その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は佐藤恵さんの『 60歳からは、声を磨きなさい 』です。

【はじめに】

声とは「見えない履歴書」

 人は、年齢を重ねるほど「何を語るか」よりも、「どんな声で生きているか」が、重要になります。

 声は、履歴書には載っていません。しかし、声はその人の生き方、姿勢、覚悟、そして尊厳を、もっとも正直に外へ伝えています。

 私は長年、声と向き合う仕事を続けてきました。その中で確信したことがあります。

 声は、単なる話し方ではなく、人生後半を支える〝基盤〟、インフラだということです。

 本書は、声を「うまく話す技術」から解放し、人生と社会を支える基盤として取り戻すための一冊です。

 60歳という年齢は、不思議な節目です。まだ身体は動く。気力もある。知識も経験も十分にある。それなのに、ふと立ち止まって、息を整えたくなる瞬間が増えていきます。人生の歩幅を、無意識に測り直し始める年齢だからです。

 仕事の第一線から一歩退いたとき。子育てが終わり、役割が変わったとき。親の介護や、自身の体調の変化を意識し始めたとき。

 「これから、私は何者として生きていくのだろう」。そんな問いが、静かに胸に浮かんでくるのではないでしょうか。

 こうした問いに直面したとき、多くの人は無意識のうちに声が小さくなっています。会議で発言しなくなる。初対面の人に話しかけるのをためらう。「私なんて」と言葉を呑み込む。

 声が出なくなるのは、喉(のど)の衰えだけが原因ではありません。「自分の出番はもう終わったのではないか」という心のブレーキが働いてしまうのです。

 私はかつて暮らしていたフランス・パリの街で、「忘れられない声」に出会いました。街角のカフェ、マルシェ、アパルトマンの階段──そこには、かなりの年齢を重ねたマダムたちが、ごく自然に、堂々と声を響かせていました。

 その声は、決して大きいわけではありません。けれど、芯があり、迷いがなく、誰かに気に入られようとする気配が一切ないのです。

 媚びない。遠慮しない。言い訳をしない。まるで「これが私の生きざまよ」と、そのまま声にして差し出しているようでした。年齢を重ねたからこそ、声に迷いがなく、揺らぎがなく、人生の厚みがそのまま響いていたのです。

 私はその声を聞いた瞬間、はっとしました。そして、強く思ったのです。声は、目に見えない履歴書だ、と。

 どんな人生を歩んできたのか。どんな価値観を大切にしてきたのか。自分をどう扱ってきたのか。それらすべてが声に刻まれている。そんな事実を、パリのマダムたちの声が教えてくれました。

 私自身もまた、声と真正面から向き合わざるを得ない人生を歩んできました。家族の海外駐在に伴い、イギリス、カナダ、マレーシア、そしてフランス──13年にわたって海外で暮らしました。国籍も文化も、価値観も異なる人たちに囲まれて、日常のコミュニケーションにたいへん苦労しました。

 さらに長男が自閉症だったため、行く先々で思いがけないトラブルが起きました。

 学校や公共の場で誤解されることもしばしば。そのたびに私は母親として頭を下げ、事情を説明し、理解を求める役割を担ってきました。

 感情的になってはいけない。小さな声では伝わらない。相手に届く声で、丁寧に話さなければならない。

 その声は、決して流暢(りゅうちょう)でも、堂々としたものでもありません。けれどあのときの声は、どうしても必要な声でした。その場で、声は不安と安心をつなぐものになり、誤解と理解の間に橋を架けるものになりました。それは感情論ではなく、逃げることも、黙ることも許されない立場として、状況を収め、関係を前に進める役割としての声でした。

 そうした経験の中で、何度も突きつけられたのが、「伝えることの難しさ」です。言葉を尽くしても、気持ちがあっても、声の出し方ひとつで、伝わり方は大きく変わってしまう。私は、自閉症児の母としての切実な経験を通して、声がコミュニケーションの架け橋になるということを、深く心に刻んだのです。これが、声の出し方や話し方と真剣に向き合うようになった原体験です

 ところが日本に戻ってから、「障害のある子の母親なのに、ずいぶんはっきり喋る」「外国にいたから、十分な療育もさせなかったのか」。そんな言葉を直接向けられたわけではありません。けれど、声を出すたびに、自分が評価され、線を引かれていくような空気を感じたのです。

 気がつけば、話すことに物怖じしなかったはずの私は、声を出すことそのものに、少し怖くなっていました。

 そのとき、はっきり気づきました。声とは、単なる音ではない。声は、その人の存在の輪郭であり、人と社会をつなぐための、最も根源的な道具なのだ──ということに。

 声を失うとき、人は社会との距離を感じてしまう。私は自分自身の体験を通して、その現実を痛いほど知りました。私は、声と真剣に向き合うことを選び、40歳でアナウンススクールに通い始めました。発声を学び、呼吸を見直し、身体を整え、やがて「声磨き」というメソッドの独自開発に辿り着き(シュクルメソッド)、その普及活動をするようになりました。

 「シュクル」とは、フランス語で「砂糖」という意味です。私の苗字「佐藤」にも通じることから名付けました。

 コミュニケーションに、ほんの少しの〝甘み〟が加わるだけで、人間関係はもっと温かく、潤いのあるものになります。そんな想いを込めて、私たちは声磨きを届けています。現在、年間約1000講座、のべ5万人以上の方々に学んでいただいています。


 声を磨くとは、上手に話すことではありません。若々しい声を手に入れることでもありません。自分の人生をもう一度声にすること。そして、社会と再びつながっていくことです。

 「声を磨く」と聞くと、話し方教室や滑舌の練習を思い浮かべるかもしれません。けれど私が伝えたいのは、もっと根源的なことです。

 声を磨くとは──

✓身体を目覚めさせること。
✓心を開くこと。
✓もう一度、社会とつながること。

 そして何より、「私はまだ終わっていない」と自分自身に許可を出すことなのです。

 60歳からの人生は、縮んでいく時間ではありません。磨き直す時間です。これまで積み重ねてきた経験、思考、想い。それらは声に宿っています。声を磨けば、人生もまた、輪郭(りんかく)を取り戻します。

声を整え、人生を再起動しよう

 本書は、単に「声を良くする本」ではなく、60歳から自分の人生をもう一度引き受けて生きるための本です。60歳から声を整えることによって、健康・仕事・人間関係・社会参加を同時に再起動する実践書です。

 声を磨きなさい。それは、「もう一度、あなた自身の人生を語り始めなさい」というメッセージでもあります。

 ここから先は、なぜ声が健康につながるのか。なぜ声が人と社会をつなぎ直すのか。そして、声をどう磨けばいいのか──そのすべてを、私の経験と、現場で出会った無数の人生とともにお伝えしていきます。

 日本では年齢を重ねるほど、声を抑え、目立たず、出しゃばらないことが美徳とされてきたかもしれません。けれど私は思います。人生の後半こそ、その人らしさはもっと堂々と、声になっていいのではないかと。

 そう確信した出来事があります。次にお話しするのは、私たちが深く関わった、ひとつの実例です。そこでは、声を取り戻した人たちが、再び社会とつながり、年齢を重ねたからこそ生まれる力を、思いもよらない形で発揮していきました。その声は、実際の社会の中で、どのように人を変え、どのように人生を動かしていったのでしょうか。

 舞台は、サッカースタジアムです。


【目次】

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