「ブルーカラービリオネア」という言葉が生まれるなど、注目を集める高収入ブルーカラー層。その実像を、新刊『 ブルーカラー年収1000万円時代(日経プレミアシリーズ) 』から紹介するシリーズ。今回は「すし職人」。「ブルーカラー」の定義はあいまいだが、デスクワーク中心の「ホワイトカラー」に対置する概念と捉えれば、ノンデスクワークの飲食業や接客業もブルーカラーだと捉えられる。特にすし職人は、ホワイトカラーからの転身も目立つ。(登場人物の肩書や所属、年齢などは、原則として2026年7月末を基準とする)。

(写真=竹井俊晴)
(写真=竹井俊晴)

 東京・新宿ですし店「すし日和」を営む清水和輝氏(37歳)は、2024年8月の開業からわずか2年で、人気店に育てた。

 4年前まではIT(情報技術)企業に勤める会社員で、飲食業の経験はゼロ。そこからすし職人として腕を磨き、会社員時代に培った営業力やITの知識をすし店の経営に生かし、成功した。「すしを握る技術は(機械やロボットを自律的に動かす)フィジカルAIが進化しても、そう簡単には代替されない。しかし、ただ握るだけで高収入を得るのは難しい」(清水氏)

 清水氏の歩みを振り返ると、会社員からすし職人に転身して成功する条件が見えてくる。

「すし日和」のカウンターに立つ清水和輝氏(写真=竹井俊晴)
「すし日和」のカウンターに立つ清水和輝氏(写真=竹井俊晴)

 清水氏は真剣な表情で、仕入れた魚を切りつけ、慣れた手つきで一貫ずつ握っていく。店には正社員5人とアルバイト1人が在籍するが、清水氏自身も週5日、カウンターに立つ。

 おまかせコースは約1万2000円で、高級店と大衆店の中間に位置する価格帯だという。ネタの良さに加え、客の好みに応じたきめ細かな接客で、価格以上の満足感を生み出すことを目指す。

 24年8月開業、初年度の売上高は約4200万円。開業2年目の売上高は7000万円を見込む。清水氏の収入は、会社員時代から大幅に増え、年収は約1500万円に達する見通しだという。

「すし日和」の入り口と店内。高級店と大衆店の中間に位置する(写真=竹井俊晴)
「すし日和」の入り口と店内。高級店と大衆店の中間に位置する(写真=竹井俊晴)

 売り上げを伸ばすとともに、清水氏が店に立つ時間は短くなった。開業後の最初の1年はほとんど店を休まず、仕込みから片付けまで現場で働いた。従業員が増えた現在は通常、午後1〜2時に出勤し午後10時過ぎに店を出る。

 市場へ行く日だけは午前中から働く。店の営業がない日も原価管理や集客に取り組むため、完全に仕事をしない日はない。それでも、「何時に何をするかを自分で決められる自由は、かなり持てるようになった」と話す。

「会社の看板を外したら、自分には何もできないんじゃないか」

 清水氏は大学卒業後、東レの子会社で約10年間、法人営業を担当した。その後、より大きな裁量を求めて立ち上げ直後のITベンチャーへ移り、製造業向けソフトウエアの営業に携わった。

 ITベンチャーに勤務していた会社員時代の年収は約550万円だった。大企業からベンチャーへ移って、期待通りに自分で判断できる場面は増えた。しかし、同僚のエンジニアやマーケティング担当者と比べると、自分には明確な専門性が乏しい気がした。

 「会社から一歩外に出て看板を外したら、自分には何もできないんじゃないかと思った」と当時の胸の内を明かす。

 食にはもともと興味があり、飲食業への転身を考え始めた。その思いを決定づけたのが、あるイタリア料理店での食事だった。カウンター席で目の前に立つシェフとやり取りしながら料理を味わう店の在り方に魅力を感じた。顧客の反応をダイレクトに感じ取れる仕事に心引かれた。

 飲食の道に進むと決めると、時代が変わっても廃れにくく、自分一人で仕事を完結できる技能は何かと考えた。そこで思いついたのが、すし職人だった。

 すしなら、仕込みから調理、提供、接客まで、カウンター越しに一人で完結できる。組織の一員として働く会社員とは異なり、自分一人で店のすべてを動かせる点に魅力を感じた。

 しかも、すしは世界に通用する日本の食文化である。職人が握る姿が格好いいという単純な憧れもあった。

 ただ、何より引かれたのは、客と向き合いながら料理を提供するカウンター型の業態であることだった。「振り返れば、すし職人でなくてもよかったかもしれない。カウンター型の店をやるだけなら、イタリアンでもよかったのに」と笑う。

「会社から一歩外に出て看板を外したら、自分には何もできないんじゃないか」という感じていた清水氏は「カウンター型の飲食店」に活路を求めた(写真=竹井俊晴)
「会社から一歩外に出て看板を外したら、自分には何もできないんじゃないか」という感じていた清水氏は「カウンター型の飲食店」に活路を求めた(写真=竹井俊晴)

33歳、約100万円のすし職人育成コース「お金で時間を買う」

 清水氏は22年8月末、33歳でITベンチャーを退職した。翌9月、すしの基礎技術を教える東京すしアカデミー(東京・新宿)に入校し、約2カ月の「集中特訓コース」で魚のさばき方や仕込みなどを学んだ。受講料に加えて包丁などの道具代もかかり、合計100万円弱を貯金から投じた。

 最初に掲げた目標は、「3年以内に自分の店を持つこと」だった。

 清水氏が当時調べたところによると、すし職人になる道としては、有名店で修業を経て独立するというのが、かつては一般的だった。多くは10代で働き始め、30代、40代で独立する。若者が給料を得ながら修業できるのはメリットかもしれないが、すでに33歳になっていた清水氏が同じ道をたどれば、自分の店を持つときには40代。それは遅過ぎる。

 「お金で時間を買って、修業期間を短縮した方がいい」と考え、東京すしアカデミーを選んだ。

 卒業後は、まず「間借り営業」をした。

 間借り営業とは、既存の飲食店が営業していない空き時間に店舗を借り、実験的に別の店を営業すること。清水氏は間借りしたい店の条件を考え、それに合う飲食店を探した。これぞという店を見つけると飛び込み、全く面識のない店主に「店を貸してほしい」と交渉した。

 実際に間借り営業を始めたのは、22年12月。東京すしアカデミーの卒業からわずか2カ月後だった。

 間借り営業を選んだのも、独立までの時間を縮めたかったからだ。間借りなら初期費用を抑えながら、実際の営業を体験できる。その過程で、集客や価格設定、原価管理などの勘所も身に付く。

 練習の意味合いが強かったので、当初はコースをほぼ原価の5000円程度で提供した。

 集客にはX(旧ツイッター)を使い、すしに関心のありそうな人を見つけると一人ずつフォローした。その中から、面識のない客も来店するようになった。

 独立準備を続けながらも、すしを握るトレーニングの機会を増やすため、23年4月からは新橋駅近くの人気すし店で社員として働いた。勤務は週4日。残りの3日を間借り営業などに充てた。勤務先の店舗も休業日に間借りし、人気すし店の顧客に自身の認知を広げた。こうした活動と並行して、間借り営業における価格を少しずつ引き上げていった。

独立準備を続けながらも、すしを握るトレーニングは欠かさなかった(写真=竹井俊晴)
独立準備を続けながらも、すしを握るトレーニングは欠かさなかった(写真=竹井俊晴)

 間借り営業を始めた頃は月収約20万円まで落ち込んだが、それにすし店の社員としての給与が加わり、独立前には年収約500万円まで回復。会社員時代に近い水準へ戻した。

 この時期は試行錯誤が多かった。「すしを握る技術を磨いただけでは、店の運営の他の部分でつまずく。仕入れや集客など、いろいろな力が必要だとよく分かった」(清水氏)

開業時から「完全予約制」を選択、好循環を生む

 24年8月、とうとう「すし日和」を開いた。

 開店当初から完全予約制を選んだ。予約の受け付けを始めると、わずか2日で最初の1カ月分が埋まった。人気店で握った実績に加え、間借り時代から通う固定客がついていたためだ。その後の売り上げの伸びを支えたのも、リピーターだった。

 26年6月にも月間売上高の過去最高を更新。今も顧客は半数以上がリピーターだという。

 完全予約制で席が埋まるならメリットは大きい。予約で来店人数を把握できれば、必要な魚の量を見通しやすい。廃棄を減らせる分、より良いネタを使える。ネタの良さに満足した客が次の予約を入れ、再び席が埋まる好循環をつくった。

 「ITベンチャーで働いた2年間で、ITリテラシーはかなり高まった。それが、いま店の運営に生きている」と清水氏は話す。

 店はビルの5階に位置する。通りがかりに店の存在に気付き、興味を持つ人はまずいない。新規客の獲得にはSNSやグーグル広告などインターネットを主に使う。予約1件を獲得するのにかかった費用を示すCPAを見ながら広告費を調整する。

 同時に力を入れるのが、既存客の満足度アップだ。ホテルなどでも使われる顧客管理システムを導入した。顧客一人ひとりの苦手な食材や好みのシャリの大きさ、食べる量、来店時に会話したことなどを記録し、従業員と共有する。

 「前に話したことや好みを覚えてもらえていたら、やっぱりうれしい。『自分は少し特別な客だ』と感じてもらうことが大事だ」(清水氏)

 ただ、すべての試みが実を結んだわけではない。

新店舗の挫折で「すしというコンテンツの強さ」を再認識

 25年3月には同じビルのすぐ隣の空き店舗を借りて日本酒バーを始めたが、経営は軌道に乗らなかった。そこで約1年で業態を切り替え、26年4月に「すし日和」の「はなれ」という位置付けで、2つの店を統合した。日本酒バーをすし店に転換したところ、売り上げも伸びた。「すしというコンテンツの強さを改めて感じた」と清水氏は振り返る。

軌道に乗らなかった日本酒バーは、「すし日和」の「はなれ」という位置づけで、すし店に転換した(写真=竹井俊晴)
軌道に乗らなかった日本酒バーは、「すし日和」の「はなれ」という位置づけで、すし店に転換した(写真=竹井俊晴)

 カウンター越しの接客に魅力を感じて飲食業を志した清水氏だったが、実際にやってみると意外に難しく、当初は苦戦したという。営業職が長く、話すのが苦手というわけではない。しかし、飲食業でのアルバイト経験すらなかった。

 「会社の営業なら、お互いに話す目的も利害関係もはっきりしている。でも、すし店でカウンター越しに交わす会話はそうではない。店に来る人の目的は人それぞれで、相手のことを何も知らないところから始まる。どのくらいの距離感で話せばいいのか、最初は全然分からなかった」(清水氏)

 会話を楽しみたい客もいれば、静かに食べたい客もいる。相手との距離感には今も難しさを感じる。しかし、店の口コミには「サービスが気持ちいい」との声も寄せられる。「自分で言うのは恥ずかしいけれど、人当たりがいいとはよく言われる。そこは生かせているのかなと思う」(清水氏)

海外でも人気、すし職人はAI時代こそ強い

 AIの進歩が人間の仕事にもたらす影響について、清水氏も考えることがある。「すしは何百年も続く食文化であり、これから20年、30年でなくなるとは思えない。海外でも人気があるし、職人の仕事は奥が深い。すしを握れるスキルは、めちゃくちゃ強力な武器だ。繊細な仕事だから、フィジカルAIがさらに進化したとしても、完全に代替するのは難しいのではないか」と話す。

 もちろん、すしを握る技術だけでは稼げない。「会社員時代の経験も、すしの仕事に生きていると思う」(清水氏)。すし店の経営に必要とされるスキルは幅広い。ネタの仕入れもあれば、ITを活用した新規客開拓と既存客のフォロー、損益管理、従業員の指導など。異業種で培った力は確実に生きる。だからこそ、清水氏は年収1500万円に達しようとしている。

 清水氏は今後、若手職人に握りを任せる日を設け、自身が店に立つ日を徐々に減らす考えだ。そこで生まれた時間で次の事業の構想を立て、新たな出店も見据える。「それがすし店なのか、違う業態なのかは決めていない」。会社の看板に頼らず、自分の腕と頭で事業を動かし、自由に働く。

 33歳で会社員を辞めて求めた生き方は、すし職人の枠を超え、次の事業へ広がろうとしている。

会社員を辞めて4年で2店舗を軌道に乗せた清水氏。次の事業の構想を立てている(写真=竹井俊晴)
会社員を辞めて4年で2店舗を軌道に乗せた清水氏。次の事業の構想を立てている(写真=竹井俊晴)

[日経ビジネス電子版 2026年9月15日付の記事を転載]

人工知能(AI)で激変する労働市場。じわり増える高収入ブルーカラー層の実像から、ホワイトカラーが揺らぐ時代の針路を探る。大工に電気工事士、すし職人、アパレル販売員、マグロ漁船の船員、米農家……そして米国事情まで。19人の実例を綿密に取材。学歴やスキル以前に需給で決まる報酬の現実を捉える。

佐藤斗夢、大西孝弘(著)/日経BP/1210円(税込み)