日本人は英語が苦手とよく言われるが、なぜなのか。そして、どうしたら英語が上達するのか。認知科学者の今井むつみ氏が探る。AIを活用した新しい英語学習法を提案する新刊『 アブダクション英語学習法 認知科学者がAI時代に伝えたい独学の技法 』(日経BP)から、抜粋してお届けする。その第7回。
では、どうしたら、日本語を母語とする私たちが「生きた英語」を身につけ、英語をアウトプットできるようになるのか。認知科学の視点から考えてみましょう。
人間の情報処理には、さまざまな特徴があります。思考の特徴と呼んでもいいかもしれません。それは生成AIとはまったく異なり、人間の学びと深く関わります。
認知科学の研究からわかる人間の学びの特徴を、いくつか挙げてみます。
● 人間の学びの特徴 ─ 事例を、推論によって拡張(一般化)する
例えば、新しく英単語を学ぶときの情報処理について考えてみましょう。
辞書に書いてある単語の意味は「点」でしかありません。新しく学んだ「happy(ハッピー)=うれしい」という情報は、点でしかないのです。このhappyという単語を実際に使うには、この単語が使われる構文の知識が必要ですし、この単語がどういう状況で使えるものであり、逆にどういう状況では使えないかも知らなければなりません。
この単語を、ある人が「I am happy( アイ・アム・ハッピー)」という文章のなかで初めて知ったとしましょう。
「ああ、happyという英単語は、『私はうれしい』ということを表現するのに使えるのだな」と、学ぶ。
でも、ほかにどういう状況で、happyは使えるのか。そして、happyが、どのような意味を許容し、どのような意味を許容しないのか。どこまで、その意味を拡張できるのか。そういったことは、この段階では、まだわかりませんから、推論するしかありません。
● 人間の学びの特徴 ─ 推論による一般化は、常に正しいわけではない
(往々にして間違える)
では、先ほどの推論をどういうふうに、人はするのか。ことばを換えれば、個別具体的な「点」でしかない知識を、どういうふうに一般化するのか。
外国語学習の場合、そのときにどうしても、母語の知識が無意識のうちに顔を出します。
以前(「日本式英作文の衝撃 『Getting a letter is happy』の誤りを正せ」)に、日本人の高校生の「おかしな英作文」の例をご紹介しました。「手紙を受け取ってうれしい」を、次のように英訳したという「失敗」です。
× Getting a letter is happy.
× It is happy for me to receive a letter.
このような英作文になるのは、母語である日本語の知識を、英語に当てはめているからです。日本語の「うれしい」という単語では成り立つ構造を、そのままhappyという英単語に当てはめてしまったからです。
これを認知科学のことばで説明するなら、「happy=うれしい」という「点の知識(事例)」を拡張するとき、日本語の「スキーマ」を使って推論したために、間違った一般化をしてしまった、ということです。
● 人間の学びの特徴 ─ スキーマが情報を選択する
→ スキーマと合わない情報は頭に入ってこない
スキーマは、認知科学の世界でよく使われる最重要キーワードです。
スキーマとは、人の脳のなかで無意識に働いている「知識のシステム」のようなものです。暗黙の知識の塊といってもいいでしょう。
スキーマは、パソコンでいえばOS(基本ソフト)のようなもの。言語を使い、運用するとき、私たちの頭のなかでは、このスキーマがフル回転しています。そして母語に関しては、誰もが非常に厚みのあるスキーマを持っています。しかし、その存在を私たちが認識することは、ほとんどありません。水面下に隠れた氷山のように、私たちの言語の運用を裏で支えている巨大な知識の枠組み。それがスキーマです。

私たちは、これまでに蓄積したスキーマを使いながら、新しく出合ったことばの意味や使い方を推論し、拡張し、学びを深めています。
スキーマは、学習を加速させるポジティブな働きがありますが、ネガティブに働くこともあります。特に、初学者が外国語を使うときには、ネガティブに働きがちです。
なぜならスキーマは、無意識のうちに、インプットする情報を選択するからです。
先ほど紹介した「おかしな英作文」を例にとって、考えてみましょう。日本の高校生はなぜ、「手紙を受け取ってうれしい」を「Getting a letter is happy」と訳してしまったのでしょうか?
「happy=うれしい」という知識は間違いではありませんが、問題は、その使い方です。
「ハッピー」の主語になるもの、ならないもの
日本語の「うれしい」は、次のように主語をとることができます。
- 私はうれしい。
- 手紙をもらうことはうれしい。
つまり、日本語では「うれしい」を使うときに、「私」という「うれしいと思っている人」を主語にすることができます。それだけでなく、「手紙をもらうこと」という「うれしいと思わせてくれる出来事」も、主語にできます。これが、日本語のスキーマです。
しかし、英語のスキーマは違います。「うれしいと思っている私」は、「be happy( うれしい)」の主語になります。しかし、「うれしいと思わせてくれる出来事」は「be happy」の主語にならないのです。つまり、
◯ I am happy to receive a letter.(私が主語)
× Getting a letter is happy.(出来事が主語)
ということです。認知科学のことばで説明するなら、日本の高校生は、日本語の「スキーマ」を、英語にそのまま当てはめたために、「推論」による「拡張(一般化)」に失敗してしまった、ということになります。
[日経ビジネス電子版 2026年4月8日付の記事を転載]
今井むつみ(著)/日経BP/1980円(税込み)
