ビジネスやアカデミア、アート界の第一線で活躍する先駆者に、茶道との関わり方をお聞きする本連載。今回は早稲田大学名誉教授の大滝令嗣氏に、茶室でのリーダー研修や医療大学茶道部の活動などについてお聞きしました。(聞き手は、日経BP 総合研究所上席研究員 大塚葉)
今日お邪魔している「南総学舎」(千葉県南房総市)は、2017年から研修施設として使っています。
ここ南総学舎は約1万坪の敷地の中にあり、近くに森や竹林、川もあります。「本来の『生きものらしさ』を取り戻す場所」と位置づけ、自然豊かな山の中で内省し自らの世界観を広げることを目的としています。施設は、280年の歴史を持つ古民家を改築したものです。もともと私はサーフィンが趣味で、東京の自宅と千葉県の2拠点生活をしていましたが、2015年に南房総で古民家が売りに出ていると知り、現地を見に来てほれ込んで山林ごと買い取りました。当時教えていた早稲田大学ビジネススクールの学生の協力も得て、約2年かけて母屋をリフォーム。2017年に研修施設が完成し、リーダー研修を始めました。
敷地内には茶室もあります。母屋近くに建っていたボロボロの小屋を、手作りで改装しました。全国各地の茶室を研究して四畳半の茶室を設計したのです。床張りと屋根は大工さんにお願いしましたが、あとは自分で畳を敷いて壁を塗り、障子や戸はネットオークションで買って取り付けました。取り寄せた家具のサイズが合わないなどのアクシデントもありましたが、2020年に茶室が完成し「哲心庵」と名付けました。「自らの心を知り、より徳のある者になる場所」という意味です。この茶室を、コーチングや研修の振り返りにも活用しています。
南総学舎ではどんな研修を行っていますか。
早稲田大学ビジネススクール教授の頃は、企業のリーダー向けに1泊2日の「フォーラム南総学舎」を実施していました。約30人の参加者が、1日目の午前中は敷地内の森を散策しながら深く内省し、自らのライフビジョンを描きます。昼食後はリーダーシップの在り方や人生を豊かにする方法について皆で数時間議論します。夜はバーベキューや音楽祭の後、キャンプ場に自らテントを張って宿泊。翌日は午前中に散策とヨガ、午後にディスカッションを行うというプログラムです。ディスカッションの間は哲心庵で茶席を設け、休憩しにきた参加者に抹茶を振る舞います。参加者の多くが茶道は初めてで、茶碗の回し方などを話しながらリラックスしてもらいました。
早稲田大学を退任した現在も、「NLBC(ネクストリーダーズブートキャンプ)」というリーダー研修を行っています。非日常の環境での体験を通じて、次世代リーダーとしての知見を高めるのが目的です。これも1泊2日ですが、10人という少人数で行います。特徴は「5人1組のチームでエベレスト登頂を目指す」というシミュレーションプログラムです。フォトグラファー、医者、マラソン走者など業種や背景の異なる5つの役割を割り振られ、過酷な天候やメンバーの健康状態などの悪条件に対処しつつ、制限時間内に脱落者なく登頂を果たすのがゴールです。参加者はiPadを持ち、実際に南総学舎の裏山に登りながら「エベレスト登頂」にチャレンジ。リーダーシップやチームワークが試されます。2日目に哲心庵でのコーチングを行い、研修を通じた気づきやリーダーとして今後取るべきアクションについて語り合います。
加えて今は、会長を務めるコンサルティング会社で経営者向けにリーダーシップ・プログラムを実施したり、スタートアップ企業の合宿研修を行ったりしています。地元の経営者向け勉強会を開催するなど、地域との交流も行っています。大学で同僚だった研究者や経営学者を招いて講義をしてもらうこともあります。多忙な先生方も「南総学舎ならいつでも行くよ」と気軽に協力してくださいます。この場所の理念や地域貢献への思いに共感してくれているのですね。自然豊かな環境の中で、普段の職場とは違う視点から自分や組織について考える機会を提供できればと思っています。
ビジネススクール、医療大学で茶道文化を広げる
先生が茶道を始めたのは、海外での体験がきっかけでした。
裏千家茶道の稽古を始めたのは2008年、55歳の時です。コンサルタントとして長く海外生活を送っていた頃、自分が日本の伝統文化に無知であることを痛感し、帰国後すぐに茶道教室に入門しました。他の習い事ではなく茶道を選んだのは、茶どころである静岡県の出身だったことと、母が茶道を学んでいて幼い頃から抹茶に親しんでいたことが理由です。当初は東京・目黒の自宅近くの茶道教室に通っていましたが、生活の拠点の半分を千葉県に移すことになり、今は鴨川市の先生宅で稽古をしています。この稽古場では、私以外の生徒さんは全員女性。これまでの人生でこうした環境にいた経験がなかったので、新鮮でした。
早稲田大学ビジネススクール退任後、亀田医療大学特任教授に就任しました。きっかけを教えてください。ここではどのように茶道と関わっていますか。
この大学は、2012年に南房総初の医療大学として開校しました。亀田メディカルセンターを擁する亀田グループの学校法人「鉄蕉(てっしょう)館」が運営しています。亀田家は旧家で、江戸時代末期に6代目が長崎で西洋医学を学び、鴨川に戻って1825年に鉄蕉館という学問所を創設しました。鉄蕉は、鴨川近辺に自生するソテツの別名です。亀田グループは看護師養成やチーム医療に注力し、地域経済や医療提供体制を支えています。
2010年に亀田病院の副院長だった米国人と知り合い、招かれたワイン会などで亀田グループの方々と交流するようになりました。当時私は早稲田大学でデザイン思考や組織開発の講義をしていましたが、その内容を亀田医療大学の教職員向けに話してほしいという依頼を受けたのがきっかけです。私自身がんを患い、亀田病院にお世話になっていたので、特任教授の話をいただいたときは恩返しの気持ちもあり、お引き受けしました。今は鉄蕉館の理事長も務めています。
亀田医療大学に関わって最初に考えたのが茶道部の再興です。大学には以前から茶道部がありましたが、2019年以降のコロナ禍で活動が止まっていました。そこで着任した2024年に、「もう一度立ち上げよう」と学生たちに呼びかけたのです。最初は部員が2人だけでしたが、1年生を中心に声をかけ続けました。「これからの看護師は海外の患者さんを受け持つこともあるから、茶道の心得が大事だよ」と言ってね。現在は17〜18人で活動しています。指導は、私が師事している鴨川の先生にお願いしています。
茶道部用の茶室はあるのですか。
それが、なかったんですよ。そこでどうしたかというと、看護学部には「在宅医療のシミュレーションルーム」があり、これが和室なんです。患者さんの自宅を模して畳が敷いてあり、お風呂もついています。最初はここを茶道部の稽古に使わせてもらっていました。とはいえ、在宅看護の授業の合間を縫って借りるので、使えないことも多い。そこで今は、部室に置き畳を置いて活動しています。月2回の部活のうち1回は教室、1回は鴨川の先生のご自宅で稽古をし、時にはこの哲心庵を使うこともあります。茶道の稽古の後はこちらの施設で、皆でパーティーをしたりしてね。
2025年10月に、大学の学園祭である「亀咲祭」では茶道部が立礼(りゅうれい:テーブル式)の茶席を持ち、部員が来場者にお茶とお菓子を振る舞いました。医療従事者にとって、茶道は有益な学びになると考えています。患者さんへの気配りやもてなしの心、日本文化への理解など、多くのことが身に付きます。海外の患者さんに、日本文化を語れる医療人になってほしいです。
母から受け継いだ茶道の蔵書
茶道に関するお薦めの書籍を教えてください。
まず好きな本の1つが『茶事の贅沢12ヵ月』(世界文化社)という大判の写真集で、3冊シリーズです。茶事には、日中に行う「正午の茶事」、朝に行う「朝茶事」、極寒期に夕方から始める「夜咄(よばなし)の茶事」など様々な種類があります。このシリーズでは、普段なかなか体験できない本格的な茶事の様子や手順を豊富な写真で紹介しているので、見ていてワクワクします。
私はまだ自分で茶会や茶事を企画したことがないので、この本を眺めながら「いつか自分もこんな茶事をしてみたい」と夢を膨らませています。特にやってみたいのが、3冊のうち上巻で紹介されている「暁の茶事」ですね。
暁の茶事は明け方4〜5時ごろから始めます。亭主もお客も前泊しないといけないので、なかなか実施の機会がないでしょう。実は私もまだ、参加したことがありません。
この南総学舎に泊まればいいんですよ。朝早く茶事を始めて午前中に終わるから、それから朝の散策ができますよ。
もう1冊は『お茶をどうぞ 私の履歴書』(日本経済新聞出版)で、2025年に逝去された裏千家15代家元、千宗室氏(当時)の本です。裏千家や表千家という名前の由来や茶道の歴史を分かりやすく解説してあるほか、ご自身の生い立ちや、戦争体験を経て「一盌からピースフルネスを」という理念のもと世界に茶道を広めていった様子が描かれています。特攻隊から生還し、戦後の動乱の中でも茶道家元として大徳寺で修行をしつつ自分を律し、海外を行脚して茶道の精神を伝えた、本当にすごい方だったのだなと思います。発行は1987年と古いですが、茶道を学んでいた母が買ったものなのです。ここの本棚にあるのは、ほとんど母が残した茶道に関する蔵書です。
茶道の書籍の内容は、時を経ても古びることがありません。先生のように親子2代にわたり、同じ本で茶道を学ぶのはすてきなことですね。
大学茶道部の活動など、今後は茶道とどのように関わっていきたいですか。
今年も10月の学園祭で茶席を持ちます。今回は目玉イベントがあり来場者がかなり増えそうなので、茶席のテーマなどの企画を学生の宿題にしました。「どのように進めるか、考えてこいよ」と。学生たちからどんな答えが返ってくるか、楽しみでもあり、心配でもあります。「先生、抹茶ラテにして出しましょうよ」とか言ってきたらどうしようかと。
抹茶ラテブームなので、おおいにありそうですね。
そうなんです。ただ抹茶ラテがいけないかというと、そうでもないと思う。実は私自身、抹茶については苦い経験があります。東北大学の学生時代に初めて茶会に参加する機会があったのですが、「濃茶」が出てきたんですよ。どろどろとした濃いお茶で回し飲みする、あれですね。私は最後の客で、残った濃茶を全部飲むことになったのですが、ものすごく濃くて苦くて。「とても飲めたものじゃない」と思った、当時としては文字通り「非常に苦い体験」がありました。その意味で、新しい世代が見つけた「抹茶に牛乳を入れる飲み方」があってもいいと感じます。
いわゆる伝統的な作法から外れるので、眉をひそめる人がいるかもしれません。ただ私自身は、茶道は堅苦しいものでなくていいと思っています。抹茶ラテも茶道への入り口の1つで、そこから入ったうえで「やはり、抹茶本来の飲み方がいい」と思う人がいればそれもいい。伝統文化を守りつつ新しい世代による茶道の楽しみ方も受け入れていくことで、茶道文化が広がっていくとよいと思っています。
茶道の魅力は点前だけではなく歴史や建築、器、人との交流など、様々なところにあります。若い人には、まずは自分が興味を持てるところから茶道の世界に入ってもらえればいいですね。
取材・文/大塚葉(日経BP 総合研究所) 構成/南浦淳之(日経BOOKプラス) 写真/稲垣純也
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