防衛研究所防衛政策研究室長の高橋杉雄さんが選ぶ「戦術と戦略が分かる本」。3回目は、軍事とビジネスに共通する課題を取り上げる。どんな状況でも自分の強みを相手の弱みにぶつけることが肝心。しかし、第2次世界大戦を振り返れば、どの国も敵国の戦力分析は詳細に行っていたが、自国の分析は怠っていた。

不確実な未来にどう対処するか

 ロシアとウクライナの戦争が始まってほぼ1年がたち、中国と台湾の緊張も高まっています。はたして、これから日本はどうなるのかと心配している人も多いのではないでしょうか。

 昨年末、私は『 現代戦略論 大国間競争時代の安全保障 』(並木書房)という本を出版しました。日本は世界的に見ても厳しい安全保障環境に置かれています。軍事戦略論だけでなく、経営戦略論にも触れながら、日本はどのような戦略を持つべきか──といったテーマについて解説したのが、この本です。

 例えば、中国はミサイルの保有数でアメリカを圧倒していますが、実際の戦争はミサイルだけで決着がつくわけではありません。制空権や制海権の攻防があり、その上で行われるかもしれない上陸作戦まで考えていかなければなりません。逆に言えば、そのどこかで中国を食い止めることができるならば、抑止力を働かせることはできます。軍事問題は難しくなりがちですが、一般の読者の方にも読みやすくなるよう、できるだけの努力をしました。

『現代戦略論 大国間競争時代の安全保障』(高橋杉雄著)
『現代戦略論 大国間競争時代の安全保障』(高橋杉雄著)
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 本書では、シナリオプランニングやネットアセスメント(総合戦略評価:軍事面に限らず、総合的な視点から潜在的敵対国の能力を相対的に判断するやり方)といった手法も用いて分析しています。特にシナリオは重要です。ただ、シナリオで描かれるのは、「確実な未来」ではありません。そこで、ストーリーとして描かれる「不確実性の幅」から、どのような意思決定が必要になるかを読み取っていくことが大切です。

 昔から、戦場には不確実な部分があります。これを「戦場の霧」といいます。情報技術の発達で軽減もされていますが、敵の居場所を把握しづらいステルス技術、ハッキングなどのサイバー攻撃のように、増大もしてきています。将来この「霧」が濃くなるのか薄くなるのかは、誰にも分かりません。

 一方で、軍隊は、潜在敵国の戦力は必死になって分析しても、自国の戦力は同じような形で分析しない傾向があります。どんな状況になっても「相手の弱み」に「自分の強み」をぶつけることが勝つ術なのですが、それには、相手のことも己のことも、より深く知る必要があります。ネットアセスメントはそれを重視する考え方です。

「戦場には常に不確実な部分があります」と話す高橋さん
「戦場には常に不確実な部分があります」と話す高橋さん
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 第2次世界大戦を振り返れば、どの国も敵国の戦力分析は詳細に行っていましたが(その分析が正確だったかどうかは別として)、多くの国が自国の分析は怠っていました。実は相手以上に、自国の強み・弱みが分かっていなかったのです。

 これは、現代のビジネスに当てはめると、ライバル社の研究は熱心にするけれども、実は自社のことは把握していない──といったことに通じるのではないかと思います。例えば、日本人の思いもしなかったものがインバウンドの観光客から評価されることもありますね。相手のこと以上に、自分のことを知らなければならないという一例だと思います。

 ところで、大国間で戦争が起きると、どうなるのでしょうか。現代における戦争を疑似体験できるのが、トム・クランシーの『レッド・ストーム作戦発動(ライジング)』(上下巻/井坂清訳/文春文庫)です。こちらはエネルギー不足に陥ったソ連が、中東の油田を奪おうとNATO(北大西洋条約機構)軍に先制攻撃をしかけ、第3次世界大戦が起きるというストーリーの小説です。多作なトム・クランシーですが、大国同士の戦争を具体的にイメージするにはお薦めです。

『レッド・ストーム作戦発動(ライジング)』(トム・クランシー著)
『レッド・ストーム作戦発動(ライジング)』(トム・クランシー著)
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重要なのは人事

 最後に紹介するのは『 イノベーションのジレンマ 増補改訂版 技術革新が巨大企業を滅ぼすとき 』(クレイトン・クリステンセン著/玉田俊平太監修/伊豆原弓訳/翔泳社)です。こちらは、歴史ある大企業がなぜ、破壊的な新技術を持つ新規参入企業によって滅ぼされてしまうのかを論じた1冊です。

『イノベーションのジレンマ 増補改訂版 技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』(クレイトン・クリステンセン著)
『イノベーションのジレンマ 増補改訂版 技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』(クレイトン・クリステンセン著)
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 技術革新への対応は軍事組織にも共通する課題です。戦い方を一変させるような新兵器・新技術が登場した際には、いかに柔軟に対応するかが死活問題になります。

 例えば、軍隊に戦車が導入された時、陸軍の戦い方は歩兵による塹壕(ざんごう)戦から戦車による機甲戦に変わりました。しかし、この変化は簡単に起こったわけではありません。それまで戦場の中核だった歩兵や砲兵が導入に反対したからです。第2次世界大戦前にはドイツ、フランス、イギリス、ソ連、日本が戦車を導入しようとしましたが、最も成功したのはドイツです。これは政治指導者であったヒトラーの介入により、戦車を重視する改革派が引き立てられたからです。

 イノベーションを引き起こせる人材を確保するためには、人事が重要です。例えば、アメリカは空母を導入した時に、「空母の艦長はパイロット出身でなければならない」と定めました。映画『トップガン マーヴェリック』をご覧になった方はご存じだと思いますが、主人公マーヴェリックのライバルだったパイロットのアイスマンが、アメリカ海軍の太平洋艦隊司令官になっていますよね。

 どれだけ優秀な若い軍人がいたとしても、その先に出世の道が見えなければ新しい分野に身を投じようとはしないでしょう。それを米海軍は分かっていたのです。「新しい分野に行っても、少なくとも艦長のポジションがある」と分かれば、進取の精神に富んだ人材が航空分野に来て、力を発揮してくれます。

 イギリスの場合、空母の艦載機は空軍所属でした。そのため、海軍の中で空母重視派は力を持つことができませんでした。しかも、空軍はよい人材を自分の手元に残し、むしろ先のない人材を艦載機に回したのです。そうなると、海軍が空母を強化するために予算をつけることもなく、人も集まらなくなる──といった悪循環に陥りました。

 軍事でもビジネスでも、イノベーションを起こすには人事戦略が欠かせません。

「メンバー全員が戦略を自分事として共有することが重要」
「メンバー全員が戦略を自分事として共有することが重要」
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 また、戦術・戦略は「どういったものか」よりも、「どう生み出すか」のプロセスが大事です。アイゼンハワー・アメリカ元大統領は「計画それ自体に価値はないが、立案はすべてに勝る」と言っています。これは、立案プロセスを通じて、関係者が、今直面している問題と自分たちの進む方向性についての認識を共有していくことの価値を強調したものです。いわば「100点満点だが誰とも共有していない戦略」よりも、「69点でもその場の全員が自分事として共有している戦略」のほうが強いということです。

 実際にミサイルを撃つのが軍事だとしたら、自社のサービスや商品を世に放つのがビジネスです。時には「どの部分に力を注ぐのか」「いつ戦いを挑むのか」「社内における勝ち組・負け組の処遇をどうするのか」といった課題も出てくることでしょう。

 そうした際に、この連載の全3回でご紹介した戦術・戦略本がお役に立てば幸いです。

取材・文/三浦香代子 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真/木村輝