仙台の小学校を研究した米国人研究者は、日本の教育が素晴らしいことに驚いた。すぐに解が出せない難しい問題をあえて与え、失敗させて、努力させる。無味乾燥な暗記教育と批判されがちな日本の教育が、なぜ自立的思考を促し、認知バイアスを防ぐのか? 『知性の罠 なぜインテリが愚行を犯すのか』(デビッド・ロブソン著/土方奈美訳/日経ビジネス人文庫)から抜粋・再構成してお届けする。
日本の教育は「拷問」?
ミシガン大学の大学院生だったジェームズ・スティグラーは、初めての研究旅行で日本を訪れており、仙台市で小学4年生の授業を観察しているところだった。この日は立方体の描き方を学んでおり、子供たちにとってはそれほど簡単な作業ではなかった。生徒たちの様子を見回っていた教師は、とりわけできの悪い図を描いていた男の子を見つけ、黒板に描いてみなさいと命じた。みんなの前で。
元教師だったスティグラーは、すぐに興味を持った。なぜ一番上手な子ではなく、一番できの悪い子を選んだのか、と。まるで有益な演習というより、見せしめのようではないか。
少年の受難は続いた。少年が黒板に線を引くたびに、教師はクラスメートに合っているか、と尋ねる。子供たちが首を振ると、また描きなおしだ。結局少年は45分間、黒板の前に立ちつづけ、間違いを全員の前でさらすことになった。
かわいそうな子供の姿に、スティグラー自身も居心地の悪さを感じた。「拷問のようだと思った」。少年はきっと泣き出すだろう。アメリカなら、子供にこんな仕打ちをすれば、教師はクビになってもおかしくない。少年はまだ9歳か10歳だ。その失敗をあんなふうにみなの前でとりあげるなんて、残酷ではないか。
西洋で育った人なら、おそらくこのエピソードを読みながら、スティグラーと同じ気持ちになったのではないか。ヨーロッパやアメリカの文化では、子供の誤りをこのように人前でとりあげるのは考えられない。こんなことをするのは最悪の教員だけだ。これは東アジアの教育システムの重大な欠陥を示しているのではないか、とさえ思うかもしれない。
なぜ東アジアの教育はレベルが高いのか
OECDの学習到達度調査(PISA)などの教育に関する調査で、日本、中国本土、台湾、香港、韓国のような国々が、大方の西洋諸国を上回る成績をあげることは、よく知られている。
しかし西洋の評論家のあいだでは、こうした成果は苛烈な授業環境によるものではないかという根強い疑念がある。東アジア諸国は機械的な暗記型学習や規律を重んじ、想像力、自立的思考、そして子供自身の幸福を犠牲にしているのではないか、と。
スティグラーが仙台で目にした光景は、一見そうした疑惑を裏づけるものに思える。しかし研究を続けるなかでスティグラーは、東アジアの教育に対するこのような疑惑は事実無根だと気づいた。
無味乾燥な丸暗記に頼るどころか、日本の教育方法は優れた論理的思考の原則(知的謙虚さや積極的なオープンマインド思考など)の多くを自然と助長していた。それは認知バイアスを防ぐと同時に、事実的学習も促進していた。
さまざまな意味で、柔軟で自立的な思考を阻み、基本的事実を教えるのにも失敗していたのは、アメリカやイギリスなど西側の教育制度のほうだった。
このように考えると、仙台の教師の行動と黒板前での少年の苦闘は、実は記憶に関する最新の神経科学の知見に沿うものだということがはっきりしてくる。
文化横断的比較をしてみると、新しい分野に習熟するためのシンプルな実践的テクニックと、若き学習者たちをインテリジェンス・トラップ(知性の罠)から守るために学校に何ができるかという新たな気づきが得られる。
「努力に勝る天才なし」は科学的に正しかった
西洋では、学習は容易なほうがいいと思われているのに対し、スティグラー自身の研究をはじめさまざまな調査から、日本など東アジアの生徒は教育には困難がつきものであることを理解しているという結果が示されている。むしろこうした国々の生徒は、勉強が十分難しくないと不安を感じる。
同じ考えは、保護者や教師にも見られる。「努力に勝る天才なし」ということわざもあり、そうした教訓を伝える民話も多い。たとえば日本では19世紀の思想家、二宮尊徳の物語は有名だ。貧しい少年時代を送った尊徳は、森で薪を集めるときでも寸暇を惜しんで勉強した。かつて多くの小学校の校庭には、薪を背負って本を読んでいる尊徳の銅像があった。日本の子供たちは幼い頃から、苦労や困難を許容する文化のなかで育つのだ。
重要なのは、苦労を容認する姿勢は、子供たち自身の能力に対するマインドセットにも影響することだ。日本の生徒は、自らの能力を発展途上のものと見る傾向が強く、それがしなやかマインドセットにつながっている。
「日本人が個人差を認めないというわけではない。それを私たちほど絶対的な限界ととらえないだけだ」とスティグラーは指摘する。その結果、失敗や誤りはずっと続くもの、避けられないものとは見なされない。それは「学ぶ必要があることのサイン」なのだとスティグラーは言う。
こうした考え方は、東アジアの生徒たちが一般的に長時間勉強する意欲があり、生まれつき才能に恵まれていなくても努力によってそれを補おうとする理由を理解するのに役立つ。
それと同じように重要なのは、これは教師の指導方針にも影響しており、望ましい困難を授業のなかに取り入れる一因となっていることだ。日本では、学習と理解を促すために、あえてわかりにくさを取り入れるという教育方法が実践されることが多い。
たとえば日本の教師は数学や科学で新しいテーマを教えるときに、まだ解法を教えていない問題を与えるということをよくやる。「生産的失敗」だ。それから生徒たちは数時間かけて、この問題に取り組む。もちろん教師は多少のヒントは与えるが、基本的には生徒たち自身に考えさせる。
アメリカやイギリスの生徒は、このようなわかりにくい授業に尻込みするだろう。そして生徒たちが頭を抱えていると、教師はあきらめて答えを教えそうになる。しかしスティグラーの見るところ、日本の生徒たちは難しさを楽しんでいるようだった。その結果、問題の本質を深く考えるようになり、最終的な理解度や長期記憶は向上する。
また生徒たちは問題に取り組むとき、一番わかりやすいもの以外にも解き方がないか考えたり、誤ったときはそのやり方のどこが悪かったのか(クラスメートとともに)徹底的に考えるよう促される。小さい頃から問題を全体的視点でとらえ、異なる考えの共通点を見いだすよう指導される。
スティグラーの研究のなかでは、ある小学校の算数教師のこんな言葉が引用されている。「現実の世界では日々、さまざまな問題に直面する。そうした問題を解決する方法は1つではないことを、私たちは覚えておく必要がある」
わかりにくい教育のほうが子供は育つ
対照的にイギリスやアメリカの学校では、そのような探究は生徒を混乱させるだけだとして、避ける傾向がある。たとえば数学や科学の授業では、1つの問題に対して答えを導き出す方法を1つしか教えない。
しかし科学的研究は、異なる解き方を比較検討すると、当初生徒が混乱したとしても、最終的には土台となる原則の理解が深まることを示している。
「日本の教育現場には、こうした混乱の時間を長引かせようとする文化がある。混乱した状態が長く続くほど、生徒たちはより多くを学べると考えているのだ。それに対して欧米では(単に)正解を求めることだけに照準を合わせている。そして生徒が正解できるように、問題をできるだけ簡単にしようとする」
こうした観点に立つと、スティグラーの研究に出てきた黒板に立方体を描けずに苦労していた少年のエピソードも腑に落ちる。アメリカ人やイギリス人なら少年の躓きに注目し、それを学力の低さや愚かさのサインととらえるところを、日本のクラスメートは少年の粘り強さに注目した。
「少年が間違えたことは、たいした問題ではなかった。間違いを直す努力をしないほうが、よほど大きな問題だった」。
スティグラーの予想に反して少年は泣き出さなかった。それは日本の文化的文脈のなかでは、西欧人が感じるほどの屈辱を覚えるような場面ではなかったからだ。むしろ授業が進むなかで、少年は「クラスメートと教師のやさしさを強く感じるようになった」とスティグラーは語っている。
「少年がやり遂げるまで、その努力を『もういいよ』などと打ち切ろうとする者は1人もいなかった。むしろ全員が少年を助けようという気持ちになっているのがわかった」。少年が学び、クラスメートに追いつくためには、この苦労が必要であることを誰もがわかっていた。
もちろん教科によっては、基本的事実を記憶し、簡単に思い出せるように丸暗記学習が必要なものもある。しかしスティグラーの研究からは、日本の教育現場は西側の評論家が思うより、はるかに自立的思考を促していることが明らかだ。その成果はPISAのスコアだけでなく、創造的な問題解決能力や柔軟な思考力のテストの結果にも表れている。
いずれにおいても日本の生徒はイギリスやアメリカを上回っており、新しい予想外の問題に既存の知識を応用する能力が優れていることを示している。
学力を向上させる「優れた教育の3段階」
強力な科学的根拠には日本を研究対象とするものが多いが、努力を重んじる価値観は中国本土、香港、台湾など他のアジア諸国の教育文化にも共通するようだ。たとえば標準中国語の「嘗胆(苦い胆(きも)をなめる)」という言葉は、成功を手にするために苦しみや辛さを味わうことを意味する。
その後スティグラーはオランダをはじめ、アメリカやイギリスを上回る成果を上げている他の国々にも研究対象を広げてきた。学級の規模や教師の教材の教え方などさまざまな違いもあるが、高い成果をあげている学校はすべて、子供たちにわかりにくさと闘う時間を与えていた。
すでに数十年にわたってこうした概念を研究してきたスティグラーは、その成果を「優れた教育の3段階」としてまとめている。
・生産的格闘
生徒たちがその時点の理解を超える複雑な概念と格闘する、長い混乱の時間。
・つながりを見つける
知的格闘に取り組むとき、生徒たちは比較や類推によって、異なる概念に共通するパターンを見抜くよう促される。それによって混乱は単なるフラストレーションではなく、有益な学びへとつながっていく。
・意識的練習
教師は基本的概念を教えたら、生徒たちにできるだけ生産的な方法でそのスキルを実践させる。重要なのは、西洋の数学の授業によく見られるように、吐き気を催すまでひたすら同じような問題ばかりを解かせるのではなく、問題にバリエーションを持たせ、難易度を変えていくことだ。それによってさらに生産的格闘が続くことになる。
これは教育を改善し、学力を向上させる確かな道筋を示す、重要な研究成果と言える。
デビッド・ロブソン著/土方奈美訳/日本経済新聞出版/1100円(税込み)

