ビジネスやアカデミア、アート界の第一線で活躍する先駆者に、茶道との関わり方をお聞きする本連載。今回は曙ブレーキ工業の長岡宏代表取締役社長CEOに、心を静かに保ち、自分を整える茶道との付き合い方についてお聞きしました。(聞き手は、日経BP 総合研究所上席研究員 大塚葉)
以前のインタビューで「茶道に夢中」と話していました。稽古を始めた時期ときっかけを教えてください。
妻が懐石などの日本料理を習っていて、茶道の稽古もしてみたいと言うので一緒に習い始めたのがきっかけです。2018年に、裏千家が開催する初心者のための茶道教室に通い始めました。ホテルニューオータニの茶室で半年のコースでしたが、コースが終わった後は教えてくださった先生に引き続きご指導いただいています。今は月2回、日曜日に稽古に行っています。
日産自動車にいた頃、米国、インド、英国に8年間滞在しましたが、この海外赴任も茶道を始める要因になりました。同じ経験をされている方も多いでしょうが、赴任先で日本についていろいろ聞かれても十分に説明できず、忸怩(じくじ)たる思いがあったのです。いつか日本文化をきちんと勉強したいと考えていた時に妻から茶道の話を聞き、「いい機会なので自分も一緒に習ってみよう」と思いました。
「淡交会」(裏千家宗家直轄の全国組織)では、入会している支部の顧問も務めています。まだ自分で茶席を持ったことはありませんが、茶会に行くと「正客」を依頼されることもありますね。先日は妻と一緒に茶名(宗名)もいただきました。
茶道は心を静かに保ち、自分を整える機会
稽古を重ねてきた中で、茶道の心得が仕事や生活に生かされていると感じたことはありますか。
今はどちらかというと、茶道は仕事を離れたプライベートの時間に、心を静かに保ち、自分を整える機会と感じています。点前(てまえ)をしていると心がスーッと落ち着いて、清らかで何も考えずに無になれる心境になります。神社に行くと清々(すがすが)しい気持ちになるのと同じような、そんな時間を持てることが茶道の魅力です。
先生が準備してくださる掛軸や、皆で持ち寄って生ける花などが毎月変わることで、季節の移ろいを感じられるのも茶道の良いところですね。
また、日本料理のお店に行った際、料理人の方がお茶を勉強なさっているな、と分かることもあります。素材を生かした料理の盛り付け方や器の扱い方などに、特別なもてなしの精神が感じられることがあり、茶道を学んだことで日本料理を新たな視点で楽しめるようになりました。
茶懐石では亭主からのもてなしだけでなく、お客さまも料理を残さずいただき、器をきれいにして返すなど、亭主に配慮する文化があります。
そうですね。茶道の根底には、主客がお互いを思いやる精神があると思います。亭主は、お客さまが楽しんで満足していただけるように準備する。一方でお客さまは、亭主のその思いを受け止め、感謝しながら応える。そうした主客の関係性が茶道の素晴らしさで、学ぶことが多いと感じています。
日産自動車、三菱自動車工業では車両開発や経営に携わってこられました。車の乗り心地や安全性など、お客さまの満足を追求するお仕事は、茶道と共通する点があるのではないでしょうか。
確かに車づくりに携わっていた頃は、お客さまにいかに快適に乗っていただき、どうすれば「この車を買って良かった」と思っていただけるかということを常に考えていました。そうした価値を提供するために、妥協せずに追求してきたという意味で、茶道に通じる部分があるかもしれません。
茶会でも掛軸、花、道具などすべてを一つのテーマのもとに準備し、最終的にお客さまにどのように満足していただくかを考えます。茶会のプロデュースとは、目標を達成するためにバックキャストして必要なものを考えながら準備することで、まさに仕事そのものだと思います。茶道で必要な能力は、仕事のシーンとも親和性が高いと感じます。
茶会はプロジェクトマネジメントともいえますね。
その通りです。しかも準備だけではなく、当日に不具合など予期せぬことが起きた時に臨機応変に対応することも求められます。想定外の事態に陥っても動揺せずに凛としていられるような心の鍛錬も、茶人の方はなさっているのだと思います。私はまだそこまで達していませんが…。
茶道の心得に「和敬清寂」があります。このうち「寂」は不動心を表しています。何が起きても慌てない心を、経営者として大切にしたいと思っています。仕事では日々様々な判断を求められるので、自分自身がブレないこと、不動の心を持つことが重要です。
和敬清寂のすべてを実践できているわけではありませんが、少なくとも「清」と「寂」は身に付けたいと思っています。「寂」はお話しした通りで、「清」とは「邪念がなく清らかな状態」です。稲盛和夫氏が大きな意思決定をする際に、「私心なかりしか」と自らに問いかけたことが知られていますね。そのような思いで、自分自身もマネジメントしていきたいと考えています。
近代数寄者の交流や家元の個性に触れる本
お気に入りの茶道具などはありますか。
まだ多くは持っていませんが、今後少しずつ集めていきたいと考えています。今日紹介したい本の1冊目が『 茶の湯随想 』(淡交社)ですが、これは裏千家の業躰(ぎょうてい:裏千家家元の名代)だった故・鈴木宗保先生のエッセーです。鈴木先生は裏千家の12〜16代の5人の家元に仕え、益田鈍翁、松永耳庵、五島慶太など近代の実業家茶人との交流もありました。本書ではこうした数寄者たちの茶会の様子も書かれていますが、それこそ重要文化財の茶道具を使ったりしているのです。自分はそこまでの道具をそろえることはできませんが、自分なりのテーマを見つけてそろえたいですね。
今、村瀬治兵衛さん(江戸時代から7代続く木地師・漆芸家の村瀬家当主)とご縁があり、時々お会いする機会があります。村瀬さんは、作品がニューヨークのメトロポリタン美術館に収蔵されるなど国際的にも活躍なさっていますが、作品づくりへの求道的な姿勢を持ちながら普段は柔らかな物腰で、素晴らしい方です。こうした作家さんの作品なども、求めさせていただければと思います。
あと2冊は、2025年に亡くなった裏千家茶道15代家元(鵬雲斎、千玄室)の著書『日本人の心、伝えます』(幻冬舎)と、当代の16代家元(坐忘斎、千宗室)の『自分を生きてみる 一期一会の心得』(中央公論新社)です。
支部の顧問という立場もあり家元の講演会に行く機会も多いですが、お二人のお話には、いずれも心を打たれるものがありました。そのようなお二人が和敬清寂、一期一会などの茶道の精神や日本人としての生き方について分かりやすく書いているエッセーですが、それぞれのキャラクターが違うというか、同じ言葉の説明にも個性が出ています。
時代背景の違いもあるかもしれませんね。「一期一会」について鵬雲斎が「単なる出会いではない。自分の命を懸けるほどの覚悟があるか」と書いておられるのは、第2次世界大戦で特攻隊員になられたご経験も影響していると感じます。一方で坐忘斎が「出合うものや感じるものを素直に受け入れ、一期一会というサイクルの中で日を送ることが大事」と説いておられるのは、平和な時代だからこその警鐘ではないでしょうか。
お二人とも考え方の根っこの部分は一緒だと思いますが、語り口の違いが興味深かったです。2冊併せて読むことで家元のそれぞれのお考えに触れることができ、茶道の精神だけではなく人間としての生き方そのものを考えるきっかけになると思います。
茶道がつなぐ経営者の縁、静寂の価値はAI時代にこそ高まる
茶道やお稽古について、経営者のネットワークを広げていきたいなど、今後の展望はありますか。考えを聞かせてください。
今は支部の顧問の方々との交流が中心で、それほど広いネットワークはありません。ただ、今回の取材を機に、こちらの連載を拝読して、思っていた以上に多くの経営者がお茶を学んでいることを知りました。今後そうした方々とのご縁を広げ、茶道という共通の文化を持つことで、立場や業種を超えたネットワークができれば面白いと思います。
茶名をいただいたこともあり、いつかは自分も席を持てるようになりたいですが、それにはまだまだ修行が必要です。今の私にとって、茶道は自分自身を整えるという側面が強いですが、将来的には会社や周囲の人にも良い影響を与えられるようになれば、と思っています。なんらかの形で社内にもお茶の文化を取り入れることができれば面白いかもしれません。さらには会社という枠を超えて、社会に対して貢献できるような茶道との関わり方ができれば理想です。
ビジネスパーソンの間ではゴルフや会食が交流の中心ですが、茶道には違った価値があると思います。千利休の時代を振り返ると、茶席には外交や交流の場としての役割があり、参加するには教養や知識が必要な特別な空間だったのだと思います。
茶道は単なる趣味や伝統文化ではなく、人と人を結び付ける力を持っています。ゴルフや会食との違いは、茶道には「静寂」があることです。静かな空間の中で、相手を尊重しながら自分自身とも向き合い、お互いに交流する。そのような時間には大きな価値があり、今後ますます貴重になるでしょう。茶道には、これからの時代ならではの役割があると感じています。
取材・文/大塚葉(日経BP 総合研究所) 構成/南浦淳之(日経BOOKプラス) 写真/稲垣純也
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