その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は榎本博明さんの『 【新装版】薄っぺらいのに自信満々な人(日経プレミアシリーズ) 』です。

【はじめに】一流の人ほど、不安が強い

 部下に準備してもらっているプレゼン資料を事前にチェックしたところ、まずい箇所があるので指摘し、修正するようにアドバイスをしておいた。プレゼンの前日、ちょっと気になったので確認しておこうと思い、

 「先日指摘した修正だけど、どうなってる?」

 と訊くと、

 「お陰様で完璧です」

 と屈託のない笑顔。

 「そうか、うまく修正できたか。大丈夫か?」

 と念を押しても、

 「はい、大丈夫です、任せてください」

 と自信たっぷりに答える。ところが、当日のプレゼンを見て啞然。修正箇所が間違っている。こちらの指摘をまったく理解していなかったのだ。しかも、やたらパワーポイントの形を整えることにばかり力を入れているため、見やすい分だけ中身の薄っぺらさが一目瞭然なのだ。なんで準備段階で不安にならないんだろうと理解に苦しむ。

 こんな疑問を口にする管理職が少なくない。

 かつては、ネガティブで悩みがちな人物を見て、何とか勇気づけなくてはと気になることが多かった。だが、最近気になるのは、やたらポジティブすぎる人物が目立つことだ。

 ミスをした部下にまずかった点を注意したあと、落ち込んでもいけないと思って励ましの声をかけると、

 「大丈夫です。私、全然気にならない性質(たち)なので」

 と、あっけらかんとしている。そして、また似たようなミスを繰り返す。あっけらかんとした表情を見るたびに、その前向きはちょっと違うんじゃないかと思い、

 「少しは気にしろよ」

 と言いたくなる。そんな思いを口にする管理職の気持ちが、とてもよくわかる。

 どうもポジティブなことが無条件によいことであるかのような勘違い、不安になるのが悪いことであるかのような勘違いが、世の中に広まっているのではないだろうか。

 また、こうしたポジティブすぎる人に限って、知識や物事の理解に深みがない。自己アピールの時代だといって、SNSで自分の知識をひけらかすような発信をする者が目立つが、受け売りばかりで何も理解していないので呆れることが多い。どうして自分の薄っぺらさが露呈してしまうような発信をわざわざするのか、理解できない。そんな話が出ることがある。

 それは、本人が発信内容の薄っぺらさに気づいていないからだ。しかも、つながる力、発信する力をだれもが手に入れてしまったため、うっかりすると自分の薄っぺらさをそこらじゅうに発信してしまう。

 専門用語をよく知っているから詳しいのかと思って仕事を任せると、じつは何もわかっていなくて、とんでもないことになることがある。そんな人にかぎって専門用語をよく口にしたり横文字を口にしたりする。

 そういう言葉を使いたがるのは、専門用語を使わずに自分の言葉で平易に説明するほど理解していないからだ。しっかり理解している人は、みんながわかる平易な言葉に置き換えて説明できるため、専門用語を連発するようなことはない。横文字をよく口にするのは、それがカッコイイと思っているからだ。専門用語や横文字を連発する時点で、これは相当薄っぺらいかもしれないと疑ってかかる必要がある。


 つながる力より、一人でいられる力の方が、今強く求められるのではないかということ。そして、「できる人」ほど不安が強いということ。本書では、この2つの視点から、仕事力を高めるということについて、少し掘り下げてみたい。

 最近の若い世代を見ていると、なんであんなに群れたがるんだろうと思うことがある。SNSの影響が大きいのだろう。学生時代につるむだけでなく、就職しても同期でしょっちゅう集まっている。

 かつて若い世代は「人間関係が乏しくなっている」と言われ、コミュニケーションを取るように奨励されたものだが、今の若い世代はコミュニケーションの取りすぎなのではないか。

 相変わらず新人採用ではコミュニケーション力のある人物を採ろうとし、就活する側も自分のコミュニケーション力をアピールしようとする。だが、そこには大きな勘違いがありはしないか。

 ある管理職は、みんなで盛んにコミュニケーションを取っている若手と話していて、不安に思うことがあるという。

 内定式のときにすでにアドレス交換をしたり、SNSで友だちになったりしており、入社後の研修時にはすでにネットワークができあがっている。でも、そんなふうに内輪で群れてワイワイやっている人たちは、果たしてコミュニケーション力があるということになるんだろうか。連れとしょっちゅう一緒だったり、SNSで多くの人とつながっていたりすれば、コミュニケーション力があるんだろうか。ちょっと違う気がするのだがと、日頃の疑問を口にする。

 大いに共感する。思いがけないことがあったり、ちょっと不安なことがあったり、腹が立つことがあったりすると、すぐに仲間に言いたくなる。あるいはSNSで発信する。自分で持ち堪えることができないのだろうか。みんなでワイワイやっているその明るさの背後に、どことなく弱さを感じる。

 そんな若手としょっちゅう接している別の管理職は、すぐに群れる仲間がいるのを羨ましく思うことがあるという。自分は立場上、群れて不安やホンネを漏らしたり愚痴ったりすることはできない。そんなことをしていたら上司の威厳がなくなってしまう。ある意味、孤独に耐えられないと上司は務まらない。そう思って、改めて若手の行動スタイルを見ていると、羨ましいという気持ちと同時に、これでいいんだろうかと心配になったりもするという。

 今の若い世代では、孤独を気取るような雰囲気はまったくなくなり、むしろ孤独が恥ずかしいことであるかのようにみなされている。

 別の面でも、ちょっと疑問に思うことがある。

 新卒の採用担当をしている人から、コミュニケーション力を重視するようにという会社の方針に従って採用しようと思ってはいるものの、「何がコミュニケーション力なんだろう」と考え込んでしまうことがあるという話が出た。

 採用面接では、グループディスカッションを盛んに行い、そこできちんと自分の意見を主張できる人物やまとめ役的に周囲を引っ張っていける人物を高く評価する。そうした選抜を経て入ってきた若手は、吸収力よりも主張力の方が強くて、未熟でまだ現場のことがわからないうちから自分のやり方でやりたがる。

 仕事の全体がまだ見えないうちは、もっと謙虚になって貪欲に吸収していかないと仕事力は身につかない。改革するのはもっと仕事に習熟してからでいいのに、すぐに反発して自己主張する。これでは器を大きくすることができないのではないかと心配になるという。

 たしかに最近の若手を見ていて気になるのは、自信なさそうで控え目なタイプがいる一方で、このところ自己アピールにやたら熱心なタイプが台頭してきていることだ。

 就活でも自己アピールが重視されるわけだから、自己アピールに熱心な若手が増えるのは当然のことだ。しかし、SNSによってだれもが簡単に自己アピールができる時代になったことを考えると、自己アピール力というものにそんなに価値があるのだろうか。自己アピールするタイプばかりを採用するということでよいのだろうか。そんな疑問も湧いてくる。実際、安易な自己アピールによってかえって評判を落とすというのもよくあることだ。

 こんなふうに価値観が揺れ動いている時代ゆえに、自分はどんな方向に成長していったらよいのかと悩む若手も少なくない。

 有能な人物は、目の前の現実に適応する能力もあるから、コミュニケーションを取るようにと言われれば積極的にコミュニケーションを取れるし、自己アピールが大切だと言われれば積極的に自己アピールもできる。でも、そのようにしながらも、どこかで「これでいいんだろうか」といった疑問や不安を感じている。

 そんな胸の内を語る新人もいる。会社に入ってみると、毎週のように同期で集まり、食事をしたり飲み会をしたりする。これでは自分の時間がなくなるし、勉強する時間も趣味に浸る時間も取れないので、断ることが続くと、「つきあいが悪い」と言われるようになった。なんでみんなそんなに一緒にいたがるのだろう、しょっちゅう同じメンバーでワイワイやっていて時間がもったいないと思わないんだろうか、と不思議に思う。でも、あまり断ってばかりで仲間はずれみたいになるのもイヤだし、悩んでしまうという。

 こんな風潮に流されるようだと、自分の世界をつくることができず、成長の機会も失って、仕事ができる人間がどんどん減ってしまうのではないか。

 右にあげた管理職や採用担当者にしても、新人にしても、現状に疑問や不安を感じるという点が、まさに「できる人物」の条件といってよいかもしれない。できない部下に限って自信があり、できる部下の方が自信がなく不安が強いのが不思議だという経営者の声を聞くことがあるが、案外そういうものなのではないだろうか。

 実際、よくわかっていない人ほど自信たっぷりに断言する。どうみても無理だろうと思うことでも「大丈夫です」と断言し、それはできないだろうと思うことでも「絶対にできます」と断言し、それは違うだろうと思うことでも「そうなんです」と言い切ってしまう。「できる人物」ほど、日頃の自分の行動スタイルに対して、「これでいいんだろうか」と絶えず疑問や不安を感じている。仕事ぶりが残念な人ほど、そうした疑問や不安があまりない。どうしてそうなのかは本文で説明することにしたい。

 また、仕事力には「一人でいられる力」も関係しているのではないか。人間は、一人でいるときに自分自身を振り返る。人と一緒にいるばかりでは、自分自身を振り返る暇がない。また、人間は一人でいるときに物事をじっくり考える。思考が深まるのも、発想が練り上げられるのも、一人でいるときだ。人とコミュニケーションを取ってばかりいると、思考も深まらないし、発想も練り上げられない。

 群れる人間に漂う頼りなさは、一人でいる時間が少ないために思考が深まらないことが関係しているのかもしれない。

 そうすると、たえずつながる手段を手に入れた私たちは、非常に危うい状況に置かれていると言わざるを得ない。電車に乗っても異様な光景が目の前にある。かつては電車に乗っているときは本や新聞を読んだり、物思いに耽(ふけ)ったりしていたものだが、今はスマホをいじり、SNSをしたり、動画を見たり、ネットで情報検索をしたりしている人が大半で、頭が思考モードになっていそうな人は圧倒的に少数派だ。

 情報ネットワークに絡め取られて、一人静かに思索に耽るという時間が奪われつつある。自分と向き合う時間がない。じっくりものを考える余裕を失っている。そんな危機感がどこかにあり、SNSの鬱陶しさを感じていても、「仲間はずれにされたくない」「ネットワークからこぼれ落ちたくない」といった思いもあり、無理してみんなに合わせている。鬱陶しく思っているくせに、電車に乗っても、家に帰っても、絶えずSNSをチェックし、何らかの反応を書き込む。

 「嫌われる勇気」などという言葉が話題になったのも、「もうほんとに鬱陶しい」「こんなの自分らしくない」「嫌われたっていい、もっと自由になりたい」といった心の叫びと、「嫌われたくない」「仲間はずれになるのはイヤだ」といった思いに引き裂かれているからに違いない。

 個性の時代だからもっと個性的にと言われるようになって久しいが、実際には個性的な人物がますます少なくなっているように思われる。

 つながる手段を手に入れ、いつでもどこでも仲間とつながり、情報とつながっていられるようになって、自分らしく生きるのが非常に困難になっている。個が確立されている欧米人と違って、個という意識が元々希薄な私たち日本人にとって、つながる手段の獲得は、便利さとともに大きな危険をはらんでいる。

 今こそ、コミュニケーション信仰や評価不安の実態を踏まえて、「一人でいられる力」の大切さを見直すときなのではないだろうか。

「薄っぺらく」なりがちな社会で 新装版のための序文

 スマホを手放せない人が増え、SNSに没頭する姿がそこらじゅうで見られるようになりつつあるときに刊行された本書は、多くの読者から共感を得た。それから10年ちょっとになるが、SNSはますます進化し、多くの人にとってなくてはならないものになっている。

 目の前にいなくてもSNSを通してつながっている。そんなつながりだらけの生活を鬱陶しく思いつつも、つながりを断ち切る勇気もない。つながり過剰の中で失われるものは何か。それはひとりの時間である。

 そうした動きと並行して、ものごとを自分の頭で深く考えることをせずに、安易に検索して、考えたつもりになっている人が増えている。ちゃんと理解していないのに、自信たっぷりに「大丈夫です」と言う。明らかに力不足なのに、何を勘違いしているのか「できるアピール」をする。

 そんな「できる風」を装う人とほんとうに「できる人」はどこが違うのか。それは不安が強いかどうかである。

 ひとりでいられる能力が今こそ強く求められている。できる人ほど不安が強い。この2つの観点から、仕事ができる人の条件について考察を巡らせたのが本書である。

 こうした状況は、10年後の今も変わらない。SNSの進化やChatGPTなどAIの進化は、つながりをさらに強化し、ものごとを深く考える時間や姿勢をますます奪っていく。不安があまりない人は、そのような事態に対する危機感が乏しく、「できる人」への道から逸れていってしまう。

 そのような時代だからこそ、本書をじっくり読みながら日頃の生活を振り返っていただきたい。新装版の刊行に当たっても、日経BP日経BOOKSユニットの長澤香絵さんに大変お世話になった。

 ほんとうの仕事力を身につけたいという人にとって、本書が何らかのヒントになることを願っている。

 2026年2月  榎本博明


【目次】

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