バイリンガルというと羨ましいようにも思えるが、苦労も多い。前回から引き続き、『 アブダクション英語学習法 認知科学者がAI時代に伝えたい独学の技法 』(日経BP)の著者、今井むつみ氏が、認知科学の観点から読み解く。

子どもたちは母語を使うとき、自分の推論が文脈に合っているかどうかを常に確認しています。
なぜなら、ことばの意味は文脈によって解釈を変える必要が出てくることがあるからです。
試しに、次のフレーズの意味を考えてみてください。どんな情景が思い浮かぶでしょうか。
● 頭が赤い魚を食べるネコ
「頭が赤い」のは魚なのか、ネコなのか。迷いますね。
これは、言語研究家の中村明裕さんという方が考案した、5つの異なる解釈があり得ることで有名なフレーズです。私は言語学者の川添愛さんの本(*)で知りました。
同じ本に、こんなフレーズもあります。
● すぐに走って逃げて熊を興奮させない
皆さんは、このフレーズの曖昧性に気づいたでしょうか。
* 川添愛『世にもあいまいなことばの秘密』(ちくまプリマー新書/2023)
相手に質問しなければ、正解が出ない
「すぐに走って逃げる」ことは、熊を興奮させるのでしょうか。それとも興奮させないのでしょうか。「すぐに走って逃げて熊を興奮させない」というフレーズには、どちらとも取れる曖昧性があります。どちらかに確定させるには相手に問いかける必要があり、一人で考えるだけでは解決しません。
この2つのフレーズからもわかるように、言語とは常に曖昧なものです。
ですから、私たちは会話をしたり、メールをやり取りしたりするとき、相手のことばの意味を再解釈したり、曖昧性を解消したりするように努めます。そういうことを私たちは母語を習得する過程で学びます。ことばを使うには、そういった頭の働きも必要で、覚えていることをそのまま使おうとしても、うまく使えないのです。これは「相手の意図を読む」ことでもあります。
母語の習得から得られるものは知識だけではありません。前回は、母語の習得が抽象的な思考のトレーニングであることを説明しました。加えて、他人の意図を読むことのトレーニングでもあるのです。
母語の習得は、知識の獲得と二人三脚で「考える力」を育みます。ことばの知識を増やす過程で考える力が高まり、考える力が高まると、ことばの知識が飛躍的に増えていきます。
バイリンガルが思考力を育てるときの難しさ
バイリンガルに話を戻せば、2つの母語を獲得できるならバイリンガルを目指すのは素晴らしいことだと思います。
けれど、どちらの言語の習得も不十分で、母語になり得なかったらどうでしょうか。母語を持たないダブルリミテッドになるとしたら、どうでしょうか。
ダブルリミテッドに育つことの影響は、ことばの知識が不足するだけではありません。考える力が十分に育たないリスクをはらんでいます。抽象的な思考も、他人の意図を読むことも苦手なまま、大人になる可能性があるということです。
もしも、お子さんがバイリンガルであるとか、お子さんをバイリンガルに育てたいという方がいたら、少なくとも母語を1つ、確実に持つことを大事にしていただきたいと思います。仮定の話にはなりますが、中途半端なダブルリミテッドになってしまうよりは、しっかりとしたモノリンガルのほうが、思考の発達にはプラスになるはずです。
[日経ビジネス電子版 2026年5月29日付の記事を転載]
今井むつみ(著)/日経BP/1980円(税込み)
