米澤穂信著『談話室米澤』は、今年デビュー25周年を迎えたミステリ作家・米澤穂信さんのエッセイ集です。映画化された直木賞受賞作『黒牢城』から青春ミステリ〈古典部〉〈小市民〉シリーズと多彩な作風で幅広いファンを持つ米澤さん、エッセイを書くときの心持ちと小説とでは違いがあるのでしょうか。
発見そのものを書きたかった
米澤穂信さん(以下、米澤) 面白いエッセイを書くというよりは、面白い発見をしたいと思っているんです。なので、自分自身でいろんなことを考えてみて、その発見そのものが書ければ一番いいと思っていました。あとは、「こんな変な人がいた」「こういう嫌な目にあった」は題材として書かないようにした、というところでしょうか。
『談話室米澤』は「キッチン」が1章を占めるなど、食の割合がかなり高いですよね。食は米澤さんにとって、発見や探究の対象なのでしょうか。
米澤 そうですね。食には興味があります。食べられないものだらけだった環境を、土地を改良し、作物を改良して、歴史の中で食べられるものを増やしてきた。さらには機械ができ、機械でなければ作れない食べ物が出てくる。あらゆるものを食べられるようにしようとする不断の努力には、動物的であると同時に人間的なものを感じます。
エッセイを書くときと小説を書くとき、頭の使い方に違いってありますか。
米澤 小説は基本的には描写をするものです。エッセイではもっぱら説明になるのですが、説明口調とはまた異なります。
読み物としての趣を考えると、「説明口調でない説明」ってとても難しそうです。
米澤 たとえば須賀敦子さんのエッセイでは、道がどう曲がっているのか、どう橋がかかっているのか、土地の様子が全てわかるよう説明がなされているのだけれど、説明を受けているという感じにはならない、あの境地でしょうか。
『談話室米澤』には全部で68篇を収録しています。呻吟した一篇、というのはございますか。
米澤 エッセイストではないので、小説家のエッセイの間合いというのをつかむのに少し苦慮しました。日経新聞に連載した「プロムナード」でいえば、最初に書いたものは多少苦労が大きかったように思います。第1章「談話室」にある五稜郭の話を、連載時は最初に書きました。見たものや思っていることに対して、どうしても紙幅が十分でなく、かといって十分な紙幅に全て書いたら面白いエッセイなのかというと、そうでもないよなあと。取捨選択が難しかったですね。
平成二十四年の冬、人に誘われて函館を訪れました。五、六人いた旅のメンバーは誰も彼も協調性に欠け、どこに行くにもばらばらで、他人と旅をするのはあまり好まない私も、こういう旅ならば楽しいと思ったものです。夕食だけは共にして、早くに開かれた港町らしいハイカラなその味は絶佳であったと記憶しています。
私以外は一泊二日で帰っていきましたが、私はしばらく当地に居残りました。急ぎの仕事を抱えていて、復路に一日使うことが惜しまれたのです。さすがに北海道の宿は断熱性が素晴らしく、部屋は少し暖房を入れれば汗ばむほどで、寒さについて苦労した記憶はありません。仕事は順調で、二日ほどで目途が立ち、街を散策する余裕も生じたものですから、宿の窓からずっと見えていた五稜郭に、ふと足を向ける気になりました。
冷え込みの強い年ではなく、雪も街を埋めるほどではありませんでした。五稜郭に近づくにつれ、何よりもまず、その土塁の分厚さに圧倒されたことを憶えています。あれほど厚みのある土山を見たのは初めてでしたし、それからも見ていません。
五稜郭の築城が始まったのは安政四年、一八五七年です。当時、世界的に見れば、戦争の主役は艦砲を含む大砲でした。大砲は壁も櫓も吹き飛ばす強力な兵器ですが、大質量の土に穴を開け、崩してしまうことは困難です。私が見た土塁の厚みは、五稜郭が鎧武者の切込みではなく砲弾に耐えるための場所だということを、何よりも雄弁に物語っていました。
内部にもまた、砲撃に対する備えは随所に見られました。砲手が彼我の距離を測る目印になってしまう櫓のたぐいを建てなかったことも、その一つでしょう。土塁の内側に段差が設けられていることも、深く納得のいく工夫でした。段差の上は兵が移動するための通路になっていたはずで、放物線を描いて飛んで来る砲弾が土塁のすぐ内側に落ちることはありませんから、通路を行き来する兵は、ほとんど被害を受けないのです。
城のみならず建築物を見る際には、なぜそのように作られたのかという思想にこそ興味を惹かれます。私には五稜郭が、江戸幕府が国際社会の荒波に放り出されるにあたり、平和を保った二五〇年の間に世界がどう変わったのか必死に学び柔軟に吸収しようとした、その巨大な証明であるように思われてなりませんでした。
――すべての要塞は無用の長物に終わるのが最善であり、それこそが要塞の本来の役目なのだとさえ言えます。ですが五稜郭は激動の歴史の中で、実戦に用いられてしまいました。広く知られる通り、戊辰戦争の締めくくりたる箱館戦争において、榎本武揚総裁率いる旧幕府軍の生き残りが五稜郭に立てこもり、新政府軍を迎え撃っています。
実際のところ、五稜郭は設計思想こそ新しいものでしたが、要塞としての機能は完璧と言えるものではありませんでした。戊辰戦争研究者の大山柏は五稜郭について、単独の堡塞では裸城のようなもので、要塞としての意味をなさないと評したそうです(『五稜郭の戦い』菊池勇夫)。
防備の不充分さは、幕府の財政的な限界によるものでもあったでしょう。もし五稜郭が完全であり、新政府軍に攻撃を諦めさせるほどに堅牢であったら、歴史は変わったかもしれません。そうでなくてよかったと言えるのかは、神のみぞ知るところです。
散歩から戻り、私は仕事を進めました。予定よりも早く終わったので最後の一日は湯の川温泉に浸かり、湯の中で、今度は平和な桜の名所として五稜郭を再訪しようと思ったものです。その願いは、未だ果たせていません。
単行本化にあたっては細やかに手を入れていらして、いわば書籍が「完成版」ですね。さて『談話室米澤』は、本に関する文章をまとめた『 米澤屋書店 』(文藝春秋)に続く2冊目のエッセイ集になります。今後も小説とともに、エッセイも執筆いただけますでしょうか。
米澤 もちろん機会があれば。そういえば『談話室米澤』には、演劇など舞台芸術に関するエッセイがないんですよ。わたしがあまり詳しくないから、ではあるのですが。
じゃあ次はぜひ、『劇場米澤』を作りましょう! そしてせっかくなので『食堂米澤』も!
米澤 そしてわたしの遺稿集は『談話室米澤 跡地』となり……
やめてください!
文/桂 星子(日本経済新聞文化グループ兼日経BP 日経BOOKSユニット) 構成/市川史樹(日経BOOKプラス編集) 写真/鈴木愛子
米澤穂信/日本経済新聞出版/1980円(税込み)




