カリスマ経営者は何人もいる。だが、「信者」がいる経営者は松下幸之助と稲盛和夫くらいだろう。2人の違いはどこにあるのか。松下幸之助を徹底研究しながら超えようとした稲盛の軌跡と、その思想の源流にある二宮尊徳の「至誠」を、くしくも同時期に尊徳にまつわる本を刊行した北康利氏と井上裕氏が語り合う。
稲盛和夫はなぜ「思想家」と呼ばれるのか
井上 裕氏(以下、井上):これは私の持論になってしまうのですが、「思想家」と呼べる経営者って、実はすごく少ないと思うんです。定義は難しいですが、おそらく松下幸之助と稲盛和夫くらいでしょう。そもそも、自分で「思想家です」と名乗る人はいない。世の中が「あの人は思想家だ」と認めて、初めて思想家になり得る。吉本隆明さんも、数多くの著作を通じて、結果として思想家と呼ばれるようになりました。

北 康利氏(以下、北):指標の1つは「信者」の存在じゃないでしょうか。「稲盛信者」「松下信者」は確かにいる。カリスマ経営者はほかにもいるけれど、同じように「〇〇信者」というのは聞いたことがない。
それに、2人のすごさって、結局「成功し続けたこと」だと思うんです。人生は分かれ道の連続ですが、そのたびに成功確率の高いほうを選び続けてきた。稲盛さんは1959年の京セラ創業以来、一度も赤字にしていない。66年連続黒字なんです。これはすごいことですよ。それを盛和塾で体系的に伝えていた。塾生の方に話を聞くと、みなさん口をそろえて「稲盛さんの言う通りにやっていれば、成功の確率が上がった」と言うんです。

「聖人君子」じゃなかった稲盛和夫
北:ただ、稲盛さんは最初から聖人君子だったわけじゃない。『稲盛和夫のガキの自叙伝』(日本経済新聞出版)を読むとよくわかります。小学校時代はガキ大将だったし、受験はことごとく失敗。大学を出て就職した松風工業での挫折、京セラ創業期の社員の反乱まではずっと「ガキのまま」だったと本人も語っています。
高齢になってから、自分の人生を一度まとめ直しているんですよね。「これからの人生をうまくやっていくためには、どうしたらいいのか」と。いろんな本で勉強しながら、「これからはこう生きよう」と考えていった。そして、自分の成功を振り返ったとき、報徳(ほうとく)思想を引用している印象もあります。
井上:新聞記者だった私が、稲盛さんに初めてお会いしたのは第二電電の頃です。通信自由化のまっただなかで、第二電電の記者会見にはまるで「革命集団」のような熱気があった。NTTやKDD(旧・国際電信電話)とは雰囲気が違い、独特の「気」を放っていたのを覚えています。当時の稲盛さんは、後年の穏やかな聖人君子の姿とはまったく異なっていました。
その後、担当が変わり疎遠になりましたが、『日経ビジネス』の仕事で再びご縁がつながります。2001年1月1日号の巻頭コラム「有訓無訓」の執筆をお願いしたときのことです。テーマを相談すると、稲盛さんは「二宮尊徳でいこう」とおっしゃった。「井上さん、二宮尊徳を知らなきゃだめだよ」と。その言葉で、私も初めて稲盛さんが尊徳を深く敬愛していることを知りました。その頃には、すでに大人物としての風格が漂っていました。

北:稲盛さんが二宮尊徳に強く心を動かされたのは、「至誠」だったんじゃないかなと思うんです。尊徳はまず「至誠」があって、そこから「勤労」「分度」「推譲」へとつながっていく。いちばん根っこには「私心のない誠」があるんですよね。
第二電電の頃、稲盛さんは激しい社会的批判や対立のなかで、三叉神経痛になるほど苦しんだ。それでも踏みとどまれたのは、自分のやっていることは社会のためなんだ、という確信があったからじゃないかと思うんです。あのときの稲盛さんの姿は、まさに尊徳の「至誠」をそのまま体現しているように、僕には見えたんですよね。
松下幸之助を「超える」ためのサムシング・ニュー
北:僕が稲盛さんを本当にすごいと思うのは、松下幸之助を徹底的に学んだうえで、そこに“自分の答え”を足したところなんです。兄貴分の塚本幸一さん(ワコール創業者)は、松下幸之助の年譜を作って「松下と同じ年齢で自分は何をしていたか」を全部つけていた。稲盛さんも徹底的に学んだのは同じだけれど、そのまままねはしなかったんです。
たとえば、松下幸之助の「事業部制」を、稲盛さんは「アメーバ経営」(※1)に変えた。松下の語録や綱領をそのまま踏襲するのではなく、「フィロソフィー」という形で再構築した。
井上:確かに、全然違いますよね。
北:事業部制とアメーバ制の決定的な違いは、アメーバはアポトーシス(自死)できる、というところです。たとえばですが、中村邦夫さん(パナソニック元社長)はテレビ事業部出身だから、テレビ事業部は潰せない。自分の出身母体を否定できない。でも、アメーバ経営は「このマーケットは将来性がない」と思ったら、自分でたためる。事業部制のように、出身者がトップにいるから存続させる——ということが起こりにくいんです。
しかも、成果を出したからといって個人の報酬を増やすこともしなかった。あくまで「みんなの成果」なんだと。表彰はしても、分配の原理は変えない。これは単なる経営手法の話ではなくて、思想のレベルが一段上にあると思います。
さらに、若い人に経営ノウハウを伝えようとするなかで、どうしてもわかりやすく説明する必要が生まれる。考え方がどんどん磨かれていった。いま僕たちがわかりやすいと感じる稲盛さんの言葉も、そうした循環と盛和塾の存在によって洗練されていった面が大きいのではないでしょうか。

二宮尊徳と稲盛和夫は、現代に届くのか
井上:トランプ大統領が当選したときの記事で、印象的なものがありました。イェール大学の教授が「民主主義とは、人々がお互いに譲り合う制度」と定義していた。アメリカはそうなっていない、それを取り戻さない限り世界はぐちゃぐちゃになる、と。もう1つ、「啓発された自己利益」という表現があった。他人の利益を考えることが、自分の利益に跳ね返ってくるという考え方。これってまさに、「報徳」であり「利他」じゃないですか。
「報徳」や「利他」は東洋的な概念だから英語で説明しにくいのですが、同様の論理で考えている人が世界にはまだいる。これからまた、尊徳が注目を集めるんじゃないかと思うんです。
北:僕は「100年経営の会」の顧問もやっていますが、日本には創業100年を超える企業が数万社あり、世界でも群を抜いています。日本人は、社会をどう継続させるかをずっと考え続けてきた民族でもあるわけですね。
寛政の改革における、松平定信の「七分積金(しちぶつみきん)」もそうです。町衆に収入の七分を積み立てさせ、その代わり幕府も莫大な資金を拠出した。注目すべきは、幕府が滅びる危機のなかでも、その積立金に手を付けなかったことです。この七分積金は「町民のための共有財産」として守られ、その後、渋沢栄一によってガス事業に活用され、東京会議所(現・東京商工会議所)を通じて一橋大学の設立にもつながりました。さらに、困窮者や養老院にも使われた。江戸から明治へ、資金も思想も引き継がれている。
井上:尊徳には筆の立つ高弟がいて、思想がきちんと伝承されていった。稲盛さんの場合は、盛和塾の元塾生はたくさんいるけれど、まだそういう運動にはなっていない。だからこそ、現場で実践し続ける、あるいは本で書き続けることが必要です。
北:「次の世代へ社会をどう渡すか」を考えるとき、渋沢栄一、松下幸之助、稲盛和夫は外せませんからね。そしてその源流に、二宮尊徳が浮かび上がってくるのだと思います。

取材・文/金澤英恵 写真/稲垣純也
井上裕著、日経BP、2420円(税込み)
