一橋大名誉教授の石倉洋子氏が近年、力を入れているのが、グローバル人材の育成。本稿では、石倉氏がダボス会議(世界経済フォーラム年次総会)などで交流を持った、世界のビジネスパーソンから得たヒントを、著書『 世界で活躍する人の小さな習慣 』(日経ビジネス人文庫)より、一部抜粋、編集し紹介します。変化の時代は、完璧を目指さずに「まずはやってみる」ことが重要になります。「完璧の呪縛」と向き合うために、私たちはどうしたらよいのでしょうか。
完璧を期すがゆえに「何もできない(したくない)」
皆さんは、次のうち思い当たることはありませんか?
- 外国語がなかなかできるようにならない
- 「質問やコメントはありませんか?」と聞かれても、なかなか思いつかない
- 意見を言わない
- 好きなことがありすぎる、逆に好きなことが見つからない
- すぐ返事を出さない
思い当たるものがあれば、「完璧の呪縛」にとらわれている可能性があります。
「完璧の呪縛」とは、100パーセントできるようにならないうちは何もできない(したくない)、いろいろなことがわかってからでないと意見を言えない、相手の答えを想定してからでないと質問ができない、何かいただいた時にきちんとしたお礼の言葉が浮かばないから返事を出さない――といった心の状態を指します。
私は「完璧を期する」こと自体は悪いことではないと思います。最後までやり遂げよう、きめ細かくいろいろなことを想定して何が起きても対応できるように準備しよう。こうした姿勢は電車が定刻通りに走る、ゴミがなくて街が清潔といった日本社会の秩序正しさや日本製品の品質の高さを実現する原動力になっていることが確かだからです。自分の仕事を全うしようという姿勢の表れですし、いい加減にしないという点では私たち日本人の誇るべき特性だと思います。

「プロトタイピング」ができず、状況も変化してしまう
問題は、完璧を期すべき分野とそうでない分野があるのに、その峻別(しゅんべつ)をしないこと、そして変化が次々起こる時代にテンポが合わなくなることです。
完璧にこだわるあまりに、「試す、実験する、ちょっとやってみる」という、今必要とされている「プロトタイピング」や「実験」がなかなか行われません。また完璧になるのを待っていると時間だけが過ぎてしまい、状況が次々と変わってしまうこともよくあります。
新しいスキルや言語は、実際に使ってみないといつまでたっても上達しません。「完璧にできるようになってから使おう」というのは「実践から学ぶ」という鉄則を無視しているし、矛盾しています。
意見を言えないのも、「聞かれたことについて、すべてを知っているわけではないので、何も言えない、意見がない」ということのようです。
質問についても、「正しい質問」「完璧な質問」がありそうだけど、それが考えられないから質問できない。あるいは、こんな質問をしたらバカだと思われるのではないか、そこまでいかなくても、何もわかっていない、と思われて恥ずかしいと思う気持ちが先行してしまい、質問できない。
さらには、こう聞いたらこんな答えが返ってくるのではないか、それはこの場にふさわしい応答ではないのではないか、などと台本の「ト書き」が心の中に次々と浮かんでしまい、そうこうしているうちに質問できなくなるということも多いようです。
コメントにしても、話を完璧に理解している自信がないからコメントができない、というように悪循環に陥ってしまうのです。
正しい答えや正しいアプローチが見つからないから?
「好きなことがいろいろあって、どこから始めたらよいかわからない」とか、「何が好きかわからない」というのも一種の「完璧の呪縛」だと思います。
これは「正しい答え症候群」と同じで、どこかに唯一の正しい答え、完璧なやり方があるのではないか、という発想から来ていると感じます。好きなことがあるけど、本当に好きなものに至る道が一つ必ずあって、それがわからない。だからどこから手をつけていいかわからない。
好きなものが何もないから何もできない、というのも同じだと思います。好きなことを見つけるための正しいアプローチや正しい答え(あるいは好きであるべき「完璧なこと」!)があるはずで、それが見つからないから何が好きなのかわからない、ということのようです。
本や何かプレゼントをいただいた場合も、「ちゃんと読んでから」「使ってみてから」、と自分に高いハードルを課してしまい、それができてからでないと「まとも(完璧)な返事」ができない、ということに思い当たる方もいるのではないでしょうか。
いろいろ考えすぎないで、すぐ行動する
では、「完璧の呪縛」を脱するにはどうしたらよいでしょうか。
簡単なコツは二つあります。一つは「いろいろ考えすぎないで、すぐ行動すること」。もう一つは「変化を認めること」です。
いろいろ考えてしまうと、「完璧の呪縛」に陥りがちです。ああでもないこうでもない、こう言うべきかああ言うべきか、こんなこともありそうだ、と可能性を心の中で次から次へと考えてしまうと、わからないことが多すぎて、何もできなくなってしまいます。
その場ですぐ反応する、その時の印象でものを言うことにする。つまり、すぐ行動すると、自分の中でグルグル回る対話はなくなり、対話が外へ出ていくのです。自分との対話も時として有効なことがありますが、普通は周囲と対話することにより世界が広がり、いろいろな意見も聞けるので、外との対話をすぐにすることを心がけてみてください。
セミナーや会合で会った人の話に共感したので、何か一緒にやりたいと思った時も、すぐそう言ってみると思いがけない可能性が開かれることもあります。
何が好きかわからない、好きなものがないというような場合は、手当たり次第にやってみることも大事です。実際やってみると、「好きだと思っていたけれど、実はそうでもない」ということもよくあります。国際機関で働こうと修士課程までいったけれど、ある日オペラを見たらその魅力の虜(とりこ)になってしまい、オペラの演出家になってしまった、という私の友人もいますから。
質問にしても、「あれ?」と思ったことはすぐ聞いてみる。「何かヘン」と思った時に「自分が間違っているのでは?」と躊躇(ちゅうちょ)せずに、疑問として聞いてみるのがいいと思います。つまり、「自分がどう思われるかを意識しない」ことを心がける、とでもいえるでしょうか。
絶えず変化する世界に合わせて、自分も進化・変化する
もう一つは「変化を認めること」です。世界がとてつもないスピードで変化していることに異論をはさむ人はいないでしょう。「完璧を期する」という考え方の背景には、何か完全なもの、正しいものはいつの時代も正しい、それを見つけることが大切なのだ、という考えがあるようです。1年前はこう考えていたけれど、いろいろな人に会ったり経験をしたりしたので考えが変わった、というのは当たり前のことだと思います。それなのに、自分の変化を認めず、完璧になるまでは何もできないと考えるのは、自分が進化や変化していくことを放棄しているようにも思われます。
科学や経済の世界を見ても、あるいはアートの世界を見ても、ある時点で正しいと思われたことが、新しい発見やアプローチによって、大きく変わってしまうことは多々あります。情報が増え、手段も豊富になってきたために、これまでは正しいと思われていたことがひっくり返ることはよくあります。
音楽の世界でもベートーベンが出てきた時、彼の音楽はそれまでにはないような斬新なものだったので、いわば「ロックスターの出現」のようなものだったそうです。それが長い時を経て古典になった。これは、当時の「正しい答えではない」音楽が今や広く普及し、評価されるものになっている、という良い例だと思います。
「仮説と検証」のサイクルを回すことが重要だったのが、ITの驚異的な進歩によって、コストが考えられないほど安くなったため、必ずしもこのプロセスでなくてもよくなってきているのです。膨大なデータをいろいろな切り口で分析してみて、パターンを見つけ出す、というアプローチです。
皆さんも、「一歩が踏み出せない」「ためらいがちになる」などと感じたら、「完璧の呪縛」なのではないか、と自問自答してみては? そして一歩踏み出し、自分の進化・変化のプロセスを追うようにしてみてはいかがでしょうか。「世界は刻々と変わっている」ということを忘れてはいけません。

[日経ビジネス電子版 2021年9月7日付の記事を転載]
世界のエリートから学ぶ「世界標準」の思考法
「成果が出なければ、すっぱり見切る」「意識してつきあう人や場所を変える」「完璧は目指さない」――。数々の企業の社外取締役を務め、ダボス会議などで広く活躍する著者が、次世代のリーダーに向け、「世界標準」の働き方や考え方のコツを伝授します。
石倉洋子(著)/日本経済新聞出版/880円(税込み)