その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は中山淳雄さんの『 エンタの巨匠 世界に先駆けた伝説のプロデューサーたち 』です。

【はじめに】

日本の黄金時代を作ったのは「天才」だったのか?

 時代を彩る大ヒット作品の裏には、ルールや慣習を突き抜けた伝説的な仕事人が存在してきた。彼らを祭り上げることは簡単だ。「彼らは天才だった」、以上。成功者を特別視すればするほど、それは手放しの神頼みと大差がなくなる。

 あの頃は天才が続々と生まれてくる時代だった、と一世を風靡したヒット作の背景を振り返る声もある。テレビ、マンガ、ゲーム、アニメ、映画、音楽……。かつての日本エンタメ黄金時代は、それぞれの業界にたぐいまれなる才能が集まってきた結果なのだというわけである。

 今ほど「天才」を求める声が強い時代はないかもしれない。日本のエンタメ業界はかれこれ20年以上にもなる長い長い停滞期にあり、一方で韓国や中国は日本を通り過ぎて世界的な大ヒット作品を続々と生み出している。韓国の音楽ユニット『BTS』やドラマ『イカゲーム』は世界を席巻するヒットになっている。中国のバイトダンスはTikTokで世界中に音楽とダンスをもたらし、100億円を超える開発費をかけて生まれた『原神~GENSHIN~』のmiHoYo社はかつての任天堂のような勢いで世界に冠するゲーム会社となった。

 どうか日本からも、我々が世界中に誇って歩けるような大ヒットが生まれてほしい……。そんな期待感が日本には充満している。

「使えない新人」が突き抜ける仕事をした

 本書は、日本のエンタメが最も輝いていた時代に最先端にいたプロデューサー、ディレクター、クリエイターたちへのインタビューを通して、伝説的なヒット作品を生み出した思考回路を解明するという試みである。

 日本のエンタメ業界が世界的なヒットを生み出せていない状況については終章で述べるとして、本書の出発点には私の仮説というか問題意識がある。

「日本は今、身近な成功事例がないことで、青い鳥症候群よろしく、日本に存在すらしなかった何者かを追い求めているのではないか? 天才が続々と出現することをただ待ち望んでいるのが日本エンタメの現状ではないか?」

 本書でインタビューした6人は6人とも、世に送り出してきた作品を見れば、破壊者、革新者、創造者として、「天才」と言えるに違いない。少なくとも凡人から見ればそうだろう。

 しかし、彼らは初めから才気走った異能者だったわけではない。普通のサラリーマン、もしくはそれに近いポジションからキャリアをスタートして、「使えない新人」だった時代を経て、突き抜けた仕事をするようになった。強い自我をうまく包み込みながら、組織の中で成果を出し、その成果によって自らを発露させていった人々である。

 サラリーマンとしては収まりが悪くとも、それぞれがそれなりの妥協をもってうまくやろうとしてきた。なんとなく優秀だし何かやってくれそうだけど、危なっかしさを抱えたままの「悩める尖った人材の1人」というのが組織の中での評価だったのではないか、と思える。「天才」の大半は、その若い頃から才能の一端は感じさせつつも、あくまで普通のちょっと尖った人材でしかなかった。

「尖り」がもたらす摩擦を許容できるか

 「最近の若いやつには、尖ったやつがいなくってさ」という経営者や管理職の言葉を、私は何度聞いてきたことだろう。むしろそう呟く役職者こそが、尖りを許容できずに、その人材に場も裁量も与えることをしていないケースが大半だった。多くの場合、「尖り」はすごい実績をあげた人間に付随される「結果的な」称号でしかなく、それは成功した人間にしか成功の機会を与えないという組織的な自己撞着に陥る呪いでもあった。

 「尖り」は、すでにその行動プロセスに表れているものであり、実績によって発掘するものではない。だが行動プロセスにおいて見える尖りは、同時に組織にとっては摩擦を増やし、不安を助長する。

 本書でインタビューした6人はみなサラリーマンとは思えぬ起業家然としたところがあり、「雇われ感」を感じさせない。上司が眉を顰めるようなこともしばしば、左遷の憂き目にあった者も少なくない。新人時代に上司の命令を無視して、勝手に作品を作り変えてしまった者もいる。「凡人」の中間管理職からすれば、摩擦を生み出すその「強い自我」は、優秀さの評価を下す前に「手に余る困った人材」で片づけたくなることだろう。

 しかし、「凡人」が困ってしまうような摩擦や不安こそ、今までのやり方に対して挑戦がなされているという証である。喧噪もなく全員が温かく同意・支援できるような組織・作品が驚くような結果をもたらしたという事例を、私は寡聞にして知らない。成功を生み出すことができていない組織は、「尖っている」と思われる人材によって生み出される摩擦と不安こそが、脱皮に必要不可欠な成長痛だと捉え直す必要があるだろう。

6人の共通点は「エンタメ脳」

 6人のプロセスへの着手の仕方は、全くもってバラバラだった。人によってはゲームのデザインから仕様書まで自分で書き起こすクリエイター気質の者もいれば、人によってアーティスト同士をつなげてシステムだけでまわし、実際に自分の手はそれほど入れない者もいる。金勘定もプロジェクトマネジメントもほったらかしで、とにかく面白いものを1人で考えている演出家でしかない、という主張する者もいる。

 だから「職種」としてこの6人を包括できる概念は、実は存在しない。共通していたのは、「エンタメ脳」と総称できるような作品作りへの向き合い方のスタンスがあり、それによってなにがしかの既存のルールや慣習を破ってきたという事実である。すごい仕事をする人は、すごい方法論を自ら編み出してきたのだ。

 日本人はチームプレーが得意な職人気質と言われることが多い。だがインタビューを通して見えてきたのは、圧倒的な「個としての力」であった。

 「尖った人材」は育てるものではなく育つものだ。この点においても、インタビューを通して私は確信をもった。「教育」ではないのだ。

 「尖った人材」に、場を与え、裁量を与え、本人の悪戦苦闘を見守れる組織の許容性こそが、今の日本企業に必要なものなのだ。

 本書を通じて、日本エンタメ産業のブレイクスルーとなるポイントを少しでも感じてもらえたのであれば、私自身の「企み」は成功したものといえるだろう。

【目次】

画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示