「自分らしいキャリアを」「自分らしいセカンドライフを」……令和の中高年たちは、年を重ねた今も、そんな「自分らしさ」幸福論に翻弄されがちですが、結局「自分らしさ」って何なのでしょうか? 健康社会学者・河合薫さんの新刊『「老害」と呼ばれたくない私たち』より抜粋します。

「自分らしく」という意味のない言葉

 「お付き合いのあった社長さんから、うちに来ないかって誘われてるんですけど……」
 「通信の大学院に進学しながら、今の仕事を続けるってやっぱり難しいですよね」
 「65歳までは今のようにフルフルに会社にコミットした方がいいのか、それとも独立するなら早い方がいいのか……」

 最近はこういったセカンドキャリアの相談を受ける機会が増えた。少し前までは「定年までとりあえず現状維持で」と、息をひそめていた中高年社員たちの尻についに火がついた、という感じだろうか。中年期以降の選択肢が増え、「今変わらずに、いつ変わる」と、みんながそわそわし始めているのだ。

 そんな彼らの相談につい、本当につい、口をつくのが、「自分らしく、好きになさるのが一番だと思いますよ」という適当、いや失礼、無難なフレーズである。すると決まって彼らも「そうですね。うん」と納得する。

 人が誰かに相談するときというのは、往々にして心はすでに決まっているので、「自分らしさ」という毒にも薬にもならない便利なフレーズが、彼らの背中を押すエールになりうるわけだ。

 では、その自分らしさ、とは何なのか?

 「自分らしさ」という言葉は昔からあったのだろうけど、よく考えれば、今ほど「自分らしさ」が声高に叫ばれている時代はない。

 子供は自分らしい生き方を実現するための教育を受け、「就活では自分らしさをアピールしましょう」とのアドバイスがSNSにあふれ、いいお年頃になると「自分らしい葬式を準備しましょう」という広告がSNSでめったやたらに映し出される。

 都や県の広報誌には「認知症の人が自分らしく生きる社会に!」なんてフレーズが躍り、病院や役場の壁には「最期まで自分らしく生きる——終末期医療について考え、話し合ってみましょう」といったポスターが貼られるなど、「自分らしさ」は死の入り口らしきところでも大人気だ。

 死生学を教えている先生の話によると、「現代の葬儀と墓」というタイトルで市民講座を開講したところ反応が薄かったため、翌年それに「最期まで自分らしく」と副題をつけたらそれだけでがぜん人気が出たとか。

 日本中どこもかしこも「自分らしさ」だらけだ。かつての社会が「経済的成功」を幸せの基準としていたのに対し、現代では「自分らしく生きさえすれば幸せになれる」と言わんばかりに。

 しかし、そんな「自分らしさ幸福論」が台頭する現代の若者たちが、よりどころにするのは「普通」だ。

 普通に働ければいい、普通に稼げればいい、普通に生活できればいい、と「普通=皆と同じ枠」にとどまることで安堵しているように思える。おそらくそれは「自分らしさ」の意味がわからない、あるいは「自分らしく生きられるなんて才能のある一部の人だけ」と諦めているからであろう。

自分らしく生きなくていい

 大人だって同じではないのか?

 社会の勝手なご都合で一生抜け出せない無間地獄を余儀なくされた40代は、成功のレールに簡単に乗れた上の世代から「オンリーワン」という聞こえのいい言葉で慰められてきたけど、あなたは納得できる「オンリーワン」になれたのだろうか?

 50代は、50歳になった途端、会社から「さっさとお引き取り願いたい」とばかりに〝在庫一掃セール〟にかけられ、「自分らしくセカンドキャリアを生きるが勝ち」とあおられるように新たな自分らしさ競争に参加させられているけど、では長年、会社で与えられる仕事を誠実にこなしてきた「会社員の私」は自分らしくなかったのか?

 そして、60代は「老後は自分らしくゆったり過ごそう」と夢見ていたのに、想像をはるかに超える「60歳の壁=賃金減」、予期せぬ物価高、長寿による経済的負担が重なり、計画は大幅に狂ってしまった。悠々自適とはほど遠く、日々の糧を得ることに汲々(きゅうきゅう)としているのが現状だ。

大人世代だって「普通」をよりどころにしたいのは山々なのだが……(写真:taka/stock.adobe.com)
大人世代だって「普通」をよりどころにしたいのは山々なのだが……(写真:taka/stock.adobe.com)
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 若者に向けられる「自分らしく生きよう」というフレーズには、大人社会の「幸せになってほしい」というメッセージが込められているけど、中高年世代のそれは「あとは自己責任でひとつよろしく!」だ。

 大人世代だって本当は、若者と同じように「普通」をよりどころにしたい。普通の会社員として働き、普通に家庭を築き、普通に定年を迎える。そんな当たり前の幸せで十分だ、と考える日本人は少なくないだろう。

 しかし、「一つの会社で勤め上げておしまい」という普通の会社員人生は消えてしまった。ただたださまよい、「自分らしさ幸福論」に翻弄され続けているのが令和の中高年ではないだろうか。

 そもそも、世間でいう「自分らしさ探し」とは、自分が「何をするか?」を、会社や社会が用意したリストから探す作業に他ならない。それはどこかにある答えを、外部から見つけ出そうとするプロセスでしかない。

 だが、本当に大切なのは「何をするか」を選ぶことではないはずだ。だって、あなたの心は「好きにやればいいじゃん」と叫んでいるのだ。その答えは、あなたの「内部」にこそある。「どのように生きるか」という決意と責任を持って、自分の人生という道を作り上げる。それは、他人に託すのではなく、自分の手で「自分だけの物語」を創造する、自由な作業だ。

 なのであえて言おう。自分らしさ探しなどしなくていい、と。

何者にもなれない40代、〝ただのおじさん・おばさん〟扱いされる50代、いるだけで老害扱いの60代——令和を生きる「新世代型中高年」はなぜこんなにしんどいのか? 無意識に私たちを縛る「いい大人」の呪縛から離れ、自分自身の心の土台を再構築することで、人生後半を前向きに働くためのヒントを紹介します。

河合薫著/日本経済新聞出版/1760円(税込)