「ハック」は効率や生産性を上げるためのコツやノウハウと思われがちだが、その本質は違う。様々な分野の「ハッキング(ハックする行為)」を解説してその本質を解き明かしたうえで、AI時代にルールを味方につける考え方を説いた書籍『 ハッキング思考 』から、抜粋・編集して掲載する。その第1回。
「ハック」「ハッキング」「ハッカー」。どの言葉も、単純ではない意味をもち、悪い含みも多い。私なりの定義を以下にあげたが、これは厳密ではないし、正式なものでもない。それでいいと思っている。本書でめざすのは、さまざまなシステムについて、それがどのように破綻するか、どうすれば強靱になるかを理解しようとするときに、ハッキング的な考え方が有効だと伝えることだからだ。
- 定義:ハック(名詞)
- 1 想定を超えた巧妙なやり方でシステムを利用して、(a)システムの規則や規範の裏をかき、(b)そのシステムの影響を受ける他者に犠牲を強いること。
- 2 システムで許容されているが、その設計者は意図も予期もしていなかったこと。
ハッキングは、不正行為とは違う。ハックが不正に当たることもあるが、たいていはそうではない。不正行為というのは、規則に反すること、すなわちシステムで明示的に禁止されている行為だ。許可なく他人の名前とパスワードをウェブサイトに入力するのも、納税申告のときに所得の一部を隠すのも、あるいはテストで人の答えを見て写すのも、すべて不正行為に当たる。ハッキングではない。
ハックは、改善や向上、機能強化、イノベーションとも違う。サーブとリターンの練習を重ねてテニスの腕を磨こうとするのは、改善だ。アップルがアイフォンに新しい機能を追加したら、それは機能強化と呼ばれる。スプレッドシートの画期的な使い方を考えつくのは、イノベーションだ。ハックがイノベーションや機能強化になっていることもある。アイフォンを脱獄(ジェイルブレイク)して、アップルが認めていない機能を追加するなどはその一例で、ただしこれはハックの必要条件ではない。
ハッキングは、システムを標的とし、システムを破ることなく、システム自体の裏をかく。車のウィンドウを割り、配線を直結してエンジンをかけるのは、ハックではない。キーレスエントリーシステムを欺いてドアを解錠し、エンジンをかけたら、それがハックだ。
この違いに注意してほしい。ハッカーは、ただ被害者を出し抜くだけではない。システムの規則に存在する欠陥を見つけるのである。許可されていないわけではなく、許可された範囲のことをやっているにすぎない。システムを出し抜いているのだ。ということは、結果的に、システムの設計者を出し抜いていることになる。
システムの規則や規範を打ち破り、意図をくじく
ハッキングは、システムの規則や規範を打ち破って、システムの意図をくじく。いわば、「システムの逆手をとる」のである。ハッキングは、不正行為とイノベーションの真ん中に位置している。「ハック」は主観的な言葉だ。ハッキングに関しては、「見れば分かる」という面も多い。明らかにハックといえるものもあるし、同じくらい明らかにハックといえないものもある。両者の中間にはグレーな領域も存在する。たとえば速読は、ハックではない。文章中のピリオドに秘密情報を隠すマイクロドット、これはまぎれもないハックだ。さまざまな作品の要約を紹介しているサービス「クリフノート」は、ハックといえるかもしれないが、断定はできない。
ハックは独創的だ。最後には(たいていは義憤を感じたうえで)、悔しいが認めざるをえないような結果になる。実際には思いつきそうになくても、「そう来たか、自分で思いつきたかった」という反応を引き出すこともある。これは、非道な凶行に及ぶハックでさえ例外ではない。2003年の私の著書『セキュリティはなぜやぶられたのか』の冒頭で、私は9・11同時多発テロがなぜ「驚異的」だったのか、その理由を書いた。あのときのテロリストは、ハイジャックに関する不文律を破ったのだ。
9・11以前、ハイジャックというのは航空機の行き先を指定し、なんらかの政治的要求を突きつけたり、政府や警察機構との取引を求めたりして、まがりなりにも平和的な解決に至るものだった。9・11のテロリストがやったことは、おぞましく身の毛もよだつ行為だったが、彼らのハックが独創的だったことは間違いない。空港のセキュリティチェックを通らない武器は使わず、民間航空機を誘導ミサイルに変えて、航空機テロの規範を一方的に書き換えたのである。
ハッカーとその行為は、この世界のさまざまなシステムについて、違う考え方をするよう迫る。私たちが当たり前の前提としていることを明るみにさらし、権力者を狼狽させることも多いし、とんでもないコストにつながることもある。
テロはともかくとしても、人は見事だという理由でハックを好む。マクガイバーはハッカーだった。脱獄ものや犯罪映画には、見事なハックが次々と登場する。『男の争い』も『大脱走』も、『パピヨン』『ミッション・インポッシブル』『ミニミニ大作戦』も、『オーシャンズ』シリーズも、みなそうだ。
ハックには斬新さがある。「そんなことが許されるのか」とか「できるとは思わなかった」というのは、ハックに対してよくある反応だ。何がハックか、何がハックでないかが時間とともに変わることもある。規則や規範は変わるし、「一般常識」も変わるからだ。ハックは、最終的に禁止される場合も許可される場合もあるので、かつてハックだったものがハックでなくなるという面もある。スマートフォンを無線のホットスポットにするには、以前ならジェイルブレイクが必要だったが、今ではiOSでもアンドロイドでも、ホットスポットとして使うのは標準の機能になった。差し入れのケーキに金属やすりを隠して服役中の仲間に届ける手口は、最初のうちこそハックだったが、今では警戒が厳重になって、もはや映画の中でしか見ることはない。
2019年には、オハイオ州の刑務所で、ドローンを使って携帯電話とマリファナを受刑者に届けるという例があった。その当時なら、これはハックと呼べたかもしれない。今では、刑務所の近くでドローンを飛ばすこと自体が州によっては違法になったので、もうハックとはいえなくなった。最近では、釣り竿を使って刑務所の壁越しに密輸品を投げ入れたという話を読んだことがある。ネコを使った例もあって、スリランカの刑務所で、麻薬とSIMカードを運んでいたところを捕獲されたという(だが、のちに脱走した)。間違いなく、ハックだ。
ハックは、合法的であることも多い。規則の一字一句には従いながら、その精神をすり抜けるので、非合法と判断されるのは、上位の規則があってそこで禁止されている場合に限られる。税法に存在する抜け穴を突かれたとしても、もっと包括的な法律がない限り、おそらく合法とみなされる。
ハックは、道徳的なこともある。ある営みや行為が合法的なら、当然ながら道徳的ということになるが、世の中がそれほど単純でないことは言うまでもない。道徳にもとる法律が存在するように、道徳的な犯罪も存在する。この本で取り上げるハックのほとんどは、厳密にいうと合法だが、法律の精神には反している(そして、法体系はハッキングできるシステムの一種にすぎない)。
いかなるシステムもハッキングできる
「ハック」という言葉は、1955年にマサチューセッツ工科大学(MIT)のテック鉄道模型クラブで生まれ、またたく間に、隣接分野であるコンピューターの世界に広まった。もともとは、問題を解決する手法を表す言葉であり、機転やイノベーション、臨機応変を意味しており、敵対的という性質や、まして犯罪の含みがあるものではなかった。
だが、1980年代の終わり頃には、「ハッキング」というともっぱら、コンピューターのセキュリティシステムを破ることを意味するようになる。コンピューターを使って何か新しいことをやるのではなく、本来の意図とは違う動作をするようコンピューターに強いるのである。
私の考えでは、コンピューターシステムに対するハッキングから、経済、政治、社会の各システムに対するハッキングまでは、ほんの一歩の差しかない。どのシステムも、規則の集まり、ときには規範の集まりにすぎないからである。コンピューターと同様、ハッキングに対しては脆弱なのだ。
これは、新しい考え方ではない。人は、有史以来、社会のシステムをハッキングしてきたのだ。
(訳:高橋聡)
ブルース・シュナイアー(著)、高橋聡(訳)、日経BP、2420円(税込み)

