好評いただいております日経BOOKプラス「手前みそ」企画。昨年12月に続いて井口哲也・日経BP社長CEOが参戦です。2026夏編もお薦めの「日経の本」を全力で紹介してまいります。今回のテーマは【「AIの先」の世界を読み解く】。厳選3冊をお届けします。
夏休みの季節、皆さんいかがお過ごしでしょうか。以前、一度だけ私が登場した日経BOOKプラスの「手前みそ」企画。今回は「『夏休みのおススメの本』として書いてください」という長野洋子編集長の容赦ない取り立てに追われて今、筆をとっています。これを書き終わらないと夏休みがとれません(泣)。
人類とテクノロジーの関係、ついに逆転か
ひょっとしたら2026年は人類とテクノロジーとの関係が逆転する歴史の転換点になるのではないか。今年の年初から、そんなことを考えています。きっかけは年明け早々に起きたアメリカによるベネズエラへの侵攻。初めてAIが軍事作戦に実戦投入された例になったとされます。衛星やドローンから送られる映像データなどをAIで分析。前線の部隊に指示を出して、あっという間にマドゥロ大統領を拘束しました。
約2カ月後の2月末、今度はイランでアメリカとイスラエルが共同で軍事攻撃を開始。その日の内に最高指導者のハメネイ師を殺害しました。ここでも実質的な作戦指揮をとったのがAIを使ったシステムです。
オーストラリア軍関係の情報サイト「The Cove」に掲載された専門家の分析記事によれば、AIシステムは最初の24時間に1000を超す攻撃候補を推奨したそうです。1分半ごとに新たな攻撃目標を提案してくる計算。最終的な決断をするのは人間とはいえ、熟慮する暇などまったくないスピードです。人間中心の指揮命令系統はAIのスピードに追いつけなくなり、既存の軍事意思決定の枠組みは崩壊しつつある、と記事は指摘しています。
テクノロジーは人間が使いこなす道具として発展してきたというのが私の理解でしたが、AIの急速な進化は人間が最後のボタンを押すだけの「道具」に成り下がっていく未来を示すかに見えます。そのうちボタンを押す最終決定権もAIに奪われていくのかもしれません。
米国が使用した軍事作戦用のAIシステムを開発したのが米Palantir Technologies(パランティア・テクノロジーズ)です。『 テクノロジカル・リパブリック 国家、軍事力、テクノロジーの未来 』(アレクサンダー・C・カープ 、ニコラス・W・ザミスカ著)は、ピーター・ティール氏と並ぶパランティアの共同創業者で、最高経営責任者(CEO)を務めるカープ氏らが著した一冊。20年にも及ぶアメリカ史上最長の戦争が続いたアフガニスタンで、パランティアが軍事情報システムの構築にどう関与していったかについて一部の章で書いています。
民間システムの導入を頑なに拒んでいた米陸軍に対して訴訟を起こすという手段まで使って、この分野で地歩を築いてきた執念。それがベネズエラやイランにおける軍事作戦において「影の主役」ともいえる地位に同社を押し上げていったと言えそうです。
「高度に進化したAIは、アメリカと同盟国の地位を脅かすチャンス、第二次世界大戦以来の世界秩序に挑戦するチャンスを敵対国に与えかねない」。筆者らはこうした危機感を訴えたうえで「(シリコンバレーのエリート技術者は)国防と国家理念の立案にもっと積極的に関わる義務がある」と主張します。AIの力が国家の最高権力者をその地位から簡単に引きずり下ろしてしまう時代。国家の存亡をかけたAIの開発競争にテック企業もいやおうなく巻き込まれていくことになりそうです。
パランティアが中心になって開発したAIシステム「Maven Smart System(MSS)」が生まれた経緯を米ジャーナリストが徹底的な取材で再現した『PROJECT MAVEN A Marine Colonel, His Team, and the Dawn of AI Warfare』(Katrina Manson著)も日経BPで日本語訳の版権を取得しました。来年春ごろに刊行の予定ですので、こちらもぜひ合わせて読んでみてください。
早熟の天才が描く「AIの理想郷」、その成否は
国家間の攻防だけではありません。AIの進化は企業間の競争や社会における富の配分などにとてつもないインパクトをもたらすことになりそうです。金融市場では今年、取引の大半をAIが実行するようになるとも言われています。米アンソロピックが開発した「Claude Mythos(クロード・ミュトス)」を巡る一連の騒動が示すように、サイバーセキュリティもAI対AIの攻防に移行しようとしています。
そう遠くない将来に量子コンピューターの実用化も加わり、AIは人知をはるかに超える存在となっていく。そこで起きるのは何か。「先を見通せる人」はその膨大な計算能力を使ってはるか前へと進み、そうでない人は後に取り残されたまま、という厳しい現実かもしれません。
そんなことを考えながら手に取った一冊がシリコンバレーで長く取材してきた中国人ジャーナリスト、周恒星(ジョウ・ホンシン)氏による『 サム・アルトマン評伝 AIで世界を変えた男の正体 』です。8歳の時に買ってもらったパソコンを使ううちに「このコンピューターが思考できるようになるときが、いつの日かやってくる」と考えるようになったアルトマン氏。OpenAI(オープンAI)の創業により、幼い頃に得たビジョンを現実のものにしたのは彼が30歳になった2015年のことでした。
そんな早熟の天才、アルトマン氏は「AIの先」に何を見ているのか。2021年に「あらゆるものにムーアの法則を(Moore's Law for Everything)」と題した長文の記事を自身のブログに掲載した彼はこんなことを書いているそうです。「AIが世界の基本的な商品やサービスのほとんどを生産するようになると、人々は大切な人と一緒に過ごしたり、誰かのケアをしたり、芸術や自然を愛でたり、社会貢献活動に取り組んだりすることに、もっと時間を使えるようになるだろう」
もっともそんな理想郷にたどり着くためには、AIが引き起こすであろう今以上の国家間や社会の中での激しい富の偏在を緩和する仕組みが欠かせません。アルトマン氏も当然、それを意識。労働ではなく資本に対して課税する仕組みにシフトし、所有権と富を市民に直接分配することを提唱しています。
さらにはそうした富の配分を実現するためのイノベーションとして、目の虹彩の読み取りによる個人認証を使って暗号資産を配る「ワールドコイン」の構想も2023年に発表しています。もっともそれを実現するための政治的、社会的なハードルも高く、そうした「制御装置」を実現できなければ、すでに軋み始めた世界はさらに混乱の極みへと進んでいく恐れもあります。アルトマン氏ら一握りの天才に任せるのではなく、私たちみんなが考えていかなくてはいけない課題です。
“創造主”をめぐる「夏の夜のミステリー」
せっかくの夏休みです。たまにはもっと大きなことも考えてみるのもいいかもしれません。最後のおすすめはITエンジニアのミシェル=イヴ・ボロレと起業家のオリヴィエ・ボナシーの共著で、フランスで刊行され25万部のヒットとなった『 神と科学 世界は「何」を信じてきたのか 』です。
それによると、1998年に宇宙の膨張の加速が発見され、宇宙の最終状態と考えられる「宇宙の熱的死」が結論づけられた。宇宙に「終わり」があるとしたら、それは必然的に「始まり」があったことを示唆する。そうだとすれば、すべての始まりには何か外部的な要因、すなわち「つくり手」の存在があったはずだ、というのが筆者らの主張です。
生命の秘密もしかりです。本来は不活性な物質がどうすれば生命へと移行するのか。さまざまな実験が繰り広げられてきたが、不活性物質と生命の間に横たわる深淵はほとんど解明できていない。「生命が始まるのは、最初の機能的細胞からだけだ。その細胞は、もっとも原始的なものでも、少なくとも数百の異なる特別な高分子からできている。このようにすでに本当に複雑な構造を、どのように組み立てることができたのか? 私には謎のままだ」。1978年にノーベル賞を受賞したスイスの微生物学者、ヴェルナー・アーバーはこんな言葉を残したそうです。
米日欧などの世界の英知を集め、ヒトのDNAに含まれる約30億の塩基対の解読をめざして1990年に始まったヒトゲノム計画はその終了までに13年を要しました。今は最短で数時間とも言われます。AIの進化や量子コンピューターの活用で、宇宙や生命の起源に関する論争にもいずれ結論が出るのかもしれません。その時、人間は「創造主」の地位をついに手にするのか、それともしょせんは「創造主」の手の上で踊らされるだけの存在であることを突きつけられるのか。極上の「夏の夜のミステリー」として楽しんでみるのもいいかもしれません。
写真/長野洋子 構成/坂巻正伸 (日経BOOKプラス 手前みそ班)






