その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は宮嶋勲さんの『 最後はなぜかうまくいくイタリア人 』です。

【文庫版まえがき】

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という言葉がある。「幽霊と思って怖がっていたものは、実は枯れたススキだった」という意味で、つまらないものでも、その実態がよく分からないと人間は恐怖を覚えることのたとえとして使われる。同時に「枯れたススキ」と言語化することによって人間は恐怖から逃れ、安心するのだということをうまく表している。正体がわからないから怖いのであって、言葉を与えて正体を明らかにしてしまえば恐怖は消えるというわけだ。

 2年前に「最後はなぜかうまくいくイタリア人」を書いた後、長年忘れていたこの言葉が浮かんできた。イタリアと関わるようになって35年になるが、それまではワインと食についての活動が主だったので、イタリア人についてまとまった考察をしたことはなかった。仕事のためにずっと手探りで、無我夢中でなんとかうまくイタリア人とつきあうようにしてきたが、この本を書いたことにより自分の頭の中に曖昧な形で存在していたものに言葉を与えることができた。それにより気持ちがとても落ち着いたのだ。無性に腹立たしかったり、イライラした経験の背後にあるものを言語化したことにより、自分の気持ちを客観的に見られるようになったのかもしれない。要はスッキリしたのである。

 読者の中でもこの本を評価してくださったのは、イタリア人に痛い目に遭われた人たちだった。今までのイタリア人との苦労が多ければ多いほど共感してくださる度合いも強いように思えた。最も嬉しかったのは「この本を読んでからイタリア人に腹が立たなくなった」という感想である。どんな異文化でもそれを律している法則のようなものを理解すれば、いらだつことはなくなる。

 私もそれまで直感的に学んできた「イタリア人の法則」というものを言語化して認識するようになった。法則を手に入れるとそれを使いたくてしかたないのが浅はかな人間の常で、私もその例に漏れない。イタリア取材で日本のスタッフと同行するたびに「イタリア人の法則」を使って、行動予想をして皆で楽しんでいる。

「この生産者はしかめっ面で小難しいワイン哲学を論じていますが、もうじきマンマから電話がかかってきますよ」とか「このドライバーは珍しく時間より前に到着して私たちを待っていましたが、どこかでスタンドに停まって、私たちを待たせてガソリンを入れますよ」とか「撮影用のワインボトルについてはすでに何回もリクエストしましたが、この担当者は必ず間違うと思われます」といった具合に前もって予防線を張っておく。そうすると本来「なぜリクエストしておいたことがちゃんとできてないんだ」と怒りが爆発するところが、「なるほどね。やっぱりこうなっちゃうんだ」と笑い話ですんでしまうことが多い。やはり言葉にするということは様々な摩擦を悪魔払いしてくれる魔法の効果があるのである。

 最近は日本を訪れるイタリア人が増え、今度は彼らに「日本人の法則」を教えてあげなければならない機会も増えた。日本人の行動にもイタリア人にとって腹立たしいことやイライラすることは当然ある。だから前もって「このディナーは19時開始なのに、なぜか18時集合となっています。18時からおそらく5分ほど打ち合わせがあるだけで、その後55分は何もすることがないと思われます。イタリアはちょうど事務所が開く時間ですので、業務連絡でもしておいてください」とか「前に座っているお客さまはワインを3杯ほど飲むと居眠りを始めると思いますが、それはあなたの話が退屈だからではなく、日本人の多くはアルコール分解酵素を持っていないからですよ」とあらかじめ警告しておく。そうすると「失礼じゃないか!」とはならずに、「日本ってそうなんだ」と笑い話になる。笑いあるところに衝突はない。備えあれば憂いなしである。

 この本で紹介したのは私なりの「イタリア人の法則」だが、完成にはまだほど遠く、日々アップデートを繰り返している。ただ異文化と触れる時に、その国の法則を知り、その国の人の行動を予想して、笑い飛ばすことができれれば、様々な衝突が避けられるような気がする。

 この本が日本とイタリアの関係をさらに実り豊かなものにする潤滑油の働きを少しでも果たすことができれば何よりの幸いである。

【はじめに】

 いまから30年ほど前のことになる。私はアドリア海に面した海水浴場として有名な町リミニのグランドホテルにいた。ローマに住み始めて1年ほど経ち、イタリア語もすこしは話せるようになったので、日本のCM撮りの通訳のアルバイトをまわしてもらったのである。

 大学に通うことが目的のローマ暮らしだったので、イタリア人との本格的な仕事はほとんど初めてだった。グランドホテルは歴史のある豪華なホテルで、フェデリコ・フェッリーニの映画で神話化された場所なので、仕事が始まる前から私はワクワクしていた。

 ローマで集合した日伊混合の撮影隊はミニバスに乗り込んで、高速道路を一路リミニへと向かった。冗談を言い合いながらの寛(くつろ)いだ雰囲気で、いかにもイタリアらしい楽しいロケに思えた。少なくとも現地に到着するまでは。

 まず現地に到着するのが、ローマのホテルで打ち合わせしていた予定時刻よりもたっぷり1時間は遅れた。着いてみると、今度はいくつかの機材がそろっていないことが発覚した。

 CMに主演するタレントのスケジュールの関係で、撮影日は1日しかない。何があってもその日のうちに撮影を終える必要があった。イタリア人の現場責任者はいくつも電話をして、足りない機材をなんとか手配しようとしている。「どうなったのか?」と尋ねると、「ボローニャから持ってくるしかないから、あと2時間はかかる」という返事だ。

 まだ純真で馬鹿正直だった私は、それをそのまま通訳した。すると、当然日本側は怒る。「何を言っているんだ。前もって必要なものはファックス(当時はメールがまだなかった)しておいたじゃないか。早くするように言ってくれ」。それをまたイタリア語に訳してイタリア側に伝えると、「ないものはないんだから、何を言っても仕方ないよ。そんなにカリカリせずに待ちなさい」と答える。それをまたそのまま通訳して日本側に伝えると、自分の責任を棚にあげて人をくったようなイタリア側の態度に、日本側のクルーはさらに怒りを募らせるといった状況だった。

 とくにプロデューサーはタレントの手前もあるので、何回も「どうなってるんだ?」と催促してくる。それを通訳していくうちに今度はイタリア側も、「いま手配している機材が到着するまではどうしようもない。いちいちうるさい」と逆ギレ状態になり、雰囲気は険悪になる一方だった。

 子どもの遣いのように右往左往する私を見かねたイタリア側のプロデューサーが、私を隅に呼んで話してくれた。

「イサオ、私の話をよく聞け。たしかにローマで打ち合わせしたことは守れなかった。機材がいくつか届いてなかったことは私たちのミスだ。ただ、そのことをいまここでいくら論じても何も生まない。機材の手配も済んだし、あと2時間で到着する。時間は遅れるが、この撮影は必ずやり終える。いままでどんな撮影だって、終えられなかったことはないんだ。だからカリカリすればするほど雰囲気が悪くなって、うまくいく撮影もうまくいかなくなるぞ。遅れたぐらいでイライラしないで、機材が着いたときにいい絵を撮れるように、リラックスするように日本側に言ってくれ。絶対にいい絵が撮れるようにするから」と。


 このイタリア人プロデューサーの話は、私に多くのことを教えてくれた。

 まず第一に、予定表や打ち合わせ通りに物事が運ぶなどと考えるのはイタリアでは大きな間違いで、そんなのはあくまで努力目標のようなものでしかなく、不測の事態が起こることのほうが普通である(まさに「不測」の事態は「予想」できるという矛盾した状態だ)。慌てる必要はまったくないということだ。人生は常に不測の事態の連続で、そんなことにいちいち腹を立てること自体がおかしいという哲学?である。

 第二に、そのようなことがイタリア全体で常態化している限り、不測の事態に慌てるというのは愚の愚であり、どっしりと構えて、解決策を見出すことに全力を尽くすほうがよほど大切であるということだ。そこでイライラしても何も生まないし、むしろ事態は悪化する。不測の事態を乗り越えたときによりよい仕事ができる準備をすることこそ、重要なのだ。

 そして第三に、どんな不測の事態が起こってもイタリア人は諦めずに、ほとんどの場合は最後になんとかする能力があるということである。子どものころから不測の事態に慣れきっている分、それに対する対応能力が破格に高いのだ。すべてが綿密に準備され、計画通りに物事が進むことが当たり前になっている日本とは、ずいぶん異なる仕事のやり方であった。まさに、「最後はなんとかなる国イタリア流仕事術」の最初の強烈な洗礼であった。

 その後本格的に仕事を始めるにつれて、私はイタリア的流儀の多くの洗礼を受け続けた。いわく、「約束に15分遅れるのは礼儀だ」「仕事の時間とプライベートな時間は厳密に分かれていない」「分業という概念が理解できない」等々。しかし、同時に、それらの一見とんでもなく思える行動規範の裏には、彼らなりのロジックがあり、非常にうまく機能している面もあるということがわかってきた。

「食べる、歌う、愛する」に象徴されるように、イタリア人は、怠(なま)け者で、働かず、女性を追いかけて、歌を歌って気楽に暮らしているように思われがちである。だが一方で、イタリアはEUの中核を担う経済大国であり、ファッション、デザイン、車、農業、食品などの分野で世界をリードする製品を生み出している。単なる怠け者大国ではないのだ。

 だから、イタリアとの仕事を成功させるには、日本人から見れば一見滑稽(こっけい)に思える彼らの行動様式を理解して、「郷に入れば郷に従え」でイタリア流のやり方に合わせることが大事である。


 私は現在ワインと食について執筆することを主な生業としているが、活動の3分の1をイタリアで、残り3分の2を日本で行っている。取材、セミナーなどで年間15回ほどイタリアに行くが、そのたびに自分の中のチャンネルを切り替える必要がある。

 日本流仕事のやり方をイタリアに持ち込んでも絶対にうまくいかないので、イタリアの空港についたらイタリア流にチャンネルを替える。イタリア流仕事のやり方を日本に持ち込んだら軽蔑(けいべつ)されるだけなので、日本に帰国したらまた日本流にチャンネルを戻す。このようなことをくり返して30年になる。

 誤解のないようにしていただきたいが、私はどちらの仕事のやり方がいいとか悪いとかいうことを言っているのではない。ただ、現地のやり方に合わせないと仕事がうまくいかないのだ。「日本流のほうがいいから、私は世界中どこでもこれで通す」などと主張するのは、シチリアのバルに行って頑(かたく)なに日本語で注文しようとして理解されないのと同じく、馬鹿げたことである。最終目的がいま行っている仕事の成功である限り、相手に理解される言語=仕事のやり方でいくしかないのである。

 30年間イタリアと仕事をしてきて、何度も何度も痛い目にあってきた。そしてそれと同じ数だけ多くのことを学んだ。国際化により身近になったように錯覚するが、イタリアは実は歴史も文化も気候もすべてが異なる遠い国である。それぞれの流儀を知ることから、一歩ずつ理解しあっていくしかない。日本とイタリアは似ているところも多いが、根本的に異なる部分がたくさんある。だからこそ興味は尽きないし、一緒に仕事をしていて面白い。

 この書は私が痛い目にあい続けた中から学んだイタリア人の特性、イタリア流仕事のやり方の特徴などをまとめたものである。22歳までイタリアとまったく縁のなかった日本人が関係を持つようになり、ボコボコにされながら身につけた、生きていくための知恵と思っていただければ幸いである。

宮嶋 勲


【目次】

画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示
画像のクリックで拡大表示