トルコ・イスタンブール出身の人気エコノミスト、エミン・ユルマズさんは、高校生のときに国際生物学オリンピックで優勝した後、来日して東京大学に入学。同大学大学院で生命工学を専攻。その後、野村証券に就職し、金融業界に入ったという異色の経歴の持ち主。そんなユルマズさんがお薦めする本1回目は、アイザック・アシモフのSF小説『ファウンデーション 銀河帝国興亡史』シリーズ3部作だ。

ローマ・オスマン帝国の歴史がベースに

 小さいころから小説は大好きでした。その中で、高校時代に読んで今でも強く印象に残っているのが、アイザック・アシモフのSF小説『ファウンデーション 銀河帝国興亡史』シリーズ(銀河帝国興亡史)。1950年代に書かれた『 ファウンデーション 』『 ファウンデーション対帝国 』『 第二ファウンデーション 』(いずれも岡部宏之訳/ハヤカワ文庫SF)からなる有名な3部作です。

『ファウンデーション 銀河帝国興亡史1』(アイザック・アシモフ著/岡部宏之訳)。画像クリックでAmazonページへ
『ファウンデーション 銀河帝国興亡史1』(アイザック・アシモフ著/岡部宏之訳)。画像クリックでAmazonページへ

 舞台は遠い未来。人類は銀河系の隅々の惑星まで進出して住み着き、銀河帝国を形成します。物語のキーパーソンである心理歴史学者(サイコヒストリー)ハリ・セルダンは、帝国の未来を数学によって完璧に予測できると看破します。人口が膨大に増えたため、一部異常値が出たとしても、社会全体に与える影響は限りなくゼロに近いと考えることができるからです。

 その予測によれば、銀河帝国は300年後に崩壊し、その後数万年にわたって暗黒時代が続くとのこと。そこでセルダンは、暗黒時代をできるだけ短くして第二帝国の建設に役立てるため、人類の優れた知識と頭脳を、ある惑星に集積して保存することを思い立ちます。その組織が「ファウンデーション」です。これが物語の始まりで、以後数百年にわたり、ファウンデーションが大きくなる一方、帝国が崩壊していく姿が描かれます。

 この壮大な物語は、単なるSFファンタジーではありません。古代・中世の世界史をベースにしています。銀河帝国のモデルはローマ帝国であり、ファウンデーションのモデルはイスラムの大国であるオスマン帝国なのです。

 歴史に詳しい方ならご存じでしょう。紀元前に誕生したローマ帝国は、それ以前の古代ギリシャの文化や学問を受け継ぎ発展します。しかし紀元後に衰退が始まり、知識人や彼らが残した文献は東方のイスラム圏に移りました。イスラム圏はそれらを保護し、保管します。やがてローマ帝国の崩壊により、ヨーロッパは「暗黒の中世」と呼ばれる時代に入りました。

 その後、十字軍の遠征などにより、ヨーロッパの人々はギリシャ・ローマの文化や学問をイスラム圏で再発見します。それをヨーロッパに持ち帰ったことが、ルネサンスの一つの契機となりました。

 一方、イスラム圏ではオスマン帝国が台頭し、ローマ帝国の後継であるビザンツ帝国を滅ぼし、イスタンブールを首都にしました。ただその前には、モンゴル系のティムール帝国の侵攻を受け、崩壊の危機に直面しています。

 そうした歴史をほうふつとさせるように、第二部『ファウンデーション対帝国』では、ファウンデーションを攻撃する「ザ・ミュール」という悪役のキャラクターが登場します。彼はミュータント(突然変異体)として特殊な能力を発揮し、ファウンデーションを崩壊寸前にまで追い込みます。おそらくこの名は、「ティムール」にちなんでいるのでしょう。

 人類の遠い未来に思いをはせながら、人類の古い歴史を振り返る。それがこの作品の面白いところだと思います。

金融業界に進むきっかけに

 そしてもう一つ、この作品の魅力は先ほども紹介した「心理歴史学」の概念です。人口がある程度増えれば、その行動パターンを予想できるようになる。これは1950年代当時、誰も思いつかなかったことで、アシモフが初めて提示しました。アカデミックな発想が下敷きになっているので、遠い未来の話でありながらリアリティーを感じることができます。実際、この作品をきっかけにして、こうした学問を志す若い人が増えたそうです。

 実は私も、若いころに影響を受けた一人です。「心理歴史学」という用語はともかく、これは経済学と重なってみえます。ざっくり言うと、経済学とは大多数の人々の投資や消費、生活スタイルなどを観察して将来の予測や政策につなげるものです。アシモフのSFは、こうした分野は面白そうだと気づかせてくれました。

 もともと私は動物が大好きで、高校生のときに国際生物学オリンピックでトルコ代表として参加し優勝しました。それでトルコ政府系財団の奨学金によって世界中どこでも自由に留学できることになり、日本を選択しました。1年ほど日本語学校に通った後、東京大学に入って希望どおり生命工学科に進み、大学院も出ました。だから生命工学修士の学位を持っています。その道の研究者として生きていくことも可能でした。

 ところが、その過程で大きな問題に直面します。生命工学は応用科学なので、動物実験が不可欠です。実験を繰り返すからこそ、例えば病気の原因究明などにつながります。しかし私は、実験が大の苦手でした。大きな理由は、動物たちがかわいそうだから。長く研究に携わりながらも、この気持ちは克服できませんでした。動物実験のできない生命工学研究者など、話になりません。結局、自分には向いていないと判断し、研究者の道を断念しました。

「たまたま読んだ小説が人生の行方を決めました」と話すエミン・ユルマズさん
「たまたま読んだ小説が人生の行方を決めました」と話すエミン・ユルマズさん

 では何をするか。そこで思い出したのがこの作品です。動物ではなく人間の行動パターンを観察し、あるいは各種のデータを読み解いて未来を予測するのは面白そうだなと。

 とりわけ相場の世界は、さまざまな思惑や出来事によって日々動きます。その動きは必ずしも想定どおりではなく、神秘に満ちています。それはまさに生き物のようなもので、ある意味で生物学的にも興味深い。そう思い立って金融業界に飛び込んだわけです。高校時代にたまたま読んだ小説が、将来の指針になることもある。これも読書の醍醐味でしょう。

「ロボット三原則」は現実世界にも影響

 話をアシモフに戻します。彼は多くの著作を残しましたが、SF小説では『ファウンデーション』シリーズの他に『ロボット』シリーズと呼ばれる作品群も有名です(『鋼鉄都市』『はだかの太陽』など)。

 頭脳を持ったロボットが社会にすっかり浸透した未来を描いているわけですが、一連の作品群で常に提示されているのが、「ロボット工学三原則」。「ロボットは人間に危害を加えてはならない」「ロボットは人間の命令に服従する」「ロボットは自衛する」というものです。それぞれのロボットにプログラムされているはずですが、そのためにかえって不具合を引き起こす、というのが物語の起点になっています。

 この三原則は、後進の作家による多くのSF作品でも援用されています。それどころか、現実のロボット工学の分野にも影響を及ぼしていると言われています。特に昨今はAI(人工知能)の進化が話題ですが、一方で制御や倫理の観点から、何らかのルールが必要であるとの声も上がり始めました。こういう時代が来ることを、アシモフは70年も前に予見していたとも言えます。

 『ファウンデーション』シリーズも『ロボット』シリーズも古典の部類に入る作品群ですが、その意味ではまったく古さを感じません。むしろ、これからの世界がどこに向かっていくかを考える上で、解像度の高いインスピレーションを提供してくれることでしょう。

取材・文/島田栄昭 取材・構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集) 写真/稲垣純也

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