どうしても合格したい試験があるなら、一生懸命勉強することも重要だが、メンタルケアも大切だ。大事な試験の前に何か起こったらどうしようかと心配する人もいるだろう。勉強を始めてから9カ月で韓国の司法試験に合格したイ・ユンギュ氏の新刊 『私は合格する勉強だけする』 から、試験勉強中に大変な出来事があった場合はどうするかについて一部を抜粋し、紹介する。
人の真価は危機の瞬間に試される
良くない状況に陥ったとき、人の考え方はふたつに分かれる。肯定的なところを見ようとする考え方と、そうではない考え方だ。模擬試験の結果が思ったより良くなかったとき、普通はくじけそうになるだろう。
例えば、試験まで時間がないのに体調が悪く、病院に行かなければならなくなったせいで勉強時間が減ってしまったら、ひどく不安になったりもする。通っていた図書館で隣の人とトラブルが生じ、他の図書館に移ることになったときも同じだ。今まで一生懸命読んできた本が、実は試験向きではないと気づいたときもそうだ。
だが、そのような状況でも、やはり力を出さなければならない。
自分自身を信じて力を出さなければ、そして、予期せず起こってしまった否定的な出来事の影響を取り除かなければ、そこから受ける損害はそのまま未来に反映されてしまう。
私は、人の真価は危機の瞬間に試されると信じている。普段から不安ばかり感じていて自分のやるべきことにきちんと対処できない人は、誰の競争相手にもなれず、いい評価を受けることもできない。良くない状況から受ける影響をどれだけ減らしつつ物事を処理するかで、その人の評価は変わる。
私の親友の1人は、司法試験の数カ月前に母親を亡くした。誰かの身に起こり得ることの中で、これ以上に大変なことはないだろう。しかし、友人はその状況を乗り越えて試験に合格した。
司法研修院(日本の司法研修所に当たる)の同期の1人も、健康を損ねて病床で横になったまま勉強していたが、試験に合格することができた。
私が最も尊敬する人であるイ・ミニョン(李敏榮)弁護士は、小学校しか行くことができなかったがその後も1人で勉強を続けた。勉強するお金がなくベトナム戦争に参加したときも、そこで手に入れたお金を自分のためではなく、そっくりそのまま家族のために使った。しかし、転々としながら人の助けを借りて、最終的には司法試験に合格し弁護士になった。
どんな状況に陥ったとしても、それをどのように受け入れるかによって結果は変わってくる。つらい瞬間が訪れたということは、いい結果が出せると信じている人にとっては、力を出さなければならないもうひとつの理由でしかない。状況が悪くなったからといって、悲観的に考えることほど愚かなことはない。
一生の苦痛は、この勉強をしている間に集中していると考える
受験は凄絶で残酷だ。特に、成績が良くないときには人生がドラマの一部ではないかと思うほど、深い敗北感と挫折を味わう。心が折れるのは一度や二度ではないし、一体なぜこんな試験を受けると決めて苦労しているのか、という気持ちになるときすらある。
しかし、考え直してみよう。私は正直に言うと、楽な暮らしがしたくて弁護士になろうと決めた。今は本を執筆して受験生にノウハウを伝えているように、それ以上の価値を見いだしているが、受験を決めたときには、そのようなよこしまな心がなくはなかった。
試験勉強をしながら、私は何事も合格に役立つ方向に考えようとした。弁護士になって、大きな苦労をせずに生きることができれば、そして本当にそのような道が保障されているのだとしたら、今与えられているすべての苦痛に耐えなければならないのではないだろうか。
何かを得るには、何かと引き換えにしなければならない。苦痛は良いことが訪れる前に、あるいは訪れると同時に必ず払わなければならない対価だ。
そこで、私は人が一生の間に感じる苦痛の総量を、試験勉強の期間に一度に引き受けようと考えた。つらくて心が折れそうな瞬間にも、その苦痛が大きければ大きいほど合格に近づくと信じた。そうしてこそ、私の合格が確実になると考え、苦痛には意味があると信じた。
あまりにもささいなことで、崩れ落ちてしまう受験生が多い。そういう人たちは、自分が成功して結果を手にすることは、誰か他の人の席を占めることだということを知らないのだ。
私たちは無人島でただ1人で生きていくわけではない。自分がひとつの価値あるものを手に入れようとするなら、その場所を占めることのできなかった誰かの苦痛を合わせた総量をも、この瞬間だけは受けなければならないのだ。
つらい今日は合格手記の一行になると考える
勉強を始める前に、学生たちにはあらかじめ合格手記を書くよう勧めている。これは、勉強する人の持つべき自信を可視化する効果がある。書く前に他の人の手記を参考にするので、自然と他人の経験に触れることになるし、何よりも、合格手記を書けば、毎日のつらい試験勉強も、手記の一行程度にしかならないという感覚を与えてくれる。
合格者の手記を読んでみると、どの人にも危機的な瞬間があり、そのことに毅然と対処したという箇所が出てくる。なんの危機も苦労もなく合格したという手記はひとつもない。合格したのは、大小すべての危機を乗り越えた人たちだ。
だからこそ、あなたが今感じている苦しみ、不安などは、これから完成させる合格手記の一行でしかないと軽く考えたほうがいい。苦痛の大きさは主観的なもので、今は苦しく感じても、合格してしまえばはるか遠くのものに思えるようになる。
試験勉強をしている間、大変だったり疲れたりする瞬間や、危機的な瞬間が訪れるたびに、私は今の状況を合格手記に書くとしたらどう書くか、どのように克服したと書くだろうと想像した。まるで漫画の主人公になったかのように。
合格手記をあらかじめ書くというのは、未完成の合格手記の方向性と抱負を描くことであり、受験生活はその一行を身をもって書いていくのと同じだ。そうやって見てみると、あなたが今感じている苦痛は、あなたの合格手記の一行であり、合格のための肥やしだと考えられるだろう。
(翻訳=岡田直子)
イ・ユンギュ(著)、岡田直子(訳)、日経BP、1650円(税込み)