の視点で進んでいきます。

 琴音は父や義父からの虐待というトラウマを抱え、幼い蓮音を置き去りにして家を出てしまったこと。蓮音は弟妹を抱え、「がんばるもん、がんばるもん」と唱えながら、誰にも頼ることを知らずに育ったこと。

 やがてシングルマザーとなった蓮音は、ギリギリのところで踏ん張っていたけれど、ある時それがフッと崩れ、幼い子供を死に至らしめてしまう。なぜそんなことをしてしまったのか、そもそも自分がどうしてこんなところに行き着いてしまったのか、彼女はそれを語る言葉を持っていません。
 恐らくずっとそうだったのでしょう。声を上げたこともあるけれど、誰も聞いてくれなかった、頼るなと背を向けられ続けた。孤立した蓮音は、「もう、どうにもなんないんだよ…」と諦め、「いいや、もう」と流されて生きてきた。
 『つみびと』の中では、そんな蓮音の言葉にならない心の叫びが、つぶさに明かされていきます。

 桃太の目線で語られるパートは、その最たるものといえるかもしれません。母が大好きで、母を守ろうとさえし、飢えと渇きの中でも母を慕い続けた桃太。その心の内を語る文章は4歳児の言語能力をはるかに超えたものではあります。でも、もしも桃太が言葉を持っていたら、きっとこんなふうに話しただろう、桃太はこう感じていたはずだ、と思わされるんです。

 語る言葉を持たない人の内面に分け入って、言葉を尽くしてその人の思いや人生を語る。これこそ、裁判はもちろん、ノンフィクションにもできないけれども、小説にだけできることなのではないでしょうか。

「この小説は、シングルマザーの蓮音、その母親の琴音、置き去りにされる子供の1人である桃太、3人の視点で進んでいきます」
「この小説は、シングルマザーの蓮音、その母親の琴音、置き去りにされる子供の1人である桃太、3人の視点で進んでいきます」
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生徒たちに「読め」「読め」と押し売りしてしまう

 新作が出るのを心待ちにするような作家がいるというのは、とっても豊かなことだと思います。僕にとって山田詠美さんはまさにそんな存在で、何ていうのかなあ、いつも気の利いた面白いことを言ってくれる芸術家肌の知的な友達がいるような、そんな感覚になれるんです。だから、生徒たちにも、ことあるごとに「読め」「読め」と押し売りしてしまう(笑)。

 本に限らず、自分の見つけたおいしいレストランやお酒を紹介し、その良さを友人とシェアできるというのはうれしいものです。山田詠美作品はまさに自分にとってその一つであり、生徒がその魅力に取りつかれている姿を見ると、国語教師の役得だなって思うんですよ。

「僕が薦めた作品の魅力に生徒が取りつかれている姿を見ると、国語教師の役得だなって思うんです」
「僕が薦めた作品の魅力に生徒が取りつかれている姿を見ると、国語教師の役得だなって思うんです」
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 というわけで、最後にもう1冊、昨年出版された 『血も涙もある』 (山田詠美著、新潮社)を紹介したいと思います。登場するのは、50歳で有名料理研究家の妻、10歳年下で売れないイラストレーターの夫、妻の有能なアシスタントでもある35歳の夫の恋人の3人。

 章ごとに語り手が替わり、それぞれの言い分が語られるのですが、そんなこと考えているのか! こんな感情を持つか、普通? とツッコミを入れたくなるような場面が随所に。結局、不倫であれ、なんであれ、世の中当事者にしか分からないことだらけなんですね。
 理性ではいけないと分かっていても、どうしてもルールから外れちゃうのが人間というもの。良いか悪いかを超えた心の奥底にあるものに気付かせてくれる。まさに、小説を読む醍醐味が堪能できる1冊だと思います。

「新作が出るのを心待ちにするような作家がいるというのは、とっても豊かなこと。僕にとって山田詠美さんがそうです」
「新作が出るのを心待ちにするような作家がいるというのは、とっても豊かなこと。僕にとって山田詠美さんがそうです」
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開成高校の2年生に、最近読んだ本を聞いてみると

 先日、担任をしている高校2年生のクラスのグループLINEで、「最近読んで、面白かった本を教えてください」と流したら、みんなクラスLINEでは教えてくれないんですけど、個別メッセージに山ほど返信が来ました(笑)。

 一番人気だったのは、西尾維新の「<物語>シリーズ」(講談社)。化物語、傷物語、偽物語…、とても多くの生徒が読んでいる感じでしたね。

 もう少ししっかり読んでいる生徒だと、村上春樹、伊坂幸太郎、川上未映子、村田沙耶香、伊藤計劃、中村文則、辻村深月、凪良ゆう、住野よるの作品。ヘルマン・ヘッセやドストエフスキーなどの作品を読んでいる生徒もいました。

 近ごろの子は本を読まなくなったといわれて久しいけれど、開成の生徒も読む子は読むし、読まない子は読まない。授業で教師がどんなにいい話をしても、寝る生徒もいる。いつの時代もこれは変わらないのではないでしょうか。

 国語教育とは何か? 論理的な文章を読みこなしたり、実用文を書いたりする力はもちろん大切ですが、お話ししてきたように、小説を含む文学作品だけが連れていってくれる場所って確実にあるんです。

 できるだけ多くの人に納得されるように書かれなければならない文章がある一方で、そうとしか表現されえない人の心の存在を知る。善悪を超えた、合理的か否かを超えた、もっと深いところにあるものにも思いを巡らせるきっかけをつくってくれるのが、文学ではないか。

 だから、国語教師としては、少しでもたくさんの生徒たちにその魅力を伝えていきたいし、ひいては異なる存在を互いに認めることのできる力を、子供たちには持ってほしいと願い続けています。

「善悪を超えた、合理的か否かを超えた、もっと深いところにあるものにも思いを巡らせるきっかけをつくってくれるのが文学。国語教師として、生徒たちにその魅力を伝えていきたい」
「善悪を超えた、合理的か否かを超えた、もっと深いところにあるものにも思いを巡らせるきっかけをつくってくれるのが文学。国語教師として、生徒たちにその魅力を伝えていきたい」
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取材・文/平林理恵 写真/稲垣純也