12年働いた中堅システムインテグレーターをやめようと決心していたSEの後藤智彦。担当企業の緊急トラブル対応に出かけた彼はそこですご腕の先輩SEの五十嵐優一と出会う。待遇や転職の疑問を五十嵐にぶつけてきた後藤は、ずっと気になっていたある問題について聞く。(この物語はフィクションです)
五十嵐さんの話は理解できたし、今の会社のよさもたくさんあることを理解できた。だが、メリットを数えて転職するのは、今の自分の素直な気持ちとは違う気がした。こだわっているのは、現状への不満・危機感。そして、もう1つ……。
「五十嵐さん、ぼくは平凡な人生よりも、成功したいです」
「成功」という抽象的な言葉に、五十嵐さんも春村さんも、目をパチクリさせた。
ここまで駄々っ子のようなことを言ってきたぼくだからこそ、まだ言うのか、と驚いたのかもしれない。
「ふむ……。具体的には?」
「人生って一回きりじゃないですか。なのに、このまま評価されずにSEを続けるより、みんなが『すごい』って認めてくれるような成功をしたいんです。そのためには、AI(人工知能)だったりDX(デジタルトランスフォーメーション)だったりクラウドだったり、最新の仕事をしたほうがいいと感じているんです」
「まあ、気持ちはわからんでもない」
「別に最新の仕事じゃなくてもいいんです。会社をやめてITベンチャーを立ち上げて社員を30人も抱えている高校の同級生がいます。人気予備校講師になった同級生は本を出したり、ちょっとですがテレビに出たりしています。広告代理店に入って国際的な賞を受けたのもいます。そういうのを見ていると、焦るんです。少なくとも、今のような未来がない会社にいてはいけないって」
「上を見てたらきりがないぞ。人それぞれ。比べちゃ駄目だろう。他人と比べることは、ネットに他人の悪口を書き込むくらい無駄だと思う」
「ネットへの書き込みですか……。たしかにあれは無駄だと思います」
「後藤もそう思うか」

「だいたい、ネットなんて嘘の塊です。なのに、その一面だけを見て、批判するなんて、なんなんでしょう」
「ネットニュースは切り取りが多いからなー。一部の不適切な行動や発言だけを切り取って、ニュースにする」
「そして、みんながそれに乗っかってたたくという構図ですね」
「テレビで、こんな言葉を聞いた。『正義はお金のかからない一番の娯楽』。ネットに芸能人や政治家の悪口を書くのって、正義を振りかざしている自分に満足しているんだ。よっぽど暇だなと思う」
「ですね。ぼくは自分や家族のことで頭がいっぱいで、他人の失言とか、芸能人の不倫とか、どーでもいいです」
「ま、サラリーマンの仕事も、ネットの書き込みをしているのと同じくらい無駄な仕事も多いけどな」
「残念ながら、そうかもしれません」
ぼくはつい、服部課長の仕事ぶりを思い出してしまった。
「仕事なんて雑務ばかりだ。特に管理職は、感覚的には8割が雑務だ。もちろん、残る2割でやりたい仕事ができる可能性がある。しかし、その2割に、本当にやりがいのある仕事が回ってくる確率は低い。よほど実績があって、運がいいやつだけだろう」
「ぼくが転職しても、やりたいことはできないものでしょうか」
「AIをやっている会社に入れば、AIの仕事ができる。でも、後藤が本当にやりたいようなコアなAIの仕事をさせてもらうには、少なくとも3年は我慢が要ると思う」
「3年もですか」
「そうだ。まずは雑務などをしっかりやって、実績を積んで信頼を得る必要がある」
「なんとなく、わかります」
「一方、今の会社であれば、後藤は実績がある。実際、やりがいがある仕事をさせてもらっているんじゃないか?」
「そうかもしれません。メール処理や打ち合わせ、報告書などのドキュメント作成などの業務に時間は取られますが、生粋のエンジニアの仕事が結構できています。課長を見ると、本当に雑務ばかりだと感じています」
「だろ」
たしかに、転職しても自分が思うような華やかな仕事はできないかもしれない。
ただ、もう1つ気になること、それは、そもそもSE業務に未来があるのかということ。五十嵐さんに話を聞いてみた。
「五十嵐さん、AIがさらに発展したら、SEの仕事は不要になりませんか?」
「クラウドとAIが融合し、なおかつセキュリティーが保たれたとしたら、今の企業に置いてあるサーバーはほとんどなくなる。この会社のデータセンターからも、大半のサーバーは消えるだろう。一部のSEとともに」
「一部だけですか?」
「単純作業をするSEや、プログラマーは不要になるかもしれない。だけど、いつの時代も、技術の進化によって、人間は仕事のやり方を変えてきた。最近だと、ITが発展してきて、多くの仕事がなくなった。銀行業務や受発注業務、事務処理の多くはオンライン化され、それに携わる人の仕事はなくなった。しかし、ITの仕事は減るどころか、増え続けている。ITを生かすための仕事が求められるからだ。今後AIが発展すると、さらに多くの人が職を失うだろう。しかし、AIを生かすための仕事は増える。AIはITと連携してこそ価値がある。だから、IT業界の未来は決して暗くない」
「ですかね? AIが、我々SEの仕事を奪っていきませんか?」
「AIによって、SEの仕事のやり方は大きく変わると思う。例えばプログラマーなら、AIに負けないように必死にプログラムを書くのではなく、AIに任せるところは任せ、AIを活用する仕事のやり方になると思う。だから、オレたちもリスキリングは必要かもしれないな」
リスキリング、つまり、技術革新に合わせた学び直しだ。
「ちょっと安心しました。AIが進化したって、それを生かした仕事に変えていけばいいのですね」
「そう。いくらAIが優秀でも、今回のようなトラブル対応や、顧客対応をAIが完璧にやってくれるなんてことはおそらくない。AIをツールと割り切って、うまく使いこなすんだ。ただそうなると、今まで以上に顧客対応能力や設計能力、提案力がSEに求められる仕事になる」
「ぼくの会社の古い体質も、時代に合わせて変わっていくのでしょうか」
「変わらざるを得ないだろうな」
会社がもし変わってくれるのであれば、転職しないほうがいいのか。転職しても年収が上がらず、やりたいことができないのであれば、意味がない。ここにきて少し気持ちがグラついてきた。
「五十嵐さん、ぼくは転職しないほうがいいですかね?」
つい、弱気になって小声になった。
「そうだな」と考え、五十嵐さんは腕組みをした。
「一度転職してみるのもいいかもしれない。やらずに後悔するよりは、やって後悔したほうがいいだろうし」
「倒れるなら前のめり、ってことですか」
「直木賞作家の林真理子さんは『やってしまったことの後悔は日々小さくなるが、やらなかったことの後悔は日々大きくなる』と言ってた。まさにその通り。そこまで転職したいと思っているなら、不満を抱えたまま今の会社に残るより、思いきってチャレンジしてみるのもありだ」
チャレンジか……。しかし、ぼくには妻子もいる。イチかバチかではなく、できることなら転職は確実に成功させたい。
(つづく)
[日経クロステック 2023年8月9日付の記事を転載]
