仕事にもそれ以外にも、お金で買えない価値があることは間違いない。お金を基準に考えることに限界を感じたら、「時間」をもう一つの尺度としてみるのはどうか。ここでいう時間とは、一日に何時間、お金を稼ぐために「時間を売る」以外の活動に割けるかと言う「余裕時間」のことである。そんな今の時代に即した革新的なキャリアの考え方を、『生きづらい時代のキャリアデザインの教科書』(大垣尚司著、日本経済新聞出版)から抜粋・再構成してお届けする。

幸せの尺度を「お金」から「時間」へ

 自助の時代においてキャリアデザインをするには、みなさんがそれぞれ「何が幸せか」という価値観をしっかりと持つ必要がある。とはいえ、価値観は人によって違うし、違うべきものである。また、それはどんどん変わっていって差し支えない。
 ここで問題にしたいのは、価値観自体ではなく、それを測る尺度、つまり、「何が増えれば幸せになったと言えるのか」を測定する単位を何にするかということである。これが明確でないと、「幸せ」というようなあいまいなものについて客観的な判断をすることが難しいからである。

 ところで、尺度には定量的なものと定性的なものがある。
 定量的(quantitative)とは、数字で表すことができ、客観的に増えたか減ったかをみたり他と比較したりできることをいう。
 これに対して、定性的(qualitative)とは、数字に表すことができないため、感覚的にしかとらえられないことをいう。

 もちろん、定性的な指標でも「そうだ・どちらかといえばそうだ・どちらかというとちがう・ちがう」といったアンケートをとってそれぞれに2、1、-1、-2といった数値を当てはめれば定量的な指標のように表すことができるが、もともとがいい加減なものだと胡散臭(うさんくさ)いものになる(世の中の数字はそういうものが多いことには注意したほうがよいだろう)。

 幸福度を考えるうえでは、国連を含む調査機関等の団体が毎年発表している"World Happiness Report"(世界幸福度調査)が参考になる。経済の規模を表すGDP(国内総生産)では世界第4位(2024年)の日本だが、この幸福度ランキングによれば、51位(同年)と他の先進諸国に比べてかなり低い。

 このレポートでは、この結果を説明する要素として、①国民一人当たりのGDP、②社会における相互扶助、③誕生時点における健康寿命、④人生の意思決定に関する自由度、⑤利他的な感覚(寄付が盛んか)、⑥政府や企業の腐敗をどの程度認知しているか、という6つを掲げている。

 ただし、ランキングそのものはそれらとは別に用意された主観的な項目からなるアンケートに基づいて行われており、①~⑥の要素から算出しているわけではない。また、①~⑥のどれも、個人が主体的に増やしたり減らしたりすることは難しい。

尺度としての「お金」とその限界

 さて、これまでは、仕事の価値を測る定量的な尺度は「お金」であった。お金があれば、それを使って自分の生活が豊かにできるので、年収が300万円よりは600万円のほうが幸せだろうと考えるわけだ。

 しかし、仕事に「お金で買えない価値」があることは間違いない。
 たとえば、複線型キャリアデザインにおいて、お金だけが尺度だと、収入が高いメインの仕事に価値があることとなるが、実際には、収入がゼロに近くてもじっくり一生かかって温めていきたい副業をしているときのほうが、幸福度が高いということはあるだろう。

 こういう場合、「生きがい」とか「やりがい」とか、「愛情」とか「使命感」といった定性的な要素で補完する。ただ、お金以外は客観的に数値で増減を測ることが難しいので、感覚の問題となってしまう。

 また、キャリアパートナーとしての夫婦が、それぞれのパートナーの役割分担を考える場合に、お金を一義的な尺度にしてしまうと、収入が多い仕事の価値が高くなるため、収入が低めの者(現状は多くの場合女性)が子育てや家事をより多く受け持つべきという議論になりがちである。たぶん、そういう感覚を持つ男は今でも多いのではないか。

 しかし、実際には、子育てや家事を外注すれば、下手をするとパートナーの給料を上回る費用がかかってしまうことも少なくない。これを、家事の価値だと考えて給料に足せば男を上回る場合は少なくないだろう。ただ、それを言ってみたところでこの問題が解決するわけではない。
 そういう、お金を尺度とする議論の立て方自体が不毛なのだ。

従業員エンゲージメントの向上とは

 お金以外の尺度と言えば、最近、従業員のエンゲージメント向上が話題となっている。ここにいう「エンゲージメント(engagement)」とは、単なる給料を超えた、会社や仕事への「愛着」「思い入れ」「やりがい」を表す。

 そういうものがあれば確かにいい会社になるだろうから、投資家としては気になるところである。そこで欧米では、人的資本の開示の一つとして、経営者が調査会社に依頼して従業員アンケートを行ってこれを測定し、開示内容に反映させる動きが強まっている。
 そして、いつもの話だが(日本でエンゲージメントというカタカナ英語がそのまま使われていることからも分かるように)早速日本でもやりなさいということになった。

 欧米の場合、労働と報酬にはドライな対価関係があることが出発点なので、エンゲージメントは追加的なプラス要素として意識される。
 これに対して、メンバーシップ型が残るわが国では、もともとタテ社会的な人間関係が一種のエンゲージメントを要求してくるので、経営者にそういう意図が全くなくても、話が現場まで降りていくうちに、「24時間仕事にコミットすることがエンゲージメントの証」みたいな雰囲気になりがちである。

 「衣食足りて礼節を知る」ところが「衣食足りずして礼節で補う」になってしまうリスクがあるということだ。このため、わたしは経営者がトレンドに乗って「従業員エンゲージメント」を語ることには少し危うさを感じている。
 本来のエンゲージメントは自(おの)ずと「高まる」ものであって上から目線で「高める」ものではない。経営者は、従業員に、より多くの「お金」(そして、以下に述べるように「時間」)で報いることを、自分の一義的な責任と考えたほうがよいような気がするのである。

「時間」を第二の尺度としてはどうか

 今みなさんに必要なのは、世界幸福度調査の6要素のような「結果」分析のための尺度ではなく、「何を増やせば人生がより幸福になるか」という、自分自身の行動によって主体的に増やすことができる尺度であって「お金」に代わるか、少なくともそれを補完しうるものである。
 そういう尺度があれば、みなさんはそれとお金をバランスよく増やすことを目標にしてキャリアデザインをすることができるからだ。

 時間は、お金と同様定量的な尺度である。ただし、みなさんに与えられた時間は有限である。一日は誰にとっても24時間しかない。一生に与えられた時間は相応に長短があるが、お金に比べれば格差は少ない。それをお金で買うことはできないし、自分で長くしたり短くしたりすることも極めて難しい。
 このため、幸せの尺度としての時間は長い短いよりは、一日に何時間、お金を稼ぐために「時間を売る」以外の活動に割けるかと言う「余裕時間」で測ることになる。

 この結果、お金とは事実上対置される性質を持つ定量的尺度ということができるだろう。実際にも、お金がより多くあることから得られる幸福と、時間がより多くあることから得られる幸福は異質な内容を持つ可能性が高い。

 たとえば、役員をめざして残業をいとわず組織コミットすれば余裕時間は減る。これにより、残業代と将来本当に出世すれば得られる追加的給与が「お金」として増える。
 仮に、9時から5時まで働いている人が、「お前は将来見込みがあるからがんばれ」といわれて毎日7時まで残業を受け入れると2時間分の残業代がもらえる。時給2500円だとすると5000円である。1年に240日働くとすると、1年間の残業代は単純計算で120万円。
 さらに、残業を受け入れたことによって、昇給したり役員になったりする確率が5%増えて、生涯年収が2億円増えるとすれば、その期待値(確率を加味した値)は[2億円×5%=1000万円]となる。

 これに対して、残業を断れば一日2時間、1年で480時間の「時間」が確保される。睡眠時間を除いた一日の活動時間が16時間だとすると、[480時間÷16時間/日=30日]、つまり丸まる1カ月分に等しい活動時間が得られる。
 つまり、1年に120万円と期待値1000万円の「お金」か、1カ月相当の追加的な「時間」のどちらが自分に幸福をもたらすかと考えるわけである。

 この場合に、お金と時間のどちらも実現可能な選択肢なら上述のような比較になる。しかし、もし、組織コミットしても得られるものが少ないなら、もらえるものは単なる残業代にすぎない。

 これに対し、もし、後半の人生を見据えて自分自身でできる副業をするために2時間確保することができるなら、その価値は5000円を超えるという判断はあってよいし、針の穴を通すような役員レースに勝つよりも実現性の高い選択かもしれない。さらに、中途半端に出世しても65歳でキャリアが打ち切られるとすると、むしろ、早い段階から、5時に退社して早めに準備を始めたほうが「お金」の面でも有利となる可能性がある。

「お金」だけ幸せの尺度とすることには限界がある(写真:beeboys/stock.adobe.com)
「お金」だけ幸せの尺度とすることには限界がある(写真:beeboys/stock.adobe.com)
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今はだれでも、人生の戦略を持つべき時代です。経済成長が見込まれないなか、幸せの基準が「お金」だけなのはむしろ賢くない。会社や世間に騙(だま)されないためには、その裏側を知っておく必要がある。自分で自分の身を守るための、革新的なキャリアの考え方をお伝えします。

大垣尚司著/日本経済新聞出版/1980円(税込み)