その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は塚田智宏さんの『 ゼロから学ぶ ビジネスと人権 (日経文庫) 』です。
【はじめに】
あなたの会社は、人権侵害とは無縁のビジネスを展開しているといえるでしょうか。キーボードを打つ手を少し止めて顔を上げ、デスクの周りを見渡す限りでは、そうかもしれません。しかし、自社製品の原材料や部品が、どのような場所・労働環境の下で採掘や製造されているか知っていますか? 取引先、そして「取引先の取引先」の従業員がどのような環境で働くことを求められているか知っていますか?
「取引先の問題は私(当社)には関係ない」という姿勢は黄色信号です。あなたの会社にとって深刻な経営リスクを生じさせるおそれがあります。
本書は、人権デュー・ディリジェンス(以下「人権DD」といいます)の実務担当者を読者と想定した拙著『「ビジネスと人権」 基本から実践まで』(商事法務・2024年)と異なり、「ビジネスと人権」というテーマについて、はじめて学ぶ人のための入門書です。そのため、広くビジネスパーソンを読者と想定し、取引先を含むサプライチェーンを通じて従業員やその他の方々が人権を侵害されないようにする取組である人権DDについて、本質・要点を理解できるようにすること、また、実際の問題事案や企業の取組例を参照することで具体的にイメージを持ちやすくすることを心がけ、専門用語にはできる限り平易な解説を加えました。
筆者は、日本政府が2022年9月に策定した「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」(以下「人権尊重ガイドライン」といいます)の立案を経済産業省で担当しましたが、その際も、「なぜ当社が取引先(時に取引先の取引先)の『他人』の人権課題に留意しなければならないか?」という、本質的な問いをたびたび頂きました。人権DDは、企業に対して、自社と直接の取引がなくてもそのサプライチェーン上で関わりがある限り、取引先における児童労働をはじめとした人権問題に加担しないこと、つまり、「他人」の人権状況について考えることを求めています。それはなぜでしょうか。
世界では約1億3760万人の児童が労働に従事していると推計されています(国際労働機関〈ILO〉・国連児童基金〈UNICEF〉「児童労働:2024年の世界推計、傾向と今後の課題」)。この、児童労働という人権課題を例に考えてみましょう。児童労働が蔓延する背景には、その国や地域の貧困があります。明日の食事にも苦労するような貧しい家庭に生まれれば、働かずに生きていくことはできず、本人の努力によって不遇な環境を脱することもままなりません。日本では、「自己責任」論の下で貧困の責任を個人に問う声も少なくありません。もちろん、そうした側面を一切否定することは困難かもしれませんが、子どもは生まれる国や地域、家庭を選べません。筆者自身も、先進国に生まれ、両親が懸命に働いて教育費用を捻出し、子どもの意思を尊重しその頑張りを褒めてくれる家庭に生まれた幸運がなければ、本書の執筆はおろか、そもそも弁護士を志そうと考えることすらできなかったでしょう。
「ビジネスと人権」の概念は、元来、こうした偶然の事情に基づく格差が最も色濃く表れる、発展途上国と先進国との間の格差を背景に生じている深刻な人権課題を是正しようとするものとして誕生しました。すなわち、先進国の多国籍企業は、発展途上国に雇用や製造過程をアウトソースして自らの製品・サービスを低価格で作りますが、先進国の法制度と比べて発展途上国の人権・環境保護のための法制度は脆弱であり、国境を越えて発展途上国にアウトソースすることで、製造コストはもちろん、(先進国の厳しい国内法令の適用を受けることなく)法令遵守のためのコストを小さくすることができます。
しかし、他方で、発展途上国の脆弱な法制度の下、企業活動により従業員や地域社会が甚大な不利益を被ってきました。そうした状況は「公正な社会」とは程遠いものであるとして、多国籍企業は、サプライチェーンを通じて、アウトソース先の人権課題についても責任を負うこととされました。こうして、企業が取引先における「他人」の人権課題にも留意しなければならないとされたのです。
このように、「ビジネスと人権」は、「公正な社会」とは何かを問うものでもあります。筆者自身がこの問いに答える一歩として、本書の出版により筆者が受領する原稿料の全額を、紛争地や自然災害の被災地、貧困地域などで危機に瀕する人びとに、独立・中立・公平な立場で緊急医療援助を届ける国境なき医師団に寄付します。
最後に、妻・娘・両親をはじめとする家族の理解と協力がなくては本書を完成させることはできませんでした。本書の内容は、現在所属し又は過去に所属していた組織の上司や同僚との議論なしに作り上げることはできず(*)、特に本書の執筆にあたり協力を得た平田亜佳音氏・坂本理英氏(ともに弁護士)や、同僚である田村泰子氏・浅野ひまり氏(コンプライアンス・アナリスト)から貴重な示唆をいただきました。秘書の舘林蒼氏は、本書の執筆を含め日頃の業務をすべて支えてくださり、そのサポートなしには本書の完成もありませんでした。日経BPの小谷雅俊氏、伊藤真理江氏は筆者の意向を最大限に汲んでくださいました。
紙幅の関係上、全ての方へのお礼を記載することは叶いませんが、本書の完成までに関与してくださったすべての方のおかげで本書を上梓することができたことに、心よりの御礼を申し上げます。
【目次】










