「ハック」は効率や生産性を上げるためのコツやノウハウと思われがちだが、その本質は違う。様々な分野の「ハッキング(ハックする行為)」を解説してその本質を解き明かしたうえで、AI時代にルールを味方につける考え方を説いた書籍『 ハッキング思考 』から、抜粋・編集して掲載する。その第3回。
(第2回「ビッグテックはこうして税制をハックした」から読む)
ハックは、表面的にはシステムの規則に従いつつ、その精神や意図にそむく。
ハックが成り立つには、対象となる規則の体系が存在しなくてはならない。そこで、話を進める前に、そもそも「システム」とは何か、少なくとも、私がどういう意味で使っているか、その定義をはっきりさせておこう。
- 定義:システム(名詞)
- 一連の規則または規範によって制約され、なんらかの結果を生み出すことを意図した複雑なプロセス。
私が今この文章を書くのに使っているワープロソフトは、ひとつのシステムだ。一連のソフトウェア規則によって制御される電気信号の集まりが、その規則に従って、入力された言葉を画面に表示して文章を、すなわち私が目的とする結果を生み出す。そういうシステムである。
この本が形になったのは、もうひとつのシステムの産物、つまり結果である。ページをデザインする、印刷して製本する、カバーを付ける、梱包して出荷するといったプロセスを経てきた。そうしたどのプロセスも、一連の規則に従って完遂されている。この2つのシステムと、ほかにもいくつかのシステムが組み合わされて、読者が手にしている紙の本や、電子ブックリーダーで読書中の電子ファイル、あるいはいずれかのオーディオブックシステムで再生中の電子ファイルという形態になったのである。
この概念は、システムの諸要素が一か所にまとまっていても、世界中に分散していても変わらない。できあがるものがリアルでもバーチャルでも、無償でも高額でも当てはまるし、出来がお粗末だろうと、供給が不安定だろうと関係ない。ひとつ、あるいは複数のシステムが必ず介在する。
システムには規則がある。多くは法的な規則だが、ゲームのルール、集団やプロセスの非公式の規則、あるいは社会における暗黙のルールというものもある。認知システムも法則、すなわち自然の法則に従っている。
ハックはシステムで許されているという点に注意してほしい。ただし、ここで私がいう「許されている」の意味は、かなり特殊だ。合法的という意味ではないし、認められているとか、社会的に容認されているとか、まして倫理にかなっているというわけでもない。いずれか、あるいはすべての条件を満たしていることが、ときどきあるにすぎない。重要なのは、システムが、その枠内ではハックの発生を防げない構造になっているということだ。
そうしたハックをシステムが許さないとしても、それは意図的ではない。設計上、たまたま偶然そうなっているにすぎない。技術的なシステムの場合なら、おおむねソフトウェアがハックの発生を認めているという意味になる。社会的なシステムなら、システムを統制する規則、たいていは法律が、ハックを明確には禁止していないという意味になる。だからこそ、そうしたハックを「抜け穴」と呼ぶこともあるのだ。
言い方を変えると、関係者が一連の共通規則を守ることに、明示的もしくは暗黙的に、あらかじめ同意しているシステムに対してハックは実行されるということだ。ときには、システムの規則が、そのシステムを支配する決まり事と同じではないこともある。ややこしい話になってきたのは承知しているので、例で説明しよう。
コンピューターは、そこで稼働するソフトウェアで構成された規則によって制御されている。コンピューターをハッキングするというのは、そのソフトウェアを揺るがすことだ。だが同時に、人の行為の合法性を決めうる法律も存在する。たとえばアメリカでは、「コンピューター詐欺・不正利用防止法」によって、ほとんどのハッキングが重罪になっている(重要なのは、この構造だ。ハッキングされるのはコンピューターシステムだが、それより総括的な法制度によってそれが禁止されている)。法律をどのくらい総括的にするかについて問題はいろいろあるが、総括的だからこそ、コンピューターに対するあらゆるハッキングを非合法と断じる万能性を備えているのである。
プロスポーツは常にハッキングされている。それは明示的な一連の規則によって支配されているからだ。法律がたびたびハッキングされるのは、法律が規則にほかならないからである。
当然、システムによっては、法律が規則である場合もあれば、少なくとも法律が規則の多くを定めている場合もある。金融制システム度や法制システム度そのものに対するハッキングを論じるときに説明するように、法案や契約書、裁判所の見解に、単純な誤字あるいは分かりにくい言いまわしがあれば、起草者や裁判官がもともとは意図していなかった悪用が無数に発生する原因となる。
明記されていない規則や設計者のいないシステムもある
重要な点がある。規則は明示されていなくてもいいということだ。規範によって縛られているだけのシステム、特に社会システムはこの世の中に数多く存在する。規範は、規則ほど公式ではない。明文化されていないことも多く、それでも人の行動の指針となる。私たちは常に社会規範によって縛られているし、状況が変われば規範も変わる。政治でさえ、法律と同じくらい規範にも支配されており、それは最近のアメリカを見ていれば、いやというほど痛感させられる。次から次へと規範が破られているからだ。
システムに関する定義で私は、「意図した」という言葉を使った。そこには設計者がいるという含みがある。システムでめざす結果を決める者のことだ。定義のなかでも重要な要素なのだが、これが満たされることは多くない。
コンピューターの場合、ハッキングされるシステムは個人や組織によって意図的に作られているので、ハッカーはシステムの設計者を出し抜いていることになる。これは運営当事者によって定められる規則の体系にも当てはまる。会社の手続き、スポーツのルール、国連の各種条約などがそうだ。
本書で取り上げるシステムの多くは、個別の設計者がいるわけではない。市場資本主義は、誰かが設計したわけではなく、多くの人が時間をかけてその進化に手を加えてきた。民主主義のプロセスも同じで、アメリカの場合は憲法、立法、司法、社会的規範の組み合わせで成り立っている。そして、社会・政治・経済のシステムをハッキングするというのは、システムの設計者、システムが進化してきた社会プロセス、そのシステムを支配する社会規範という組み合わせのどこかを出し抜くことなのである。
人間の認知システムも、時間をかけて進化してきたが、そこに設計者が関与していないことは言うまでもない。その進化は生物学を基盤とするシステムの正常な一部である。すでにあるシステムの使い方が融合し、古いシステムは再利用され、不要になったシステムは消えていく。だが、本書で語るのは生物システムの「目的」だ。脾臓(ひぞう)の目的、扁桃(へんとう)の目的である。進化とは、システムが設計者の手によらずに自らを「設計」する過程にほかならない。このようなシステムについては、身体やエコシステムにおけるシステムの機能から語りはじめることになる。もちろん、目的を設計した人などいないと分かったうえでだ。
ハッキングは、システム思考から自然に出てくる所産だ。システムは、私たちの生活の至るところに存在する。そのシステムが複雑な社会の大部分を支えており、社会が複雑になるのに応じてシステムも複雑になりつつある。そうなると、システムの隙を突くこと、すなわちハッキングもかつてなく大きな意味をもってくる。
極論すると、システムを十分に深く理解すれば、ほかの人と同じように規則に縛られてふるまう必要はなくなる。規則に存在する欠陥や不足を探せるようになる。システムによって課された制約がはたらかないケースがあることに気づく。そうなったら、システムをハッキングするのは当然だろう。そして、財力と権力があれば、とがめられずに終わることも多いのだ。
(訳:高橋聡)
(第4回に続く)
ブルース・シュナイアー(著)、高橋聡(訳)、日経BP、2420円(税込み)

