詳細な診療プロセスを記載した電子カルテのデータを分析したところ、生活習慣病の治療には、高い医療費を使っても、安い医療費を使っても、結果には変わりがないことが分かった。『 ビッグデータが明かす 医療費のカラクリ 』(日経プレミアシリーズ)の著者で、アライドメディカル取締役の油井敬道氏に聞く。連載第2回。
医療データの電子化は不十分
医療DX(デジタルトランスフォーメーション)という言葉が叫ばれ、電子カルテも広く使われるようになっていますが、医療データの活用は進んでいるのですか。
油井敬道氏(以下、油井) まだまだ不十分です。さらなる医療データの電子化が必要です。厚生労働省は30年ぐらい前から薬や医療処置に標準コードを付け、病名を統一してきました。これによってレセプト(医療費の明細書)の電子化が進み、病院はオンラインで医療費を請求できるようになりました。しかし、治療や薬の本当の効き目を分析するにはこれらのデータでは足りません。
何が足りないのでしょうか。
油井 日本では数十社から電子カルテ製品が販売されています。これらには処方薬、レントゲン撮影、血液検査などの医療行為が記録され、レセプト作成に使われます。しかし、医師の所見や検査結果を分析できる形で保存した製品はほとんどなく、投薬治療の結果などは分析できません。
どうしてレセプトのデータでは分析できないのですか。
油井 レセプトというのは、飲食店のレジで受け取るレシートのようなものです。レシートでは調理方法が分からないのと同じです。薬の効果を比べるには、同じ程度の病状の患者グループだけを選んで追跡調査をする必要があります。医師は病状の重い患者に薬Aを処方しますが、そうでない患者には薬Bを出すかもしれません。しかし、そういった診療プロセスは、レセプトには書かれません。
電子カルテの標準規格を作り、診療のプロセスを詳しく記録してもらえばいいのでは?
油井 電子カルテ規格には厚生労働省が提示したものがあります。しかし、規格に沿った製品を開発するメーカーが少なく、病院も経営や業務に直接関わらないので、あまり関心が向けられません。過去には行政が標準規格を提唱した例がありますが、普及しませんでした。
日本には治療や薬の効果を分析できるビッグデータは存在しないのですか。
油井 いいえ。私どもが開発した電子カルテは、多くの診療所で利用されています。長いものでは25年間の診療データが保存されており、医師の所見、治療方針、薬の種類や量、検査結果、その後の病状、あるいは発症した病名など、診療プロセスを整理して詳細に記載しています。
生活習慣病医療費に4~5倍の差
分析して分かったことは?
油井 同じ生活習慣病患者で、1日当たり医療費がどの程度違うかを2020年のデータで調べたところ、高血圧症で4.7倍、糖尿病で5.3倍の差がありました。次に、医療機関ごとに1日当たり医療費の違いを見たところ、高血圧症で最大2.1倍、糖尿病で最大2.5倍の開きがありました。生活習慣病の医療費比較は1日当たりの金額にすると分かりやすくなります。
この格差は、通院する患者の違いが影響している可能性もあるので、平均年齢や病状の重さを見てみると、医療費が高い病院も低い病院も、ほとんど違いはありませんでした。
患者によって医療費がこれほど違うのはなぜですか。
油井 次のようなことが分かりました。まず、値段の高い薬を使うか安い薬を使うかは、病院により傾向が異なること。診療間隔が長いか短いかも、病院により傾向が異なる。つまり、比較的高価な薬を処方して2週間後に再受診を求める病院と、比較的安価な薬を処方して2~3カ月後の再受診でよいとする病院では、同じ程度の病状でも医療費が3~5倍も違うのです。
「生存時間分析」を活用
とはいっても、医療費が高い治療のほうが病気の回復は早いのでは?
油井 そこが重要な点です。そう言ってよいかどうか確かめるために、医学研究で使う「生存時間分析」という統計学手法を用いました。重篤な疾病の事象が起きる確率に焦点を当てたものです。
具体的にはどうするのですか。
油井 医療費の高い安いが、治療の効果にどの程度影響を与えるかを科学的に調べるため、その治療や薬を継続した患者が、最終的に重篤な病気を起こすかどうか、起きた場合は起きるまでの時間を調べ、その起こりやすさが医療費の高い患者グループと安い患者グループでどのぐらい違うか、統計学的に厳密に比べます。
結果はどうでしたか。
油井 生活習慣病では、値段の高い薬と安い薬の効き目を比べ、診療間隔の長さ、つまり受診頻度が高い治療と低い治療も比べましたが、重篤な病気の起こりやすさに違いは見られませんでした。もちろん患者によって高い薬が妥当な場合もあり、医師はきちんと診察し治療をしているでしょうが、多くの患者をおしなべて見ると、生活習慣病に高額の治療費は要らないことをビッグデータは物語っています。
分析はこれからも続けますか。
油井 生活習慣病も新しい薬が製品化されているので引き続き調査し、それ以外の分野も調べようと考えています。
まさに「医療費のカラクリ」ですね。患者側もいろいろと活用できそうです。
油井 医療の消費者である患者が、積極的に医療サービスを選ぶきっかけにしていただければいいと思います。患者が行動すれば、医療費の使い方は劇的に合理的になるはずです。
聞き手・構成/稲井英一郎(メディア研究者)
『 ビッグデータが明かす 医療費のカラクリ 』
病院や薬局の明細書には何が書かれているのか? 生活習慣病の医療費は、なぜ同じ症状、同じ年齢で3~5倍も異なるのか? 毎月通院する患者と3カ月に1度しか通院しない患者で、治療成績に差はあるか? 25年間、61万人、1350万回の電子カルテの統計分析から、日本の医療費と医療サービスの実態を明らかにする。
油井敬道著/日本経済新聞出版/990円(税込み)