世界の投資家たちが、社会や環境、そして働く人を尊重することを企業に求める「ESG投資」によって大きなルール変更が起きています。ESG(環境・社会・企業統治)は10年後を生き抜くためにも、きちんと理解しておくべきキーワードです。その変化を、今知るか、知らないままでいるか。 『ESG投資で激変!2030年 会社員の未来』 (市川祐子著、日経BP)の出版を記念し、2022年10月に実施したセミナー『10年後を生き抜く!ESGが変える「お金」と「働く人」のルール』でのディスカッションを、3回にわたってレポートします。第1回のテーマは、「10年後を生き抜ける人、心配な人」です。

<登壇者>
市川祐子/マーケットリバー代表取締役
田中靖浩/作家・公認会計士
仲山進也/仲山考材代表取締役・楽天グループ楽天大学学長

世界は変わった。君はどうか。

市川祐子氏(以下、市川):『ESG投資で激変!2030年 会社員の未来』(日経BP)という本は、「ESG投資は、普通の会社員の未来に大いに関係があることなんだよ」ということを知ってほしくて書きました。本の冒頭、「はじめに」のタイトルは、「世界は変わった。君はどうか。」です。

市川祐子/マーケットリバー代表取締役<br>楽天(現楽天グループ)、NECグループで15年IR(投資家向け広報)を担当。2016年に楽天IR部長を経て、現在はクラシコムや旭ダイヤモンド工業など複数企業の社外役員を務めるほか、企業のIR担当者や起業家向けにコーポレートガバナンスやIRのコンサルティングを行う。一橋大学財務リーダーシップ・プログラム(HFLP)非常勤講師。著書に『楽天IR戦記「株を買ってもらえる会社」のつくり方』(日経BP)
市川祐子/マーケットリバー代表取締役
楽天(現楽天グループ)、NECグループで15年IR(投資家向け広報)を担当。2016年に楽天IR部長を経て、現在はクラシコムや旭ダイヤモンド工業など複数企業の社外役員を務めるほか、企業のIR担当者や起業家向けにコーポレートガバナンスやIRのコンサルティングを行う。一橋大学財務リーダーシップ・プログラム(HFLP)非常勤講師。著書に『楽天IR戦記「株を買ってもらえる会社」のつくり方』(日経BP)
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市川:本のカバーに掛けた帯にはこんな言葉を並べました。

  • ● パーパスなき会社からは転職せよ
  • ● 日本の人的投資はイタリアより低い
  • ● 『出世すごろく』のゴールは取締役にあらず
  • ● 女性役員が多い会社は利益率が高い

 この4項目はすべて「ESG投資」で起きている変化です。読者の声として「ESGって“自分ごと”だと分かった」とか、「働きがいとか組織とかちゃんと考えなきゃと思いました」という感想をいただいています。
 そもそもなぜ、ESG投資が普通の働く人の未来に関係あるのかというと、私たちの老後を支える年金を増やす仕事をしている人たち、機関投資家と呼ばれる人たちが投資先の企業にESGへの対応を求めるようになったからです。

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市川:例えば、今年生まれた赤ちゃんが80歳になるのは22世紀です。機関投資家は、彼らのような若い世代がやがて年を取ってお金が必要になる時のこと、100年先、150年先まで考えて投資方針を決めます。当然、今年とか来年とかの短期ではなく、長期にもうかる仕組みを持っている企業に投資しようと考えます。さらに、そのためには世界の経済全体が長期的に安定して成長することが重要だと考えます。そのための対応を企業にも求めるのが、ESG投資なんです。

仲山進也氏(以下、仲山):市川さんの本で「なるほど」と思ったのが、ブラックロックという世界で一番大きな機関投資家の運用方針の話です。1000兆円という巨大なお金を運用しているから、「いい会社をより好みして投資する」なんてできない。幅広く世界中の上場企業に投資せざるを得ないから、地球全体が沈んでいくことは損失になる。

 環境問題を「予防するか治療するか」で比べると、予防する方が圧倒的にコストが少なくて済む。だから彼らは、ESGに配慮することを企業に求める。ESGって理想論のように聞こえがちですけど、経済合理性の話なんだとすごくふに落ちました。

仲山進也/仲山考材代表取締役・楽天グループ楽天大学学長<br>シャープを経て、創業期の楽天(現楽天グループ)に入社。2000年に楽天市場出店者の学び合いの場「楽天大学」を設立。考える材料をつくってファシリテーション付きで提供するヒントのソムリエ。個人・組織・コミュニティ育成系の支援が好き。主な著書に『「組織のネコ」という働き方』(翔泳社)、『今いるメンバーで「大金星」を挙げるチームの法則』(講談社)、『組織にいながら、自由に働く。』(日本能率協会マネジメントセンター)など
仲山進也/仲山考材代表取締役・楽天グループ楽天大学学長
シャープを経て、創業期の楽天(現楽天グループ)に入社。2000年に楽天市場出店者の学び合いの場「楽天大学」を設立。考える材料をつくってファシリテーション付きで提供するヒントのソムリエ。個人・組織・コミュニティ育成系の支援が好き。主な著書に『「組織のネコ」という働き方』(翔泳社)、『今いるメンバーで「大金星」を挙げるチームの法則』(講談社)、『組織にいながら、自由に働く。』(日本能率協会マネジメントセンター)など
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昭和型企業とイヌ型社員は心配な組み合わせ

市川:同じ理屈で、ESG投資は「働く人のルール」も変え始めています。投資家は長期的にもうかる会社に投資したいわけですね。では、長期で価値を生むものは何か。「人」です。なので、長期的な視点で人に投資する会社、従業員を大事にする会社でなければ、投資家は評価しなくなっています。

 働く人のルールが変わったのなら、働く側も変わらないと未来を生き抜けないんじゃないかなと私は思います。あと、自分で考えることも大事。昔ながらの日本の企業は、学校の部活っぽいところがあって、取りあえず先輩の言うことを聞いておけばよかったのですが、これからは自分で考えなければいけない。これが大きな違いかなと思っております。

 仲山さんは、組織にいる人の類型を4つの動物に例えた、 『「組織のネコ」という働き方』(翔泳社) という本を出されていますよね。

『「組織のネコ」という働き方』(翔泳社)
『「組織のネコ」という働き方』(翔泳社)
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仲山:「イヌ」は組織に忠実で、会社から言われたことをきちんとやることに重きを置くタイプ。「ネコ」は自分に忠実で、会社の指示よりお客さんに価値を提供できているかに重きを置くタイプ。会社の指示でも納得いかないとスルーしたりします。
 そもそもこの分類を考えたのが、レオス・キャピタルワークスでファンドマネージャーをされている藤野英人さんなのですが、その藤野さんが最近、「会社は2種類に分けられる。令和4年型企業と昭和97年型企業だ」という表現をしていました。

 2022年すなわち令和4年は、昭和にすると97年に当たります。昭和97年型企業は、昭和の高度経済成長期の事業の価値や、その時に出来上がった組織の価値をそのまま持ち続けて今に至っているのですが、それらの価値はもうだいぶ賞味期限が切れかけていたり、すでに切れてしまっていたりします。そういう会社で組織に忠実な「イヌ」として指示通りに働いている人は、10年後が結構心配かなと思います。

定年という壁を乗り越えて、人生をうまく続けられるか

田中靖浩氏(以下、田中):「10年後を生き抜ける人、心配な人」というお題、私にとっては意味がちょっと違うんですよね。というのは、私は今59歳で、10年後は69歳になるんです。勤め人なら、これから10年の間に「定年」という高い壁を越えるわけです。

 ESGやSDGsが目指すのは、持続的な社会を作ること、つまり「長く続く」ことを大切にしますが、その持続性が最も難しいのが実は会社員の労働だと思うんです。会社員として取り組んできたテーマが、定年退職で自分の中から消えてしまう。それまでの毎日の過ごし方と、定年で花束をもらって会社を辞めてからの毎日が違い過ぎますから。

 だから「会社員の未来」といったとき、我々の世代の場合は、定年後にどう働くか、生きるかを考えておかないと厳しいって思う。定年という壁、人生の段差をうまく乗り越えて、人生をうまく続けられるかが非常に重要になってくると思います。

田中靖浩/作家・公認会計士<br>東京都立産業技術大学院大学客員教授。外資系コンサルティング会社などを経て独立。ビジネススクール、企業研修などで「笑いが起こる会計講座」の講師として活躍する一方、会計・経営、世界史、アートなどを幅広いテーマで書籍を執筆。新聞・雑誌連載、ラジオ・テレビ出演多数。主な著書に『会計の世界史』(日本経済新聞出版)、『実学入門 経営がみえる会計』(日本経済新聞出版)、『良い値決め 悪い値決め』(日経ビジネス人文庫)など
田中靖浩/作家・公認会計士
東京都立産業技術大学院大学客員教授。外資系コンサルティング会社などを経て独立。ビジネススクール、企業研修などで「笑いが起こる会計講座」の講師として活躍する一方、会計・経営、世界史、アートなどを幅広いテーマで書籍を執筆。新聞・雑誌連載、ラジオ・テレビ出演多数。主な著書に『会計の世界史』(日本経済新聞出版)、『実学入門 経営がみえる会計』(日本経済新聞出版)、『良い値決め 悪い値決め』(日経ビジネス人文庫)など
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転職しても定年退職してもずっと使い続けられる「ポータブルスキル」

市川:会社を辞めても使えるスキルを身に付ける、リスキリング(学び直し)がとても注目されていますよね。国も学びを推奨しています。

田中:20年くらい前ですが「ポータブルスキル」という言葉がはやりました。今の会社から転職しても使える、持ち運びができるスキルという意味ですけど、今の時代に提案したいのが、「長期的ポータブルスキル」を身に付けることです。転職しても定年退職してもずっと使い続けることができるスキルや肩書を、会社員として働いている間に培おう。

 例えば、仲山さんは楽天大学学長でいらっしゃいますが、「がくちょ」と名乗っていて20年くらいたつ。それが今はすっかり通称になっている。楽天を辞めたとしても、この名称はもう彼のものになっているんですよね。長期的にポータブルな肩書を自分のものにしてしまった。

市川:楽天にとっても、仲山さんが「がくちょ」と名乗り続けることにメリットがあるんですよね。

田中:そこなんですよ。自分にも会社にもメリットがあるから長続きする。

市川:長期的ポータブルスキルがあれば、例えば社外で誰かのメンターになるとか、学生に何かを教えるとか、いろんな形で社会に貢献することもできそうですしね。

 ただし、ポータブルスキルを自分では見つけにくいということはありますよね。周りの第三者に聞いてみるのもいいんじゃないかな。ESG投資家が長期的な価値を重視するように、長い時間を経ても変わらない自分の本質的な価値を見つけるってとても大事。それが10年後に生き抜ける人の条件ですかね。

仲山:それこそEとかSとかGの切り口で価値を生み出すような仕事の仕方をマスターできると、この先10年や20年、さらにもっと長く続けられる働き方ができる気がします。

定年後に陥る「不安5段階」

田中:私の後輩が面白い分解式を作ってくれまして、キャリアセミナーで「『仕事力』は、この3つの掛け算だと思います」という説を発表しました。

「仕事力=商品力×看板力×自分力」

田中:商品力とは売っているモノやサービスの魅力。看板力は会社名のブランド力。つまり大企業を辞めると、仕事力を構成する要素が2つ、いっぺんに消える可能性があるんです。この式に刺激を受けまして、私も考えてみました。それがこれです。

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田中:皆さんご存じ「マズローの欲求5段階説」ってありますよね? 人間の欲求は、まず生理的欲求があって、次に安全欲求、認められたい所属欲求、誰かの役に立ちたいという承認欲求、最後が自己実現欲求。ピラミッドのように、下から上に欲求の階層が上がっていくと説明されています。

 さっき私が言った「定年の壁」を乗り越え切れない人たちには、段階的不安のようなものがあることを発見しました。それを図にしたのが「欲求5段階説」ならぬ「不安5段階説」です。

 定年になった人たちは何が不安か? まず健康不安。50代後半の人間が同窓会で会うと、一次会はだいたい不健康自慢で終わります。ちなみに広義で捉えると「親の介護」も、ここに入ります。次がお金の不安ですね。退職金や年金で暮らしていけるのかという不安。
 次とその次がとても重要なんです。マズローの5段階では「所属」と「承認」。大企業の社員でいる間は「所属」と「承認」が自動的に満たされて、一番上にあるはずの個人の「自己実現」が溶けてなくなってる。どこどこ株式会社に勤めているという「所属」と、出世して部長になりましたという「承認」が、「自己実現」になっちゃってる。

 ところが、その「所属」と「承認」が、会社を辞めた瞬間に消えてなくなってしまう。自動的に「自己実現」も消えてしまう。私の不安5段階説では、3段目が「無所属」、次が「孤立」。行く場所がないし、誰も自分のことを認めてくれない。

 最後に行き着く先は「自己否定」。俺は何のために生きてきたんだろうか。何者なんだろか。それが分からなくてすごく寂しい状態に陥る。こうなると人間というのは心と身体がだんだん傷んでくるんですよ。

 「10年後を生き抜ける人」というテーマで、より長期的に「会社員のその後」まで考えるべきだと思います。会社にいる間から、会社から離れても無所属とか孤立にならないようにしておく。お金持ちにならなくてもいい。定年になっても友達がいて、うまいものを食えて、酒飲んで楽しく過ごせることが大切です。

構成/中城邦子、安原ゆかり(日経BP 総合研究所 上席研究員)