防衛研究所防衛政策研究室長の高橋杉雄さんが選ぶ「戦術と戦略が分かる本」。2回目はスポーツ戦術についての本。スポーツと戦争に共通するのは、「自分の強みを相手の弱みにぶつけ、優位に立つこと」。サッカー、ラグビー、野球の戦術に、ビジネスへ応用できるヒントが隠されているかもしれない。

「フェアな」スポーツは戦術がものをいう

 第1回 「高橋杉雄 軍事戦略・戦術をビジネスにどう応用するか」 は「戦術」と「戦略」の違いをお話ししましたが、戦術・戦略が欠かせないものといえば「スポーツ」です。今回は特に私が好きなサッカー、ラグビー、野球に関する戦術本をご紹介します。

 戦争もスポーツ(一部競技を除く)も、敵と味方に分かれて戦う行為であり、戦術・戦略が勝敗を左右するのは同じです。しかし、決定的に違うのは、「スポーツはフェアであること」です。例えば、マンチェスター・シティのようなビッグクラブがセミプロチームと対戦するとします。資金力は圧倒的に違いますし、選手の能力にも差があるでしょう。しかし、11人対11人で試合を行うこと自体は変わりません。

 昨年の天皇杯ではJ2・18位のヴァンフォーレ甲府が、J1・3位のサンフレッチェ広島を破って日本一となる大番狂わせがありました。戦力面でも年俸などの待遇面でも大差をつけられているヴァンフォーレ甲府が、前半26分という早い時間帯で点を奪い、後半、サンフレッチェ広島に同点に追いつかれても耐え、最後はPK戦で優勝したのです。

 戦争は違います。例えば、アメリカ軍が戦争をする場合、常に30人対5人ぐらいの圧倒的な戦力差で戦おうとします。戦場に出た時点でもう勝敗が決まっているのが、理想的な戦い方ですから。これはまったくフェアではありませんね。ビジネスにおいても、競合他社と勝負にならないくらいに優位性を保って利益を出すのが理想だと思います。

 一方でスポーツが戦争やビジネスと共通しているのは、「自分の強みを相手の弱みにぶつけ、優位に立つこと」です。そのために重要となるのが、戦術・戦略です。

「戦争とスポーツには相違点と共通点があります」と話す高橋さん
「戦争とスポーツには相違点と共通点があります」と話す高橋さん
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 昨今のサッカーで有名な戦術の原則は「ポジショナル・プレー」です。ポジショナル・プレーを分かりやすく言うと、自分たちにとって優位な場所、相手が嫌がる場所でプレーをすること。例えば2人いる守備陣の中間に立てば、相手はどちらがマークをすればいいのか判断に迷い、対応が難しくなります。

 こうしたサッカー戦術を分かりやすく解説しているのが、『 アナリシス・アイ サッカーの面白い戦術分析の方法、教えます 』(らいかーると著/小学館新書)と『 シン・フォーメーション論 』(山口遼著/ソル・メディア)。『アナリシス・アイ』は入門書としてお薦めですし、『シン・フォーメーション論』はもっと詳しく知りたい人に向けた本です。

『アナリシス・アイ』(らいかーると著)
『アナリシス・アイ』(らいかーると著)
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『シン・フォーメーション論』(山口遼著)
『シン・フォーメーション論』(山口遼著)
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進化するサッカー戦術

 20年ほど前、ディフェンス4人、中盤4人を平行に配置し、ブロックのような守備隊形を作る形での守備戦術が発達しました。日本も、2010年の南アフリカ・ワールドカップでは強固なブロックで守り、グループリーグの突破に成功しました。これは、ブロックの前に2人のフォワードを置いて4-4-2というフォーメーションで攻守とも戦う形と、守備のときだけ4-4-2で、攻撃の時には違うフォーメーションに変化する形とがあります。

 それから、「ブロックをいかに崩すか」がサッカーの課題になります。香川真司のようにブロックの間の小さいスペースでプレーできる選手が重視されるようになったのも、これが理由です。戦術面では、ピッチを縦に5分割する「5レーン」という戦術が生まれました。こうした戦術について、『シン・フォーメーション論』では詳しく解説しています。

 また、『 戦術リストランテ 』(西部謙司著/フットボリスタ編/ソル・メディア)シリーズも欧州サッカーの戦術を詳しく紹介、読み応えがあります。こちらは海外サッカーの専門誌『フットボリスタ』の連載をまとめたもので、すでに7巻が刊行されています。2011年刊行の1巻目では「チャンピオンズリーグで1トップが増えた理由は?」「最強バルセロナに勝つための方法は?」など、熱い議論が紹介されています。

『戦術リストランテ』(西部謙司著/フットボリスタ編)
『戦術リストランテ』(西部謙司著/フットボリスタ編)
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 昨年のカタール・ワールドカップでは、「三笘(みとま)の1ミリ」が話題になりましたが、あれも偶然ではなく、相手が対応しにくい場所にボールを入れて守備を崩すという戦術が確立しているからこそ、必要な場所に三笘薫と田中碧がいたのです。戦術を知ればサッカーはもっと面白くなります。

「火力も機動性も」

 続いてラグビーの本を紹介します。その名も『 これまでになかった ラグビー戦術の教科書 』(井上正幸著/カンゼン)。お薦めしておいて申し訳ないのですが、これは重要なラグビーの用語を何の解説もなしに書いてある、かなりの「マニアック本」です。もうちょっと一般読者のことを考えて書いてくれるとうれしいのですが(笑)、読み応えがあります。

『これまでになかった ラグビー戦術の教科書』(井上正幸著)
『これまでになかった ラグビー戦術の教科書』(井上正幸著)
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 ラグビーには1990年代後半から2000年代前半、「トライが取れなくなった時期」がありました。ラグビーでは、ボールを持った選手がタックルを受けて倒れ、改めてボールをつなぐ「ブレイクダウン」という局面があります。これを続けることで相手の防御を崩していくのが基本的な攻撃の仕方なのですが、2000年代には守備戦術が発達し、ブレイクダウンになったときに、守備側が素早くその両サイドに選手を壁のように並べ、突破をできなくさせるようになったのです。これは「シールドロック」と呼ばれました。

 ボールが出てきたら、すぐにまた壁を作る──といった戦い方で、トライが取れなくなり、ラグビー自体が退屈なスポーツになりかかっていました。99年の第4回ワールドカップでは、平尾誠二監督率いる日本チームもシールドロックを突破できず、1次リーグの3試合でわずか2トライと惨敗しました。

 しかし、現在のラグビーではトライが出ます。それはシールドロックを打ち破る攻撃戦術が発達したからです。その鍵になるのが、3人ぐらいのユニット(ポッド)を中心に組み立てる「ポッド戦術」です。特にポッドを縦に配置して、防御に「ずれ」を作りながら崩していく「ダブルライン戦術」が重要になっていて、この本ではそれを詳しく説明しています。

 スポーツが面白いのは、フェアな条件の中で、ルール変更や相手の出方を踏まえながら、このように戦術が変わっていくところだと思います。

「ラグビーでは、“火力”と“機動性“を兼ね備えた選手が増えてきています」
「ラグビーでは、“火力”と“機動性“を兼ね備えた選手が増えてきています」
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 前回 「高橋杉雄 軍事戦略・戦術をビジネスにどう応用するか」 では、「戦車に求められるのは火力か、機動性か」というお話をしましたが、一昔前のラグビーでは、「走れないけれども、重くて強いフォワード」「足は速いが、コンタクトに弱いバックス」というイメージでした。しかし、今はチーム全員のアスリート化が進んでいて、フォワードも走れる、バックスも当たれる、という形になって、「火力と機動性」の両方を兼ね備えた選手が増えてきています。同じような選手のアスリート化は、サッカーでも進んでいますね。

 サッカーはよく「ちょっと長さの足りない毛布を使っている」と例えられます。11人というのは絶妙な人数で、攻撃でも守備でも、どこかを重視すると別の場所が薄くなるのです。そして重要な場所は相手の動きによっても変わってきます。局面は試合の中でも刻々と変わり、監督の指示だけでは有効に機敏に対応できなくなることも起こります。

 そこで重要になるのが、フィールドにいる選手たちの判断です。この選手たちの判断能力を高めようとしたのが、カタール・ワールドカップに臨む森保ジャパンの基本的な考え方でした。ドイツ戦やスペイン戦でそれは功を奏したと思います。テンポを試合中に変え、あるタイミングでハイプレスをかけて相手が対応してくる前に点を取り切ったのは見事でした。

データで勝負した弱小球団

 野球では『 マネー・ボール〔完全版〕 』(マイケル・ルイス著/中山宥訳/ハヤカワ・ノンフィクション文庫)で知られる、オークランド・アスレチックスの例が有名です。資金不足で成績も低迷している球団を新任ゼネラルマネージャーのビリー・ビーンが「データ野球」を駆使して、強豪チームに生まれ変わらせるという物語です。

『マネー・ボール〔完全版〕』(マイケル・ルイス著)
『マネー・ボール〔完全版〕』(マイケル・ルイス著)
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 スポーツは「フェアである」と言いましたが、フェアなのは試合の人数だけで、「チーム作り」ではかなりアンフェアです。資金のあるチームは選手育成にお金をかけられるし、他チームからいい選手を引き抜けますが、弱小チームはそれができない。そこでビリー・ビーンがどうしたかというと、当時は他チームでは見向きもされなかった「打率は低くても出塁率の高い選手」を獲得したのです。実はこれは合理的な考え方です。1から出塁率を引けば「アウトになる確率」になりますから。「アウトになる確率」が低い選手を並べればそれだけ得点の確率が上がるわけです。

 さらに興味深いのは、メジャーリーグに入ってからの成績だけではなく、その選手の高校時代、大学時代のデータも評価基準にしたことです。当時は他のチームはそこまではやっていませんでした。強者と同じことをやっていては、弱者は勝てません。どこか強者が見落としている点を突くしかないのです。『マネー・ボール』の本や映画がヒットしたのは、こうした弱者の戦い方がビジネスにも通じる部分があったからではないかと思います。

取材・文/三浦香代子 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真/木村輝