さまざまなデータから人類の過去と未来を読み解いた新刊『 人口崩壊 データで見る人類の過去と未来 』(土方奈美訳、日経BP)。本書の著者で、テキサス大学オースティン校の准教授であるディーン・スピアーズとマイケル・ジェルーソが警鐘を鳴らすのは、「現在の地球上の人間の数は多すぎで、環境負荷や食糧問題を考えれば、少し減ったほうがいい」などの、人口に関する人々の誤った思い込みです。本連載では、「人口減少で脱炭素化を達成できるか」などの科学的な考察以前にまず手放すべき人口と環境負荷に関する思い込みを、書籍から抜粋して紹介します。1回目は「環境へのやさしさ」という思い込みについて。

環境破壊は人口とともに拡大するか

 人間は創造し、楽しむ生き物だ。汚染し、破壊する生き物でもある。人口が増えれば、創造や破壊も規模を増す。環境破壊が人口とともに拡大するなら、人口減少は好ましいことかもしれない。

 だが環境破壊は常に人口とともに拡大するのだろうか。
 2013年に中国はスモッグ危機に直面した。世界中の新聞がそれを「スモッグ地獄」などと書き立てた。『ニューヨーク・タイムズ』は「北京のアメリカ大使館が市中心部の大気を測定したところ、大気質がゼロから500の指標で755という驚異的数値が出た」と報じている。
 その後の10年で中国の人口は5000万人増えた。10年でスペイン、アルゼンチン、あるいはウガンダ1国分の人口が増えたに等しい。テキサス州の1.5倍だ。だが同じ10年で中国の大気汚染は半減した。粒子状物質による大気汚染の被害(火力や石炭発電所、車両の排気ガスによる空気のもや)は、中国の人口が拡大するなかで減少していった。

 このような複雑な実態を理解することは重要だ。というのも人口規模と環境汚染の関係性は一筋縄ではいかないからだ。人口の多い未来のほうが粒子状物質による大気汚染は悪化するのか、野生生物の生息地は減少するのか、温室効果ガスの排出による気候変動は深刻化するのかといった問いに答えるには、このような事実を理解する必要がある。

 今では環境科学者のほとんどが、環境問題の解決策として人口減少を勧めてはいない。だが環境問題のリーダーの考えが変化しても、古い考えはいまだにはびこっている。このため本章では現在の状況と、今わかっていることを整理する。そして白黒つけず、曖昧な事実と向き合っていく。

たしかに今日の環境問題を引き起こしたのは人類だ

しかし出生率を下げたところで、差し迫った環境問題を解決することはできない。

 まずはっきりさせておこう。人類は重大かつ切迫した環境問題に直面している。これは私たちの未来を脅かし、世界中で最も立場の弱い人々を危険にさらす。こうした問題に本気で対処しようと思うなら、解決に向けて本気にならなければならない。
 ただ、人口減少を受け入れることは、環境問題への本気の取り組みに含まれるのだろうか。人口の変化は環境対策の優先項目となるのに十分な効果を生むだろうか。生まないとすれば、それはなぜか。

直感を捨て、森をさまよってみるとわかること

 このまま人口が増え、現在の世界が何も変わらないとすると、ゴミが増え、汚染物質が増え、環境破壊が進むのは間違いない。人口安定化は人口減少より環境汚染を悪化させると多くの人が予想するのも理解できる。だが「現在の世界が何も変わらない」という前提を、そんなにあっさり受け入れるべきではない。過去を振り返れば、環境汚染と人口規模の関係に一貫性はない。
 未来はどうか? 世界は人口や繁栄を、大気や水の汚染と切り離すことができるだろうか(すでに切り離した)。温室効果ガスの排出と切り離すことはできるだろうか(できる)。

 こうした問いへの答えのなかには、わかりにくく、意外なものもある。感情や直感に反するものもある。だからひと呼吸おいて、感情や印象をリセットしよう。
 まずは深呼吸をしよう。そして森の中の質素な、昔ながらの小屋を想像してみよう。南向きのなだらかな丘に立ち、松の木に囲まれた美しい場所にある。ポーチからは国立保護区の美しい山並みが見渡せる。景色は最高で、周囲には手つかずの自然が残るハイキングコースがある。敷地内の泉からは水が湧いている。
 季節は冬。暖炉には焚火(たきび)が燃えている。バックアップとして実用的で効率的なプロパンガスのタンクも設置されている。コーヒーを手に玄関を出ると、松の香りに包まれる。イタチが物音を立てたり、アメリカフクロウが姿を見せたりするかもしれない。

 続いてまったく違う生活を想像してみよう。4階建ての中層マンションで、両側の壁の向こうにも、天井の上にも床の下にも別の部屋がある。窓から見えるのは別の建物のひび割れた外壁だ。水ははるか彼方(かなた)の貯水池から配管で運ばれてくる。森の小屋と同じように、建物を暖めるのはガス暖房機だ。小屋とは違い、夏用のエアコンがある。
 建物脇の小道には、ゴミ集積場から流れ出た汚水の臭いが漂っている。地下鉄駅に降りていくと、走り抜けるドブネズミや、頭上のひさしに止まったハトの姿を目にするかもしれない。今週あなたが目にする唯一の松の木らしきものは、通りすがりのタクシーのバックミラーにぶら下がったクリスマスツリー型の脱臭剤くらいかもしれない。

 小屋での暮らしのほうが自然に近い、と思うだろうか。たしかに物理的には自然に近い。だが自然へのダメージはこちらのほうが大きい。環境という観点から見ると、小屋はマンション暮らしと比べて圧倒的に悪い。
 マンションの壁から漏れ出した熱は、両隣や上階あるいは下の階の部屋を暖めるので生産的だ(住民1人あたりのエネルギー消費を抑えられる)。だが小屋の壁から漏れ出した熱は、ムダに大気中に放出される。美しい暖炉で固形燃料を燃やすと、粒子状物質による大気汚染の原因になるし、排出される二酸化炭素濃度も高まるのは言うまでもない。
 小屋が俗世間から離れているということは遠方から電気が送られてくるわけで、その分送電ロスも大きくなる。コーヒー豆や、ココアに入れるマシュマロを配送するコストは、大都市より僻地の山のほうが当然高くなる。

 野生生物を見られてあなたは楽しいかもしれないが、野生生物の側から見れば自分たちのすみかを侵害されて迷惑な話だ。できればハイキングはよそでやってくれ、と思うだろう。

 人間の暮らしは環境を汚染する。1人の人間が森の小屋に住めば、周囲の環境を汚染し、破壊し、野生生物を駆逐する。だから私たちは直感的に、人間の数が増えれば環境への影響も増大すると考える。具体的にいえば、人口と汚染は「正比例」するように思える。1エーカーの土地に1家族が暮らすのと10家族が暮らすのとでは、後者のほうが10倍悪いのではないか。あるいは都市の中心部のように1エーカーに100家族が暮らせば、100倍悪いのではないか。
 答えは「ノー」だ。なぜなら人間の数と環境に及ぼす影響は正比例しないからだ。実は人口密度の高い都市環境での暮らしのほうが、同じ数の人が僻地で散らばって暮らすより環境汚染物質の排出は減る。

 これだけでは世界人口の増減が環境に与える影響を判断することはできない。森の中の小屋は、炭素排出量の多い選択肢のほうが環境にやさしい選択のように「感じられる」ことを示す一例に過ぎない。同じことが人口増加・減少に関する多くの問いについていえる。往々にして正しいと「感じられる」選択肢は、科学的事実に反するのだ。

(写真:polinaloves/stock.adobe.com)
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日本で始まっている人口減少。世界全体ではまだまだ増えているから心配ないと思い込んでいませんか? 実は今後早くて約30年で、世界の人口はピークを迎え、急激に減少していくことが見込まれています。本書が警鐘を鳴らすのは、「人口減少によって、気候変動を含む切迫した環境問題は改善する」「世界の資源をより少ない人口で分配すれば、生活水準が向上する」などの間違った思い込みです。どこが間違っているのか? 実際に世界はどうなるのか? データをもとにひもときます。

ディーン・スピアーズ、マイケル・ジェルーソ(著)、土方奈美(訳)/日経BP/2420円(税込み)