日本人は英語が苦手とよく言われるが、なぜなのか。そして、どうしたら英語が上達するのか。認知科学者の今井むつみ氏が探る。AIを活用した新しい英語学習法を提案する新刊『 アブダクション英語学習法 認知科学者がAI時代に伝えたい独学の技法 』(日経BP)から、抜粋してお届けする。連載第8回。
外国語学習において、意識的に理解し、覚えておきたいことがあります。
人の記憶はどれだけ脆弱か、ということです。
人は、使わない知識や情報をすぐ忘れますし、スキーマが邪魔して誤解し、間違った記憶を定着させてしまうこともよく起こります。
『100万回死んだねこ』(講談社)というとても面白い本があります。福井県立図書館の司書さんたちが書いた本です。サブタイトルに「覚え違いタイトル集」とあるように、「本のタイトルの覚え違い」をたくさん紹介しています。
この本は、人間が情報をどのように誤解し、間違って記憶するかを顕著に教えてくれる、認知科学者にとっては貴重な教材です。
ある図書館の司書さんは「『ストラディバリウスはこう言った』という本ありますか」と利用者に聞かれました。利用者が探していた本は、そう、ニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』です。この利用者はおそらく、「ツァラトゥストラ」という固有名詞を、ご自身のスキーマを用いて「長くて耳になじみのない、けれど有名な外国語の固有名詞」だと認識したのでしょう。その結果、「ストラディバリウス」と混同し、そちらの記憶のほうが定着してしまったわけです。
ちなみに、『100万回死んだねこ』という本のタイトルは『100万回生きたねこ』の覚え違いです。
日本語で覚えるときでさえ、こうなってしまうのに、まだ習熟していない英語を聞いたり、読んだりして、正確に覚えるというのは、ほぼ不可能なことです。大人だってほぼ不可能ですし、高校生や中学生、小学生でも難しいでしょう。
私たちが外国語を学ぶとき、認知科学的には、ほぼ不可能なことにチャレンジしています。そして外国語を学ぶ子どもたちにも、ほぼ不可能なことを期待しています。
このことはぜひ、保護者の方々や先生たちにも意識していただけるといいと思います。意識するだけで、教え方も学び方も、ずいぶん変わるはずです。
では、そのようなほぼ不可能なチャレンジを可能にするには、どのような学習が有効なのでしょうか。
キーワードは「記号接地」
ひとつには、根気よく学ぶしかない、というところもあります。
なぜなら、人間の情報処理には、次のような特徴もあるからです。
● 人間の学びの特徴 ─ 経験と結びつかない基本概念は定着しない
「記号接地」ということばがあります。「記号=ことば」が「身体的な感覚や経験と結びついている=接地している」ことを指すものです。経験と結びついていない記号は、知識として定着しません。
ことばとは概念を指し示す記号です。日本語が母語の私たちにとって、日本語の基本概念は、経験と深く結びつき、しっかりと接地しています。例えば、「うれしい」ということばは、自分自身のうれしい経験、そのとき味わった気持ちと結びついているはずです。
一方で、「happy=うれしい」という英語の知識は、初学者であれば特にそうですが、往々にして「点の知識」にとどまり、経験と結びついていません。つまり、happyという英語の基本概念が、接地していないのです。
頭ではわかっても、体で納得できていないということです。ですから、腑に落ちない。記憶に定着しにくく、忘れやすくもなります。
言語の学習において、基本概念を接地させることは、非常に重要で、それができれば、その後の学びを飛躍的に加速させます。
ではどうやって基本概念を記号接地させるかというと、生活経験と結びつける形で学び続け、使う練習を続けるしかありません。体で納得できたと感じるまで、根気よく地道に学び続けるしかないのです。
外国語の学習にはそのような側面があります。
そうはいっても、効果的でよい学び方はあり、そうでない学び方もあります。
人間の情報処理の特徴を踏まえて、アウトプットできる「生きた英語」の身につけ方について、さらに考えていきましょう。
結論から言えば、「リスニングより、ライティング」です。

[日経ビジネス電子版 2026年4月10日付の記事を転載]
今井むつみ(著)/日経BP/1980円(税込み)
