昨年、高校3年生の現代文の授業で、大学入学共通テスト対策を行っていたときのこと。生徒たちから「正解とされる選択肢にこう書いてあるけど、そんなこと文章中のどこに書いてあるんですか?」という質問が出た問題がありました。
「本文のここに、こういう言葉があるところから考えるんだよ」
「なんで、それが選択肢の文章とつながるんですか?」
そういった生徒は、文章で使われている言葉を追うことはできても、それらを有機的につなぐことが苦手で字面通りに受け取ってしまう。そのために言葉を変えて説明されると、本文と同じことが述べられているのかわからなくなるんですね。
数学と違い、国語は理詰めで解にたどり着けない
私が本文の言葉と選択肢の言葉を結びつけると解説をすれば、その後の理解は早いのですが、「だったら、最初からそう書いてくれればいいのに」という不満もチラホラと(笑)。
数学なら、証明の過程をはしょってしまうことはないし、理詰めで考えることで唯一解にたどり着くこともできる。ところが国語はそうはいきません。言葉を頼りに、目に見えない過程をたどっていく必要があります。
それで、「これだから国語は苦手です」ということになってしまうんですね。
豊島岡女子学園は理系の生徒も多く、そういった生徒は物ごとを数値化して捉えたり、仮説を立てて検証したりすることが得意です。でも、理系であれ文系であれ、言葉への感受性を研ぎ澄ますことは絶対に必要です。なぜなら、言葉は世界を理解するための最高のツールだから。言葉があるから、私たちは考え、多様なこの世界を理解することができるのです。
この言葉の持つ特別な力をみんなに伝えたい。そんな思いから、今回の4冊を選びました。
辞書編さん者の意志や思いが詰まっていることに圧倒される
1冊目は、三浦しをんさんの小説 『舟を編む』 (光文社)。出版社の辞書編集部を舞台に、新しい辞書『大渡海』の完成に向けて奮闘する人々が描かれます。
ストーリーは決して華やかではなく、たんたんと地味な辞書づくりの作業が続きます。長い長い時間をかけ、人と人との意志をつなぎながらの地道な作業の繰り返し。
その一方で、そこに集う人々の言葉にかける熱量たるや半端じゃありません。辞書づくりに魅入られた主人公の編集者・馬締、日本語研究に人生をささげる老学者、ベテラン編集者、同僚たち……。みんなを巻き込んで心を1つにまとめ、言葉の海を自由に航海するにふさわしい舟「大渡海」を、13年という途方もない時間をかけて編んでゆく。
その過程で描かれる、言葉に込められた意味の豊かさ、ニュアンスの違う言葉の微妙な使い分け、1つの言葉の広がりと意外なほどの奥行き。辞書に並んだ言葉は決して無機質なものではなく、誰かがその言葉を選んで入れたのです。一語一語を繊細に取捨選択し、さらに用例を吟味し尽くした結果がそこにある。一つ一つの言葉すべてに、作り手の意志や思いが詰まっていることに、圧倒されてしまいます。
さらに言葉は、辞書を編んだ彼らの人生にも輝きをもたらしていきます。モヤモヤした気分やどうしようもない感情が、ある言葉に出合えたことでクリアになることって、ありますよね。言葉が1つ与えられたことで、世の中の見通しが良くなることだってある。言葉に触れること、言葉について考えることが、その人の人生に影響を与えていく。そんな言葉の力をしみじみと味わわせてくれる作品だと思います。
実は、私自身にも似たような経験があります。大学時代に『源氏物語』の研究をしていたとき、過去を表す言葉の微妙な違いに興味があって、用例をたくさん調べたんです。意味としては同じなのですが、よくよく調べればニュアンスは少しずつ異なる。やはり違う言葉を持っているということは、それぞれが指し示す内容やそこに込められた思いも微妙に異なるということなんですね。あのとき、自分はその細やかなニュアンスをしっかり捕まえられる人でありたいな、と思いました。もしかしたらそれが今の職業につながっているのかもしれません。
「わわわ、そう来たか!」大笑いしながら楽しめる国語辞典
2冊目にご紹介したいのは、『舟を編む』の『大渡海』とはまったく異なるタイプの辞書、 『倉本美津留の超国語辞典』 (倉本美津留編著/朝日出版社)です。
編著者の倉本美津留さんによると、「慣用句、擬音語・擬態語、人名、漢字、熟語、外来語……全部ひっくるめて実は面白だらけの日本語の多様性を、新たな方法で仕分けてまとめなおしたのが、この辞典だ」とのこと。
仕分けの方法は、笑えるほど自由です。たとえば、「大げさな表現」として、「血眼(ちまなこ)になる」「断腸(だんちょう)の思い」「溺愛(できあい)」「必死(ひっし)」などを並べたかと思うと、コスパのいいお得な読み方の漢字として「承(うけたまわ)る」「慮(おもんぱか)る」「忝(かたじけな)い」。「そんなたとえやめてくれ」という項目では、「五月蠅(うるさ)い」「烏合(うごう)の衆」「犬死(いぬじに)」など、動物が耳にしたら確かに「やめて」と文句を入れてきそうな動物を使った言葉がずらり。
最初にページをめくったときの感想は「わわわ、そう来たか」。「こんな切り口があったのか」。そして、大笑いしながら楽しみました。この痛快さは、言葉の自由さにつながるのでしょう。思いもよらぬアプローチで、日本語はさらに面白くなる、これは新しい愉快な発見でした。
とにかく間口の広そうな本なので、「国語が嫌い」なんて言っている生徒たちに、ちょっと楽しみを見つけてもらえるかも、と考え、担当していたクラスで紹介したことがあります。教室の後ろにしばらく置いておいたら、何人かは手に取って、面白がってくれたようです。
言葉とは本質的にいろいろな切り口を持った自由なものなんですね。だから、世界を理解するための道具として優れているし、新しいものを生み出すことにつながる可能性もある。そんな言葉を自由に楽しく使ってもらえたらいいなと思います。
『舟を編む』に戻りますが、主人公の編集者・馬締くんの恋人は、女性の板前さんです。彼女は料理の修業のためには言葉が必要で、「おいしい料理を食べた時、いかに味を言語化して記憶しておけるか」が板前にとって大事な能力だと言っています。
つまり、何かを記憶するにも、新しいものを生み出すにも言葉がいる。ここでご紹介した2冊は、言葉というツールが、私たちの可能性を広げることにも役立つということを教えてくれる本であると言ってもよさそうです。
取材・文/平林理恵 写真/稲垣純也