勝又清和七段は『「次の一手」はどう決まるか 棋士の直観と脳科学』(勁草書房)の執筆者の1人でもある。同書は、人工知能の研究者や脳科学者などが、「次の一手」がどう生み出されるかを記したもので、同氏も形勢判断のプロセスなどを分かりやすく解説している。何かと話題になる「コンピュータ/AI」と「将棋」。3回目の今回はその成り立ちや、トップ棋士のAIとの向き合い方、AIがもたらした変化について聞いた。

1回目 「 将棋界の「教授」勝又七段 企業経営にも応用できる『形勢判断』4要素
2回目 「 勝又清和七段 『大局観』は強い相手と戦うことで磨かれる 」 から読む

勝又清和(かつまた・きよかず)
将棋棋士。1969年3月、神奈川県座間市生まれ。1983年に第8回中学生名人戦で優勝し、奨励会に入会。師匠は石田和雄九段。95年に四段昇段、プロ棋士となる。2020年七段。対局はもとより観戦記では早くから才能を発揮。2013年から2024年度まで東京大学大学院総合文化研究科客員教授を務めたほか、学校や職場、カルチャーセンターなどで幅広く将棋の指導や普及に尽力。

人間とコンピュータとの戦いの歴史

勝又清和七段(以下、勝又) 人間とコンピュータの戦いは、チェスから始まります。そして1997年5月にIBMのチェス専用コンピュータ「ディープ・ブルー」が、世界チャンピオンに勝利しました。同年8月にはオセロでもコンピュータが世界チャンピオンに6連勝します。

1997年の段階では、チェスやオセロではコンピュータが勝ったけれど、将棋ではまだ人間が強かったのですね。

勝又 コンピュータ将棋では将棋の読みを「探索」形勢判断を「評価関数」と言います。黎明(れいめい)期のコンピュータ将棋での評価関数、つまり形勢判断は、将棋の知識・セオリーをプログラマーが学習してそれを手作業で打ち込んで作っていました。第1回で紹介したように、形勢判断はどれも固定値がありません。そこで数値化しやすい駒の損得を重視していました。「飛車は1000点で金は500点」「守りの駒が玉に近づくと点数をアップ」といった具合にです。ただ、形勢判断が正確ではないので、「探索」つまり読みを鍛えました。たとえば『激指』というソフトは「実現確率探索」というのをやりました。これは羽生善治さんらトップ棋士の棋譜データベースを集めて、ある局面において「どういう手が高確率で指されるか」に注目したんです。

 明らかに指さない手はあまり考慮せずに、駒を取られたら、取り返す手から深く読む。そういった積み重ねで、形勢判断が弱くても、読みで勝負することを目指したのです。機械学習が出るまでは、読みの精度や速度を競うことが主流でした。

実現性が高い手から、たくさん読もうとしたわけですね。

勝又 評価関数を機械学習させた「Bonanza(ボナンザ)」が2006年に世界コンピュータ将棋選手権で初出場にして初優勝という史上初の快挙を成し遂げたことで大きく進歩します。

 ボナンザ以前、コンピュータ将棋では、形勢判断は難しいとされていました。その分、形勢判断が苦手でも、読みを強化し、そこで勝負してきたのですが、ボナンザ以降、数万局の棋譜データをもとに機械学習でコンピュータが評価関数を生成、形勢判断するようになりました。

棋譜を学習させて、最適な一手を計算させるのですね。当時は、人間が指した棋譜を読ませていたそうですが、現在もそうなのですか?

勝又 この点が一部で今も誤解されているのですが、将棋の場合、現在の最新鋭の将棋AIでは、人間の棋譜を使っていないんです。読みの部分では、コンピュータソフトが人間を超えたのは早かったです。実際、詰将棋ではかなり早い段階から人間を上回っていた。それが機械学習で評価関数の精度が格段と上がり、2013年に初めてトップ棋士に勝ちました。こうして強くなったら、人間の棋譜を使う必要がなくなったのです。

『「次の一手」はどう決まるか 棋士の直観と脳科学』(中谷裕教、伊藤毅志、勝又清和、川妻庸男、大熊健司著、勁草書房)/画像クリックでAmazonページへ
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コンピュータ同士の「感想戦」でさらに強化

コンピュータ同士が戦えばいいということですね。

勝又 その通りです。コンピュータ同士が戦って、大量の棋譜データが作られますからね。そして勝ち負けが出れば、そこを修正していく。つまりコンピュータが感想戦をするわけです。これを「強化学習」といいます。

人間の棋譜を参考に人間の手を目指していたときと、コンピュータ同士が対局し、学習するようになってからは、明確な違いがあるわけですね。

勝又 その境は、永瀬拓矢九段が、2015年に「Selene(セレネ)」と対局した後ぐらいじゃないですかね。あの頃から「人間のデータを使わないでやっている」という話を開発の方たちからよく聞くようになりました。そして2017年には、当時名人だった佐藤天彦九段と対局したPonanza(ポナンザ)が勝ちました。

 偶然でしょうが、ほぼ同じタイミングで深層学習(ディープラーニング)を使った囲碁AIが登場します。ディープラーニングは画像認識に優れているので、囲碁との相性が良い。2017年には、グーグルの囲碁AI「AlphaGo(アルファ碁)」が、中国や韓国のプロ棋士に完勝します。さらにその後、アルファ碁を参考にしてディープラーニングを使った将棋AIも生まれました。

ディープラーニング系のAIは、それまでとどう違うのですか?

勝又 ディープラーニングが大局観の判断は優れていると言われています。読みは従来ものが優れているけれど、形で認識するから「いい形、悪い形」を認識するに優れている。形勢判断がしっかりしている。その代わり、読みの速度は旧式のほうが早いと言われています。

今は、両系統あるんですか?

勝又 ええ。ボナンザの系統を受け継いだ「ニューラルネットワーク型」と呼ばれるものと、DL(ディープラーニング)型の両方あります。どちらかが駆逐されて一本化されているわけではありません。

 人間を超えるという意味では、とっくに超えているんですが、その上でどんどん開発が進んでいます。ディープラーニング型は、ディープマインド社から論文がある程度公開されたこともあり、使ってみようという人が増えた。有名なのが「DL将棋」ですが、これをいち早くダウンロードして使ったのが、誰あろう藤井聡太七冠です。そこから将棋が変わっていきました。

 渡辺明九段も将棋AIを導入しています。藤井七冠とは形勢判断が違うと感じたのがきっかけで新しいパソコンを買ってDL将棋を導入しました。高性能な将棋AIを動作させるためのGPU(グラフィックス プロセッシング ユニット)の発熱がすごいようです。

渡辺九段は暖房が要らなくなったと言っていると聞きました(笑)。今、そういった将棋AIを使っている棋士の割合は、どれくらいいるのでしょうか?

勝又 分かりません。高額なものになるとPCだけで数百万円になるようですし、設定も大変なようです。使っていない棋士も少なくないと思います。

観戦記を現地に赴いて書く理由

AIの登場は、ポジティブなこととして捉えておられますか?

勝又 ポジティブに捉えるより仕方ないですよね。ネガティブに捉えようと思えば、いくらでもネガティブに捉えられますから。プレーヤーとしてはしんどくなっていますよ。でもポジティブに捉えたほうがいいところは、たくさんあります。

佐藤天彦九段は、AIによる評価値に少し懐疑的な発言をされたこともありましたが、名人位への挑戦権を争うA級順位戦でも挑戦者決定戦に進出する好成績を残されています。これはどうご覧になっていますか?

勝又 それぞれの形で向き合っているということじゃないですか。真正面からぶつかる方もいれば、そこから距離を置きつつ独自の道を進む方もいる。みんな自分はどうやって戦うべきかを模索しているんじゃないですかね。

 例えばコンピュータ同士の対戦だと、「角換わり腰掛け銀(かくがわりこしかけぎん)」は、先手の勝率が9割近いです。ただ、これは指しこなすのが難しく、2024年度のA級順位戦で「角換り腰掛け銀」を指していたのは10人中3人しかいないんです。

 同じ角換わりの戦型でも「棒銀」は指す棋士が少なくなっている戦法ですが、前期のA級順位戦では中村太地八段が永瀬九段に勝ち、加藤一二三先生以来、28年ぶりにA級順位戦で棒銀で勝ったと話題になりました。棋士はAIを鵜呑みにするのではなく、それぞれいろいろな努力をしています。「AIだ、コンピュータだ」と言っているばかりでは、味気ないし、良くないですね。

将棋の観戦記もよく書かれていますが、AIによる評価値がなかった時代と今とでは、その書き方もだいぶ変わりましたか。

勝又 変わりましたね。うかつに書けないことが増えました(笑)。これで勝ちだと思っても、違うことが多々あるわけですよ。

 視聴者は配信のAI評価値を見ています。なかには人間には指せないような手が存在していたために、「逆転負け」という表現が使われることもあり、そこはちょっと違和感を覚えたりもします。

 配信で見ていると、どうしても画面に表示される評価値に左右されます。私ができるだけ現地に行って観戦記を書くようにしているのは、そこなんです。対局している棋士はAIの評価値は見ていないわけです。生身の棋士がその場で何を考えていたかが大事で、それは現地に行かないと分からないと思うのです。現地で、検討の盤を囲んで、同じ棋士と考えることができるのは大きいですね。

AIが出てすべてが新しいものになっていると思いきや、将棋の世界では古いものが再評価されているそうですね。

勝又 その最たるものが、「角換わり」の戦型で頻出する序盤の形「6二金、8一飛」です。もともとは木村義雄十四世名人(1905 – 1986)が創案した形で、1949年の名人戦で指しています。それがAIが評価したことで大流行したのです。昔の棋士の将棋もすごいんですよ。

 「雁木(がんぎ)囲い」という組み方もそうです。こちらは少なくとも江戸時代の1637年までさかのぼれます。昭和時代は「雁木はダメ」とされていましたが、今は主流になっています。

創造的な出来事の99%は、過去の組み合わせ

 AIの出現により、新しくなった将棋だが、そこで古きものが見直されているのはなかなか興味深いことだ。勝又七段は、羽生善治九段の《創造的な出来事の99%は、過去にあった出来事の今までになかった組み合わせ》という言葉が印象に残っているという。

 勝又七段自身も著書の『 「次の一手」はどう決まるか 棋士の直観と脳科学 』(中谷裕教、伊藤毅志、勝又清和、川妻庸男、大熊健司著、勁草書房)のなかでこう記している。

《ただ、コンピュータ将棋をあがめているだけではプロ棋士の存在価値はありません。コンピュータが強くなり、新たな手を見せている今こそ、人間らしい将棋を見せ、堂々と戦わなければなりません。コンピュータ将棋が強くなったから人間同士の試合はつまらないというのではなく、人間が指す将棋が面白いと言われるようにしなければならないのです。》

 棋士は、コンピュータ将棋という大きな波が押し寄せるなか、懸命に戦っている。

(次回へ続く)

取材・文/岡部敬史 構成/市川史樹(日経BOOKプラス) 写真/小野さやか