「嘘はダメというのは我が家の教育方針。でも、今まで叱りすぎたかもしれない」。こんな感想が寄せられているのが、書籍『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』(日経BP)です。本書の背景にあるのは「人は、聞き逃し、都合よく解釈し、誤解し、忘れるもの」という考えであり、これは認知科学における「常識」だと今井むつみさんは指摘します。この常識を知らないばかりに、多くのトラブルや悩みが起こっているというのです。本パートでは引き続き、同書から抜粋して、子育てや教育の現場で起こりがちな「伝わらない」の本質的な原因に迫ります。4回目は、人の記憶とはどういうものか。悪意なく真実がねじ曲がってしまうメカニズムを見ていきます。
知らないことを記憶するのは至難の業
勘違いしないでいただきたいのは、「理解と記憶は別物だから、記憶はしなくてもいい」「暗記重視の日本の試験には意味がない」と言いたいわけではない、ということです。
なぜなら、記憶力と理解力は別物とはいうものの、それぞれが無関係に独立しているものではないからです。どういうことでしょうか。
例えば、
「日本各地で線状降水帯による大雨で、甚大な被害が出ています」
という一文があり、これを覚えるとします。
その場合、最も記憶しやすい人は、日本語を自由に扱えて、ここに登場するいくつかの単語をもともと知っていて、この文が何を表現しているかを理解している人です。実際に自分が被害にあっていたり、ニュースなどで見て心を痛めたことがあれば、さらに覚えやすいでしょう。
一方、「線状降水帯」などの言葉を知らなかったり、「甚大な」という文字が読めなかったりしたらどうでしょう?
あるいは、そもそも日本語を理解していない人だったら?
まったく知らないことを記憶するのは至難の業ですよね。そう、記憶は理解に支えられているものなのです。
記憶と理解の関係性を知るクイズ
記憶は理解に支えられているというのは、次のようなランダムな単語の記憶と、それに関するクイズからも実感できるでしょう。
問題)次の言葉を、順番通りでなくていいので、できるだけたくさん記憶してください。制限時間は1分。
つくえ えんぴつ パン かびん ほん はな タオル ふうとう いす アイロン くつ バター けしゴム ペン ボール メガネ くつした カバン リモコン
1分たったら言葉の一覧表を見えないようにして、次の問題を考えてみてください。
「先ほどの言葉の中で、食べ物に関する単語は何?」
この問題に正しく答えることは、難しくはありません。しかし項目がどんどん増えると思い出せないものも増えてきます。
理解と記憶の深いつながり
ランダムに提示された単語を覚える際には、ただその言葉を繰り返すのではなくて、自分に身近なストーリーにすると覚えやすいとも言われます。それは「理解」というプロセスを経ているかどうかで、記憶できるかどうかが大きな影響を受けるからに他なりません。
仮に、あなた自身の意識としては、ただ単語を繰り返しているだけであったとしても、無意識下でそれらの言葉の間に関連性をつくって覚えようとしています。本来はなんの意味もない単語の並びを「理解」しようとするわけですね。
つまり、私たちが何かを記憶しようとする際には、意味を考えずに丸暗記しようとしたりするよりも、「理解」というプロセスを経て記憶にたどり着くことを目指したほうが、スムーズであり記憶しやすい、ということです。
大学入試の話に戻ると、あくまで「理解」をはかろうとしているフィンランドの方法のほうが、長期的に見て知識が定着しやすく、また実生活にも生きてくるのではないか、と考えられるわけです。その点で、日本はフィンランドの大学入試に大いに学ぶところがあるといえるでしょう。
人は、理解するから間違える
さて、先ほどのクイズの答えは「パン」と「バター」ですが、不正解だった人の中には、何も思い出せなくて言葉が出なかった方もいれば、リストにないものを挙げてしまった人もいるでしょう。
その中に、「ジャム」や「マーガリン」、「たまご」や「コーヒー」など、「パン」と同じ食卓に並びそうなものを言ってしまった人はいませんか?
あるいは、「チーズ」や「ヨーグルト」など、何となく「バター」に近いものを言ってしまった人もいるかもしれません。
これらは間違いではありますが、しかし「理解の力」が働いている証拠でもあります。
そうした方は「パン」と「バター」を覚えようとするときに、これらの2つの単語を「パンと一緒にとるもの」「食品につけるもの」「乳製品」などと理解して記憶した、と考えられます。理解したからこそ、間違える、ということが起こってしまっているわけですね。
意図的に「関連づけて覚えよう」「理解して覚えよう」と考えることなく機械的に暗記しようとしても、記憶できる容量を超えると、自分が持っているスキーマを利用して、理解しながら記憶しようとします。するとその理解の仕方につられて、実際にはなかったものを誤答する確率が高くなるのです。
こうした、私たちの記憶の仕組みは、『100万回死んだねこ 覚え違いタイトル集』(福井県立図書館、講談社)という面白い本からも見ることができます。
『100万回死んだねこ』は、福井県立図書館の司書さんたちが書いた本です。サブタイトルに「覚え違いタイトル集」とあるように、「本のタイトルの覚え違い」をたくさん紹介しています。1977年初版発行の名作『100万回生きたねこ』(佐野洋子、講談社)が、「死んだ」になってしまうのは、タイトルを間違って覚えた人が本のタイトルを理解して覚えたからです。
『100万回死んだねこ』は、人間が情報をどのように誤解し、記憶するかを顕著に教えてくれる、認知科学者にとっては貴重な材料です。ある司書さんは、
「『ストラディバリウスはこう言った』って本ありますか?」
と利用者に聞かれたと紹介されています。利用者が探していた本は何だかおわかりですか? そう、ニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』(岩波文庫)です。
この利用者は、なじみのない外国語の名前を聞いたとき、それを、同じくらいの長さで同じくらいになじみのない別の外国語の固有名詞と混同してしまったのでしょう。そう、言葉の長さなども混同する原因となるのです。
真実は本当に「いつも1つ」なのか?
クイズなら、リストに挙がっていないものを答えてしまったからといって、どうなるわけでもありません。本のタイトルも、笑い話で済みます。しかし、事件の目撃者となった場合には、「理解して記憶する」という特性は、マイナスに働きます。
強盗事件を目撃し、刑事に「そこにナイフはありましたか?」と質問されたとしましょう。すると一定数の人は、本当はナイフを見ていなくても、「ナイフがあった」と答えてしまいます。
これは嘘を言っているのではありません。あるいは記憶を引き出す中で、例えば被害者の出血がひどかったなどの記憶から、「確かにナイフはそこにあった」と思い込んでしまうのです。
人の目はカメラのレンズではありませんし、脳は見たものすべてを正しく覚えておくことはできません。
人は意味のない単語の羅列でも、理解の力を働かせてストーリーをつくることができ、それによって記憶力を高めることができますが、一方で、理解の力の働きによって記憶がねじ曲がってもいく、ということも起こります。
そしてやっかいなことに、ねじ曲げられた記憶に関して話しているときには、真実を述べていないにもかかわらず、本人に嘘をついているという自覚はありません。その記憶は本人にとっては「真実」なのです。
今井むつみ著/日経BP/1870円(税込み)
