ミステリの名手であり、ホラーや純文学なども手掛ける芦沢央(よう)さんのエッセイ連載。前回(参照:ロケ現場で起きたドラマ原作者による「世界一つまらない返し」)は、芦沢さんが突発的な出来事への対応が苦手で、その場でどう返せばいいかわからないという話でした。今回はなんと、10年ぶりに健康診断に行ったという話です。なぜそんなに長い間、健康診断に行かなかったのでしょうか。そしてどんな結果だったんでしょうか……。(編集部より)

「一度ちゃんと診てもらった方がいいよ」
10年ぶりに健康診断に行った。
今回は1行目から、反省すべき点しかない内容だ。
どういうことかというと単純な話で、勤め人であることをやめて以来、一度も健康診断なるものに行っていなかったのである。
ちなみに、私は今年42歳で、文芸美術国民健康保険組合に加入している。
つまり、自治体から送られてきた40歳健診の受診券も、文芸美術国民健康保険組合からの人間ドックの案内も、すべて無視してきた。理由は、めんどうくさかったからだ。
いや、正確に言えば、そうした通知を目にするたびに「そろそろ行かないとな」とは思っていた。ただ、スケジュールに余裕ができたタイミングで予約しよう、と考えているうちに存在を忘れてしまい、気づけば受診券の使用期限が過ぎていたのである。
――いかん、書けば書くほど私のダメ人間っぷりが浮き彫りになってくる。
思い返してみると、勤め人時代にも健康診断は憂鬱な存在だった。まず、体重を計られたくない。視力検査も「わかりません」と繰り返さなければならないのが嫌だからやりたくない。血を抜かれること自体には恐怖も抵抗もないものの、何か問題を指摘されたらと思うと気が重く、以前は職場で強制的に日程を決められていたから仕方なく行っていただけだったのだ。
そして、専業作家になって以降、強制的に日程を決めてくれる人はいなくなった。
同じ専業作家の友人たちは、「人間ドックは毎年行かないと」「フリーランスは身体が資本だからね」「自分もここ数年サボってたけど、さすがに40歳になったタイミングで行ったよ」と話しており、本当にその通りだなと思っていた。みんなえらい。すごい。まぶしすぎる。
40歳健診のときには、夫からも必ず行くようにと厳命された。
「発見が遅れると取り返しがつかないこともあるんだから、一度ちゃんと診てもらった方がいいよ」
「そうだよね」
「……何か他人事みたいだけど、行く気ある? こんだけ不摂生な生活してるんだし、何もない方が不思議なくらいだよ」
「はい」
「頼むよ、本当に」
もはや懇願である。
夫がその場でクリニックの予約を取った
実際、私は特にここ数年まったく健康に気を使わない日々を送っていた。中学・高校時代は器械体操部、大学時代はテニスサークルに所属し、社会人になってからはダンスチームに入って1日3~4時間×週3日ほど踊りまくるという身体を動かすのが大好きな人間だったのだが、子どもを2人出産して以降、運動習慣がなくなってしまった。
食生活は子どものごはんだけは用意するものの、自分ひとりの昼食は適当にカップ麺やコンビニ弁当で済ませてしまうことも多く、〆切直前の睡眠に至っては徹夜がデフォルトで、眠ろうとしても短時間で目が覚めてしまう。
私の不摂生ぶりについてはまた項を改めて反省するとして、とにかく夫の言葉通り、身体に何も異常がなければ不思議なくらいの生活を送っていたのだ。
そう言えば、ここ数年常にだるい。〆切直前以外は大体6~8時間くらいは眠っているはずなのに、いつもうっすら眠い……
私自身、40歳の節目に行かなければいつ行くというのだ、と思っていたし、意図的に逃げようと思っていたわけではなかった。けれど、「今月は厳しいけど来月なら行けるかな」というのを繰り返し続けているうちに、いつの間にか42歳になっていた。
夫はもう、「頼むから予約だけでもしてくれよ」とは言わなかった。
「いつなら行ける?」
「来月……いや、再来月なら」
という会話をしたら、その場で健診クリニックの予約を取り、リビングに貼ってあるカレンダーに〈人間ドック〉と書き込んだのである。
夫が予約を取ってくれたのは6月の2週目。4月の時点では、スケジュールに余裕ができているはずの頃だった。
しかし、ここまでこの連載を読んできてくれた賢明な読者の方々にはもう想像がついているだろうが、5月中旬くらいのタイミングで「どうもこのままだと6月にもピンチが続きそうだ」ということが発覚した。
心底申し訳ないと思いながらも、恐る恐る夫に「やっぱり6月は難しそうかも……」と申告すると、夫は「そっか、それはしょうがないね」とうなずいた。怒られるのではないかと怯(おび)えていた私は安堵したが、「リスケは直前でもできるから、もう少し様子見てみようか」と言う。
「……頑張ります」
その後、とにかく必死に仕事を進め、5月末〆切の仕事は何とかギリギリ間に合わせることができた。
さて、問題は6月の仕事だ。
6月中には短編の〆切が2つあり、6月1日時点でどちらも1文字も書けていなかった。アイデアはそれなりにまとまっているものの、執筆ペースを考えるとかなり厳しい。
「ごめんなさい……やっぱり来週は無理そうです」
「んー、来月なら行けそう?」
「来月なら、何とか……たぶん……」
私の計算では7月には楽になっているはずだが、もう何年も計算ミスを繰り返している身としては断言できない。
夫は「じゃあ、また日程が決まったら教えるね」と言った。
これは一体なんだ… 単なる老化?
私は再び仕事に集中し、元々の人間ドック予約日の2日前になったところで、夫から新しい日程を聞いていないことに気づいた。
「あの……そう言えば、人間ドックっていつになったの?」
「あ、ごめん。リスケするの忘れてたわ」
夫は飄々(ひょうひょう)と言った。
「たぶん7月になったらなったで別の仕事で忙しいんだろうし、もうこのまま予定通り行ってきたら?」
――もしかして、わざとリスケしなかったんだろうか、と思ったが、悪いのは全面的に私なので口にするわけにはいかない。
「はい……」
「せっかくだしオプションで胃カメラも追加しといたから、前日の食事制限とか確認しておいてね」
「え、胃カメラ? やったことないし怖いんだけど……」
「〆切前とかよく胃が痛いって言ってるでしょ。仕事が終わった瞬間に治ってるみたいだから胃自体に異常があるわけじゃないかもしれないけど、一応調べてもらいなよ。これを逃したらまた何年も行かないだろうし」
さすが結婚16年目、私のことをよく知っている。
かくして私は、人生初の胃カメラを含んだ人間ドックに行くことになったのである。
人間ドックの詳細について延々と書けば、「ひとり反省会」ではなくただの健診エッセイになってしまうし、「この検査がしんどかった」というようなことを書いて、読んだ人に健診への忌避感を抱かせてしまうのは本意ではないので、話を健診結果へと飛ばそう――さて、それでは結果はどうだったか。
結論から書くと、エッセイとしてはまったく面白みがなくて申し訳ないのだが、自分でも驚くほどの健康体だった。
数値として基準値をはみ出ていたのは肝機能のLDH(調べてみたところ乳酸脱水素酵素というものらしい)が低いくらいで、それはビタミンCのサプリを飲んでいるせいらしく、特に問題はないという。
個人的には、視力検査でズルをしてしまった(私はかなりの近視でメガネも弱めに作っているため、少しでも小さくなると、「え、真っ白にしか見えないけど、そこに何か書いてあるの?」というレベルになってしまう。あまりに「わかりません」しか言えないのが情けなくて、つい目を細めまくって「ん? 右か? いや、上の可能性もあるな……第一感に賭けて右でいってみるか」という適当な回答をしてしまった)のは反省しているものの、全体的には上出来な結果だろう。
冒頭のダメ人間っぷりを相殺するには弱いとはいえ、とにかくこれでしばらくは安心して生きていけそうだ。ただ、どこも悪いところがないとなると、このだるさには説明がつかないことになる。これは一体何なんだ。単なる老化なのか……?
来年からちゃんと年に1回は…
と、ここまで書いて締めようとしたところで、そう言えば文芸美術国民健康保険組合から来ていた人間ドックの案内には補助金が支給されるとあったのを思い出した。
せっかく毎月保険料を払っているのだから、もらえるものはきちんともらっておきたい。
私はいそいそと文芸美術国民健康保険組合のサイトを開き、〈人間ドックを受診したいとき〉というページを見つけて読み始め、ん? となった。
〈組合に加入している方は、人間ドック割引契約施設にて人間ドックを割引料金で受診できます〉
――何だと?
動揺しながら一覧に目を通していくが、私が行った健診クリニックの名前はない。
つまり、私は自分が加入している組合の契約施設で受診していれば安く済んだのに、わざわざ他のクリニックで一般料金を払って人間ドックを受けたことになる。
なぜそんなことになったかと言えば、自分で調べて予約を取ろうともせず、同業者の友人にもどこで健診を受けているのか訊かなかったからだ(「どこに行ってるの?」と尋ねれば「え? 行ってないの?」と驚かれ、「行かなきゃダメだよ」と怒られるかもしれないと思い、みんなが健康診断の話をしている間、私はまるで自分も毎年健康診断に行っているかのような顔をして話を聞いていた)。
来年からは、ちゃんと年1回は健康診断に行ける人間になりたい。
とはいえ、私は自分を信用できないので、これを読んだ同業者や編集者は、ぜひ今後は積極的に「今年はちゃんと健康診断行った?」と問い詰めてほしい。
サイン会に来てくださる読者の方も、覚えていたらサイン中に「健康診断の方は……」と切り出していただけたら幸いである。