後輩や部下に嫌われたくない、老害扱いされたくない、とただただ時代の求める「いい大人」を演じ続けることの弊害は——。そもそもそんなことに意味があるのか——。河合薫さんの新刊『「老害」と呼ばれたくない私たち』(日本経済新聞出版)より抜粋します。
令和の日本は「超中年社会」
私たちが生きるのは、働き方、生き方のパラダイムシフトが起きた新時代で、40代以上が人口の多くを占める「超中年社会」だ。
世の中は中高年であふれ、年長者の希少性は著しく低下している。ただ年齢を重ねただけで職場や地域社会で威厳を保てた時代は終わり、かつてのような〝待遇〟はもはや望むべくもない。
このような時代に求められるのは環境への適応であり、ジタバタしながらもよりよい対処を可能にする、あなた自身の「心の土台」を理解し、生かすことだ。「心の土台」は、あなたのこれまでの経験、成功や失敗、喜びや悲しみ、人との出会い、身につけてきたスキルや考え方など、すべてが詰まった、あなただけの個性的な精神的基盤だ。それはすべての人に宿る「本来的な自己」という無限の可能性を、日々の生活やキャリア、人間関係の中で実際の形、具体的な行動に変えるための力になる。
困難や危機、予期せぬ変化に直面したときでも、「健全な心の土台」があれば自分自身を見失うことなく、本来的な自己をより自由に、そして安定して表現できる。それは同時に、よりよい対処の選択の道筋を示し、環境への適応を促すものだ。
「本来的な自己」は玉ねぎの「芯」のようなものだとイメージしてほしい。
生きる時間が長くなるほど、軟らかい芯の周りには「当たり前」や「常識」という皮が張り巡らされる。
玉ねぎの皮を重ねつつ、フレッシュな状態でいられれば何ら問題はない。
しかし、過剰に既成の価値観に縛られ、「社会に望まれる役割」ばかり演じ続けていると、皮の水分が奪われ、干からび、茶色くなり、次第に芯がどこにあるかも、芯があることさえもわからなくなる。
「いい大人」の呪縛から離れる時
昭和に生まれ令和に生きる「私」たちは、心にくすぶりを抱えたまま、ついつい時代が望む「いい大人」を演じていないだろうか?
旧世代の生き残りのように思われたくない、部下や後輩に嫌われたくない、「老害」と言われたくない、とただただ「いい上司や大人」を演じるあまり、芯の周りは、茶色に変色した干からびた皮だらけになってしまった。自分が正しいと思っていたことが否定されることも増え、心の土台までもが脆弱になった。
言いたいことも言えず、かつて自分が思い描いていた「大人」の姿と今の自分を比べ、その弱さに失望したり、あきれてしまったり。
誰のための人生なのか。このままではおもしろくない。
私たちの目の前にあるのは、長く生きれば生きるほど長生きする確率が高まる、めでたいんだか不運なんだかわかりづらい社会だ。だが、そのぶん人生の午後はかなり長くなった。その気になれば生き直しできるほどに長い。茶色い皮に隠れている唯一無二の無限の可能性=「本来的な自己」を生かさないともったいない。
そこで新刊『「老害」と呼ばれたくない私たち』では、自分の「心の土台」を意識し、玉ねぎの皮をむくように干からびた皮をバリッとむいて、むいて、むきまくって、その手であなたが創造する物語に役立たせてほしいとの思いを込めて文章をつづることにした。
人生の最後にあなたが「納得できる境地」に至ることを願いつつ。
河合薫著/日本経済新聞出版/1760円(税込)

