その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は今井むつみさんの『 アブダクション英語学習法 認知科学者がAI時代に伝えたい独学の技法 』です。

【はじめに】

 アブダクション英語学習法。耳慣れない言葉だと思います。
 英語学習法と銘打ちましたが、本書は「英語を学ぶ本」ではありません。「英語の学び方を学ぶ本」です。さらにいうなら、英語や語学にかぎらず、あらゆる学びの基盤となる「アブダクション推論」に熟達することを目指します。
 生成AIが急速に普及しつつある今だからこそ、認知科学者として、アブダクション推論の技法と奥義をぜひみなさんに伝えたいと思い、この本を書きました。

仮説・検証で「学びのサイクル」を回す

 アブダクション推論の詳細は本編に譲りますが、おおまかに理解するなら「自分なりに仮説を立て、それを吟味し、検証する」ことだと捉えていただいていいでしょう。アブダクション推論は「仮説形成推論」とも呼ばれます。
 自分なりに立てた仮説の多くは間違えています。だから、仮説には検証が必要です。そして自分で立てた仮説を自ら検証し、自分で自分の間違いに気づくと、私たちは間違いを修正して、仮説を進化させることができます。このような仮説・検証のプロセスを経験することで、私たちは初めて、学びの対象に対する理解を深め、本当の意味で、何かを「学びとる」ことができるのです。

 このような「学びのサイクル」を回すことそのものが、実は、人間の知性を深め、進化させていくために何より重要です。
 なぜなら、「誰かが教えてくれた答えを丸暗記した知識」は、現実の社会や生活において、ほとんど役に立たないからです。

 英語学習でも、仕事でも、そして人生においても、本当に役に立つ知識とは「自分の頭で考えて獲得した知識」です。そして自分の頭で考えて知識を獲得するとき、私たちは必ず自分なりの仮説を立て、アブダクション推論を働かせています。
 どんな分野であれ、本当に役に立つ知識を手に入れるには、アブダクション推論に熟達すること、つまり質のよいアブダクション推論によって仮説をつくり、修正し、磨いていく力が欠かせないのです。
 アブダクション推論は、学術分野におけるノーベル賞級の発見や、ビジネス分野における革新的なイノベーションなどの背後において、共通して働く思考プロセスとしても注目を集めています。なぜなら、「間違っているかもしれない仮説」を立てるアブダクション推論こそが、「新しい知の創造」を可能にするからです。

AIにできなくて、人間にできること

 困ったことに、今の時代は、生成AIがすぐ「答えらしきもの」を教えようと手ぐすねを引いて待っています。とても便利な生成AIですが、上手に使わないと、私たちが「自分の頭で考える」ことを邪魔します。
 だからこそ、自分の頭を使って推論することの価値を、あらためて認識し、推論のスキルを伸ばしていきたいものです。
 AIとともに生きる時代に、人間の知性に必要なものは何かと問われたら、私は迷わず「アブダクション推論のスキル」であると答えます。
 生成AIは基本的にアブダクション推論をしません。ビッグデータからパターンを抽出して予測をする「帰納推論」が生成AIの行う推論です。予測はしますが、仮説はつくりません。だから自ら新しい知を創造することはないのです。それに対して、人間はアブダクションによって、新たな知識を創造していくことができます。

 この本の目標は、英語学習を通じて、アブダクション推論を実践し、そのスキルを伸ばすことです。

認知科学者が考える合理的な英語学習法

 私は英語の専門家ではなく、認知科学者です。なぜ、認知科学者が英語学習法の本を書くのかと、不思議に思う方もいるかもしれません。

 私の専門分野は、認知科学のなかでも、特に認知・言語発達科学と言語心理学です。人間がいかにことばを獲得するかということを、ずっと考え、研究してきました。
 赤ちゃんは、どうやってことばを使えるようになるか。私たちは、どうやって母語を獲得するのか。母語ではない第二言語を、私たちはどうやって習得するのか──そういったことを研究してきた立場から、新しい英語学習法を提案したいと思います。新しい学習法を紹介するだけでなく、なぜこの方法がいいのかという理由と仕組みも、認知科学の観点から説明します。逆に「こういう学習法はあまり合理的でなく、効果的ではない」といった話もしていきます。

 私は、もう何十年も、英語をほぼ毎日使う生活をしています。
 それは、認知科学の研究を続けるなかで、必然的に、英語で論文を書いたり、海外の研究者仲間と英語で情報交換をしたり、英語でプレゼンテーションをしたりするようになったからです。日本の公立中学、公立高校で英語を学びはじめ、幼少期に特別な英語の英才教育を受けたわけでもなければ、帰国子女でもありません。必要に迫られて使い、試行錯誤しながら、ほぼ独学で英語を身につけてきました。

 ことばを研究する認知科学者として、また、自分自身も第二言語として英語を学んできた日本語ネイティブとして、外国語の学習に「ラクな方法」はないと痛感しています。一方で、人間の思考や学習の特徴から見て「理にかなった合理的な方法」は、確実に存在します。本書が紹介するのは「認知科学者が考える合理的な英語学習法」です。

データベースから学ぶ『英語独習法』が進化

 私が英語学習法の本を書くのは、これが初めてではありません。今から6年前(2020年)に『英語独習法』(岩波新書)という本を書きました。大きな反響があり、10万部を超えて現在も版を重ねている1冊です。

 『英語独習法』の読者の多くは、英語上級者です。私と同じように英語で論文を書いている研究者の方々や、大手商社で長年、海外赴任をしていた方などから、「私も同じ方法で英語を学んできました」「やっぱり、こういう学び方がいいのだと再認識しました」といった共感のお手紙やメールをたくさん受け取りました。
 本書で紹介する英語学習法の考え方は、この『英語独習法』で紹介した学習法と、基本的には同じです。ただし、初級者に実践可能な形に進化しています。なぜ、進化させることができたのかというと、この6年の間にAIが飛躍的に発展したからです。

 私がお勧めする、私自身も実践してきた英語学習法は「データに基づいて、自分の頭で考える」という勉強法です。
 どういうデータに基づくかというと、英語ネイティブが実際に書いたり、話したりした「自然な英文」のデータです。これらを集めたデータベースを「コーパス」と呼びますが、このコーパスから自分が学びたい英単語や英語のフレーズを使った例文を抽出し、それらを比較・検討して、それぞれの意味や使い方を推論します。その過程で、自分なりに仮説を立てて検証し、自分の間違いに自分で気づくことで仮説を進化させ、ネイティブにとって自然な英語を身につけていきます。そうです、アブダクション推論です。

英語が難しいのは「スキーマ」が違うから

 このやり方の何がいいかというと、英語と日本語の「スキーマ」の違いに、自分の力で気づけるところです。

 スキーマについても本編で詳述しますが、スキーマが違うとは、端的にいえば「認知の枠組み」がそもそも違うということです。
 日本語ネイティブの私たちと、英語ネイティブの人たちの間には、ものごとの捉え方に根本的な違いが数々あります。その違いに気づけなければ、どれほど英語の勉強を重ねても、なかなか英語に熟達することはできません。逆にいえば、スキーマの違いに気づくことが、英語ネイティブでない人が英語に熟達するコツなのです。
 このような理由から、コーパスを使った英語学習法は、確かに合理的で効果も高いのですが、難点がひとつありました。それは、英語初級者には実践しにくい、ということです。コーパスのほとんどは英語でつくられていて、出てくる例文が英文なのはもちろん、コーパスの使い方の説明も英文で、日本語による説明はほぼ皆無です。そのため、例文を抽出して、比較・検討するのにも一定の英語力が求められます。

 しかし、『英語独習法』の刊行からの6年間で、状況はすっかり変わりました。そう、生成AIの発展と普及です。

生成AIが英語学習にもたらした激変

 今は、生成AIに指示するだけで、「自然な英文」のデータが、いくらでも簡単に手に入ります。生成AIへの指示は日本語で出せばいいのです。手に入れた英文を生成AIに和訳してもらうことも一瞬でできます。生成AIを使えば、『英語独習法』で紹介した英語上級者向けの──そして英語上級者がその効果を実感している──英語学習法を、中学生から実践可能な形に進化させられます。

 英語学習の前提が大きく変わったことで、今、新しい学習法が提案できるようになったのです。

 生成AIの発展は、私たちに英語を学ぶ意味を問いかけます。
 生成AIが、英語を瞬時に和訳してくれる時代に、なぜ私たちは英語を学ぶのか?
 生成AIが自動翻訳する時代に、私たちに求められる英語力とは?
 生成AIの普及によって、私たちの英語力は退化してしまわないだろうか?
 ……そんな新しく湧き上がる疑問にも答えていきたいと思います。

「知識」の量を絞って「学び方」を学ぶ

 本書は、大きく2つのパートに分かれています。
 前半(第1部)は、私がなぜ、アブダクション英語学習法をお勧めするのかという「考え方」編です。
 後半(第2部)は「実践」編です。紙上レッスンという形で、アブダクション英語学習法とは、どんな学び方かを実体験していただきます。

 最初に1点、お断りしておくと、この本では、英語を使うために必要な知識を網羅的には取り上げません。第2部の紙上レッスンで取り上げるのは、英語の基本的な動詞だけです。具体的には、次の13 個の動詞に絞りました。

・聞く:listen & hear
・話す:say & tell & speak & talk
・見る:look & watch & see
・考える:think & believe & know & consider

 動詞には、日本語と英語のスキーマの違いが出やすいという特徴があります。そして動詞を学ぶことは、文法のなかでももっとも重要な「文をつくるときの決まり」、つまり「構文」を一緒に学ぶことです。
 日本の学校の授業では、多くの場合、英語の「語彙」を増やすことと、英語の「文法・構文」を学ぶことが、切り離されています。しかし、子どもが母語を学ぶときには、語彙と文法・構文を切り離すことなどありません。すべて一緒に学びます。そのような学び方が本来は自然で、認知的な負荷も少ないのです。
 そして、英語を使って文章を組み立てるとき、語彙の面でも、文法・構文の面でも、欠かせないセンターピースとなるのが動詞です。ですから、動詞を学びながら文法・構文を一緒に学んでいけば、英語のスキーマがよくわかり、知識がより「接地」するはずです。
 このような理由から、本書では、「学ぶ知識」を、基本的な動詞に絞っています。「学ぶ知識」をあえて絞ることで、「学び方」を学ぶことにフォーカスできるという側面もあります。

 必要な英語の語彙や文法の知識は中学英語レベルですが、アブダクション推論をフル活用するのが、本書の特徴です。脳をたっぷりと働かせながら読み、自分で生成AIと戯れながら実践していただければ、「外国語を合理的に学ぶ」というのがどういうことなのか、そして「アブダクション推論を働かせる」とはどういうことなのかが実感を持ってわかり、納得できるはずです。
 すべての学びに共通する技法と奥義を、ぜひつかんでいただきたいと思います。


【目次】

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