トルコ出身の人気エコノミスト、エミン・ユルマズさんは、高校生のときに国際生物学オリンピックで優勝。来日して東京大学に入学、大学院で生命工学を専攻した後、野村証券に就職し、金融業界に入ったという異色の経歴の持ち主。そんなユルマズさんがお薦めする本2回目は、トルコ出身のノーベル賞作家オルハン・パムクの小説『わたしの名は赤』。さまざまなキャラクターが一人称で語っていく構成で、ミステリー、恋愛小説、歴史小説として読み応えのある傑作だ。
ノーベル文学賞作家が描くミステリー
私の母国トルコは、地政学的に大変面白い位置にあります。東側にはスピリチュアリズム(精神主義)やコンテキスト(文脈)を重要視するイスラム文明とアジア文明があり、西側には数字や具体性、物質主義的なアプローチを重要視する西洋文明がある。ちょうどその両文明に挟まれているわけです。
だから、歴史的にも常に両文明が交わったり争ったりする要衝地でした。今日もいずれの文明圏に完全に属することはなく、それぞれのアイデンティティーが混じり合って独特の文化を形成しています。
そのトルコの現代を代表する作家が、イスタンブール出身のオルハン・パムクです。近代トルコ文学の巨匠的な存在で、2006年にはトルコ人として初のノーベル文学賞を受賞しています。
オルハン・パムクの作品に共通するテーマは、やはり東と西の衝突です。代表作である『 わたしの名は赤[新訳版](上)(下) 』(オルハン・パムク著/宮下遼訳/ハヤカワepi文庫)もその1つ。パムクの作品には暗くて重たいものも多いのですが、これは比較的軽く、読んでいて楽しい気分になれます。舞台はオスマン帝国の最盛期だった16世紀のイスタンブール。ある殺人事件に端を発するミステリーを軸に、時代背景や文明の衝突を盛り込みながら、壮大な物語が展開されます。
事件の被害者は細密画の絵師で、実はこの細密画が全編を貫く重要なテーマになります。日本ではあまりなじみがないかもしれませんが、細密画はイスラム圏で発達した独特な絵画で、主に書物の挿絵として描かれました。日本で言えば浮世絵に近いかもしれません。文字どおり細密なところ、そして西洋画に見られるような陰影や遠近法をまったく使わないところが特徴です。
なぜ遠近法を使わなかったのか。当時の絵師は、その技術を知らなかったわけではありません。遠近のある絵も、おそらく描こうと思えば描けたと思います。しかし信仰上の理由で描かなかった。そもそもイスラムの世界では、リアルなものを作ったり描いたりすることが禁じられています。それができるのは神様だけで、人間はそのまねをしてはいけません。だからミケランジェロのダビデ像のような彫刻作品も、イスラム世界には存在しません。対象をリアルに描写する遠近法も同様です。

ちなみに当時の細密画は、上空から見下ろすアングルが基本です。これは要するに、神の目線で描いているわけです。それに、絵に登場するのは目鼻立ちのはっきりしたトルコ人のはずですが、その目は東アジア人のように小さく描かれています。今日の日本のアニメとは対照的です。細密画は中国絵画の影響を受けており、こういう描き方が当時の美意識に合っていたのでしょう。
章ごとに語り手が変わる
本書を開いて最初に驚くのは、目次です。全部で59の短い章でつづられているのですが、すべての見出しが「わたしは◯◯」もしくは「わたしの名は◯◯」という形で統一されています。「◯◯」はいずれもこの物語に登場する大勢のキャラクターで、それぞれが一人称の語り手となって物語が展開します。
主人公の「カラ」をはじめ複数の絵師など主要なキャラクターは、何回も語り手になりますが、一方で語り手は人間だけとは限りません。細密画に描かれた「木」「馬」「金貨」などが擬人化されて語っています。
冒頭の章のタイトルは「わたしは屍(しかばね)」。井戸の底に放置された犠牲者の独白から始まります。さらには「わたしは人殺しと呼ばれるだろう」という意味深な章が4回登場します。まさに殺人犯が語るわけですが、誰が語っているのか、つまり誰が真犯人なのかは明かされません。
今ではあまり見ることのない細密画の奥深さを知るとともに、ミステリーとしても、恋愛小説としても、また歴史小説としても読み応えがある作品です。
1970年代の「ストーカー」の物語
トルコでは、小説というジャンルは隅に追いやられつつあります。ただし、オルハン・パムクだけは別格で、今も絶大な人気を誇っています。
その理由の1つは、革新的な書き方にチャレンジしてきたからです。例えば、『 無垢(むく)の博物館(上)(下) 』(オルハン・パムク著/宮下遼訳/ハヤカワepi文庫)という作品があります。舞台は1970年代から80年代にかけてのイスタンブール。主人公の男性が、12歳も年下の女性を、決まっていた婚約を破棄してまで、何年にもわたって追い続ける物語です。
その溺愛ぶりが執拗で、女性が吸ったたばこの吸い殻や身に付けていた装飾品や衣類、使っていた日用品、さらに手に触れたものまで、とにかく片っ端から収集することで満足を得ようとします。
主人公はどこまでも自分を美化して正当化しようとしますが、その姿は独りよがりでしかありません。要するに、今日風に言えばストーカーです。しかし、背景として東西の文明の衝突や当時の女性の地位なども描かれていて、格調の高さは失われていません。
イスタンブールに実在する「無垢の博物館」
そしてもう一つ、この物語には大きな“仕掛け”があります。タイトルにもあるとおり、主人公は最終的に、これまで集めてきたものを展示する博物館を開こうと思い立ちます。執拗な収集癖を「無垢」と名付けるのもどうかと思いますが、実はこの博物館がイスタンブールに実在するのです。
開設したのはパムク本人です。4000本以上のたばこの吸い殻をはじめ、小説に登場する小物や衣類などがストーリーに沿って展示されています。小説を読んだ人はその世界観にどっぷりつかれるし、読んでいない人でも、1970~80年代あたりのトルコの人々の暮らしが分かります。
博物館の構想は小説を書き始める30年ほど前から温めていて、雑貨屋などを回って作品のイメージに合うものをかき集めたそうです。こういう発想ができるから、パムクの人気は高いのでしょう。ノーベル文学賞を取るほど深いテーマに切り込みながら、希代のエンターテイナーでもあります。
ちなみに、トルコ語の原書は非常に読みやすい文体です。おそらく英語にも翻訳しやすかったはず。むしろ、最初から海外で英語版を売ることを意識して、こういう書き方をしたのかもしれません。
取材・文/島田栄昭 取材・構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集) 写真/稲垣純也
(下)』(オルハン・パムク著/宮下遼訳)。画像クリックでAmazonページへ](https://cdn-bookplus.nikkei.com/atcl/column/021800473/021800002/01.jpg?__scale=w:600,h:400&_sh=05e0840ea0)
