その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はグロリア・マーク(著)、依田卓巳(訳)の『 ATTENTION SPAN(アテンション・スパン) デジタル時代の「集中力」の科学 』。「日本語版への序文」をお届けします。

【日本語版への序文】

 日本で講演をするために、私は2016年に京都大学デザインスクールに招かれた。東京には以前も行ったことがあり、日本を再び訪ねて新しい都市を知るのはとても楽しみだった。多忙なスケジュールの合間に、運よく京都の有名な寺社をいくつか巡ることができた。

 実際に目にする建造物の美しさは、旅行前に見た写真とは比較にならなかったが、私が最も感銘を受けたのは、名高い龍安寺の石庭だった。私は座って、一見ばらばらに並んだ岩をじっくり眺めた。それらのちょっとした表情や、流れるような砂の完璧と言っていい模様に、こんなにも魅了されるとは思ってもみなかった。

 美と静寂の世界に体ごと移されたような感覚を味わったのは本当に久しぶりだった。興味深いことに、そのとき、私のまわりにスマートフォンを見ている観光客はひとりもいなかった。

 あの龍安寺の石庭での体験が本書を執筆するヒントになった。「余白の美」という日本語の表現にたどり着くきっかけになったからだ。私は日々の生活に余白を設けることの大切さを伝えたいときに、この表現を用いる。デジタルデバイス(デジタル機器)なしで過ごす余白の時間は、心身の回復につながるのだ。

 科学の道に進む前の私の職業は画家で、美術を研究していたときには、人物や物を描く際に余白についても考えなければいけないことを学んだ。同様に、私たちはデバイスから離れて過ごす時間の重要性を理解しなければならない。思索したり、静かに座ってコーヒーや紅茶を飲んだり、ときには(できれば自然のなかで)散歩をしたりする時間のことである。

 そうした余白の時間があることで、仕事の成果も上がる。それはちょうど、龍安寺の石庭の岩のまわりにある余白が庭自体のユニークな価値を高めているのと同じだ。

 デジタル時代のいま、テクノロジーから離れることは容易ではない。その理由のひとつは、そもそも携帯電話の発明を促した考えにまでさかのぼることができる。すなわち、固定電話回線が引かれた家やオフィスなどの「場所」だけでなく、「個人」に電話をかけられるべきだという大胆な発想だ。

 実際にスマートフォンが世界の隅々にまで普及すると、居場所に関係なく、どんな人にも連絡がとれるようになった。それはつまり、自宅や休暇先や友人のパーティーでくつろいでいる人にも、雇用主や同僚から連絡が入るということだ。

 テクノロジーが人間の能力を広げ、不可能だったことを可能にしたのは事実だが、そのせいで雇用主や同僚たちは、私たちが四六時中、組織のために働くことを期待するようになった。テクノロジーは便利さをもたらすと同時に、日常生活の不便さも生み出したのだ。

 テクノロジーから離れて「余白の美」を味わいたくても、職場の要求や電子的なコミュニケーションに応じなければならず、私たちは難しい立場に置かれている。どんなときにもショートメッセージや電話に割りこまれ、仕事がらみの案件にはすべて答えなければいけないと感じている。私が長年インタビューしてきた多くの人々は、デバイスを使っているとくたびれてしまうと語っていた。

 私たちは、仕事で使うデバイスの呪縛から逃れられるのだろうか? 人間とデバイスとの関係を長く研究してきた私の考えでは、それは可能だ。そのためにできることを、本書では紹介する。

 まず大切なのは、人間の認知リソースは有限で貴重なものであることを理解することだ。心の燃料タンクに集中力が蓄えられ、それをその日の活動で消費していく様子を思い描いてもらいたい。

 たとえば、注意を向ける先を1日中頻繁に切り替えていると、タンクはすぐに空っぽになり、集中が難しくなって、仕事に悪影響が出る。一方で、たとえば仕事から完全に離れる休息を長めにとると、認知リソースのタンクはまた満たされる。

 ただし、本書で説明するように、認知リソースの増減と集中力のリズムは人によって違い、個人にはそれぞれ集中力がピークに達する時間や、集中しにくくなる時間がある。

 あなたも自分の集中のリズムを考慮して1日の計画を立てることができる。集中力がピークになる時間に最大の努力と思考を要する仕事を持ってくるのだ。その貴重な時間をメールやソーシャルメディアで無駄遣いしてはいけない。

 私たちがデバイスを使って無意識にしていることはあまりにも多い。メッセージの通知音が聞こえると、すぐさまチェックするし、スマートフォンを見れば何も考えずに手に取って画面をスワイプする。

 だが、私は「メタ認識」を実践することを学んだ。「メタ認識」とは、自分の無意識の行動(ついソーシャルメディアを見てしまうことなど)をしっかりと認識することだ。そうした行動を自覚することで、デバイスをもっと意識的に使うことができる。自分の行動を意識すれば、計画を立てて、デバイスの使用をコントロールできるようになる。

 「事前の考慮」も役に立つ。これは、自分のいまの行動が1日の終わりにどんな影響を与えるか、よく考えることだ。仕事中にニュースを読んだり、ソーシャルメディアを見たくなったりしたとき、私はその日の終わりにやるべきことを終えてソファでくつろいでいる自分の姿を想像する。それが脇道にそれずに目標をめざす動機になるからだ。

 集中力のコントロールを回復し、もっと幸福になるためにできることはいくつもあるが、これらはそのわずかな例だ。本書ではこうしたテクニックやほかの実践例について、さらにくわしく説明する。

 デジタル時代には、文化的な変化も必要になる。個人の力だけでデバイスから長いあいだ離れることはできないからだ。離れすぎると、仕事や家族、友人たちに関する重要な情報を逃してしまうおそれがある。そのため、「社会」全体でもっと賢くデバイスを使い、情報過多で疲れ果てないようにする方法を見つけなければならない。

 私たちはみなデジタル社会のネットワークに組みこまれているので、たとえば退勤後にデバイスへの依存度を下げるには、組織ぐるみの協力体制が必要になる。勤務が終われば、私たちは心理的に仕事から離れ、消耗した集中力のリソースを回復しなければならないが、組織や企業の側にも、それを支援することでメリットが生まれる。翌日、私たちがまた新たな気分で仕事に集中し、生産性を高め、いっそう楽しく働くことができるからだ。

 私はぜひまた日本を訪れたいと思っている。そのときまで、認知リソースと幸福度を回復させてくれる「余白の美」を味わえるように、集中力のバランスを保ちながら働くことの大切さを忘れないようにしたい。

グロリア・マーク

【目次】

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