その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は小川真由さんの『 経済の現場から統計データで見る インフレ日本の安い賃金 誰かの犠牲に支えられた「サービス過剰」を終わらせよう 』です。

【はじめに】

私たちは「何」にお金を払っているのだろう

 皆さんはモノやサービスを購入するとき、何に対してお金を支払っているのかを考えたことがあるでしょうか?

 1杯1000円程度のラーメンの材料費は300円くらいだといわれています。つまり、私たちは700円もの「材料費以外の何か」に代金を支払っていることになります。
 「ぼったくりだ!」とか「だったら自分もラーメン屋で儲(もう)けられそう!」と思う人もいるかもしれませんね。でも、ちょっと待ってください。本当にこのラーメン屋は暴利を貪(むさぼ)っているのでしょうか?
 あなたが支払った1000円の中には、何が含まれていたのでしょうか? 材料費以外のすべてがラーメン屋の利益、とはならないはずです。

 そう、この1000円の中には、店員の人件費、メニューの開発費、店舗の家賃、調理器具など、ラーメン屋が負担しているコストも含まれるのです。

 このコストとは、大きく分ければ、外部から購入した「仕入費用」と、そこで働く労働者の「人件費」です。顧客から受け取る代金から仕入費用を差し引いたものは付加価値と呼ばれますが、この付加価値こそが、ラーメン屋が仕事を通じて加えた「仕事の価値」です
 ここでいう仕事の価値は、ラーメン屋だけが生み出したものではありません。ラーメン屋に材料や調理器具などを提供する供給者(サプライヤー)も、自分たちの「仕事の価値」を、顧客であるラーメン屋に提供しています。そしてそのサプライヤーも、今度は顧客としてさらにその供給者から……と、この流れは延々と繰り返されます。

 実は、私たちが支払っているお金の大部分は、そのモノやサービスが届くまでに連綿とバトンリレーが繰り返されてきた「仕事の価値」への対価なのです

「日本経済の閉塞感」、その正体は?

 近年の日本では物価の上昇が続いていますが、それでも、欧米諸国と比べれば安いモノやサービスにあふれ、誰でも、どこでも、顧客として丁寧な扱いを受けることができます。諸外国と比べて、「顧客としては」物質的に豊かな生活ができているように感じるのではないでしょうか。
 一方で、今の日本はカスタマーハラスメント(カスハラ)や下請けいじめが社会課題となり、仕事のストレスが多く、給与も少ないという、「働く人」にとっては厳しい環境です。
 働く人が困窮しモチベーションが下がり、社会全体としても寛容さが失われ、ギスギスとした閉塞感が続いています。

 本書が注目するのは、なぜこんなに頑張って働いているのに、社会にギスギスとした閉塞感が漂っているのか、なぜ働いても働いても「豊かになった」という感覚を得られず、生活レベルを上げられないどころか節約して切り詰める状態になってしまっているのかという、多くの人が実感しているであろう日本経済が抱える問題です。
 このテーマはこれまで、多くの経済学者やエコノミスト、コンサルタントなどによって解説され、「それらしい理由」と「対応策」が語られてきました。しかし、そうした言説は私たちの日常からはどこか遠いと感じられている方も多いのではないでしょうか。
 本書で試みたいのは、そうした言説では語られない「仕事の価値」──仕事の本質と社会の構造──に焦点を合わせた、経済がうまく回り、日本社会の閉塞感を薄め、多くの人がより豊かに生活できるようになる秘訣の追究です。

 バブル崩壊の1990年以降、日本では「失われた30年」といわれる経済停滞が続いてきました。2020年代に入ってからは少子高齢化が急激に進み、人手不足が顕在化しているため、一見、停滞から脱しつつあるようですが、急激な物価高やAIの浸透による雇用の不安定化など、予測が難しい事態が進行しています。
 だからこそ、「仕事とは何か」の基本に立ち返り、腑に落ちる言葉で私たちの経済活動を棚卸ししてみることが必要だと思い、本書をまとめてみました。

 本書では、私が、経済統計データを4000枚以上のグラフに落とし込んできた中で見えてきた、日本経済の閉塞感の正体を解き明かしていきます。そして、私たちが本当の意味で「豊かに暮らす」ためにできることとは何かを、一緒に考えていきたいと思います。
 関連するたくさんの経済統計データもご紹介していきますので、本書を読み終える頃には、日本経済や日本企業の特徴についても、統計的根拠に基づいた理解が深まっていることでしょう。

町工場の片隅から見る「日本の姿」

 私は、小川製作所という、航空機、半導体、医療機器などの先端分野から、建築、その他あらゆる分野の金属製品や部品を製作している葛飾区の老舗小規模事業所の三代目です。
 理工系の大学院を修了後、まずは大手メーカーの技術部門で航空機開発のエンジニアとして働きました。その後、金属加工の町工場を営む家業を引き継ぐために、最先端の工作機械を揃える中小製造業で修行し、家業に合流して今に至ります。大手企業の一般社員、中小企業の管理職、零細企業の職人兼経営者として立場を変えながら、様々な企業や関係者と仕事をしてきました。

 その中で、ほとんどの人が口を揃えて言うのが「安くないと売れない」という言葉です。
 大手メーカーの購買担当者ですら「安くないと売れない」ので、「仕入も極端に安くしてもらわないと買えない」と言います。パートナーシップを結んでいる仲間の多くも「安くないと競合に勝てない」と言います。日本のビジネスシーンのいたるところで、この「安くないと売れない」という感覚が蔓延していることを当事者として見聞きし、自らも体感してきました。

 そして、生活者としても「安くないと買えない」「給与が少ない」「生活が苦しい」という人が増えています。
 誰もが「安いこと」ばかりを求めてきた結果、多くの人の生活が苦しくなり、特に実際に現場で働く人たちにしわ寄せがいっている様子を、当事者としても体験しています。

 私は、研磨職人としても、毎日、真っ黒になりながら現場作業を続けています。このような仕事は、本書でこの後、詳細に述べていく「人の仕事」そのものです。そして、このような人にしかできない仕事ほど、要求は厳しく、その対価は安いのです。
 これまでそれを担ってきたベテラン職人も、厳しい要求と安い対価を当然のこととして受け入れてきました。その結果、次の世代が事業を承継できず、高齢化による引退・廃業が相次いでいます。さらに、そのような安い仕事に依存してきたために事業の存続そのものが困難となる事業者が急増しています。
 日本は多重下請け構造が根強いこともあり、現場に近い仕事ほど少子高齢化とともに「人手不足」が深刻化しています。経済の現場で自分の手足を実際に動かす仕事ほど、対価が安く人が足りないのです。

ファクトと実務を基に「良い生活」と「働きがい」を設計し直そう

 私は、日本の経済を支える「人の仕事」が急速に縮小していくことに、当事者として危機感を募らせてきました。そして、日本経済のこの歪(いびつ)さを構造的に理解し、多くの働く人が報われ、豊かになるためには何が必要かを考えてきました。
 そこで出合ったのが経済統計です。中でも、国民経済計算(SNA:System of National Accounts)は、各国の経済活動を共通の体系で整理し、国際比較できるような枠組みです。このSNAによる経済統計データを基に各国比較することで日本経済の特徴を理解し、私たちの働き方や企業経営に反映することができるのではないかと考えました。
 そして、経済の専門家ではなく実務を担う当事者として、経済統計データを参照し企業経営の指針を探りながら、その成果をメディア等でも共有してきました。

 本書を通じてお伝えしたいのは、「仕事の本質」を理解した上で「人の仕事の価値」を大切にする基本姿勢があらゆる人に必要ではないかという問いかけです。これは、特にこれからのビジネスパーソンにとっては、必須のマインドセットともいえると思います。

 読み進めていただくと、売り手としてのパフォーマンスを上げていくのはもちろん大切なのですが、実は「買い手」としての価値の受け取り方がとても重要であることに気付くはずです。経済活動はお互いに結び付いていますので、あらゆる人が売り手であり、買い手でもあります。
 売り手にリスペクトを払い、その仕事の対価を適切に支払うことが経済全体の良い循環へと結び付き、まわりまわって結局は自分の仕事の価値を上げ、給与が上がり、生活の充実感や満足度を上げていくことにつながるのです。

 本書を読み終わる頃には、これが観念的なものではなく、経済活動の基本構造としてそれぞれの人が腑に落ちる形で理解できるようになるはずです。
 自らが良い生活に向かいながら、日本社会の閉塞感をも打ち破るのが、私たち一人ひとりのちょっとした意識の変化と行動変容であると聞けば、なんだかわくわくしませんか?
 本書を通じてたった数時間でそのエッセンスをインプットできるのですから、この本を読み始めたあなたの投資判断は大成功といえるでしょう!

 私は本書で、統計データというファクトと、労働者・経営者としての実務を通じて体験してきた世界を、照らし合わせて解釈するからこそ共感していただける視点を提供できると確信しています。
 「経済学」に馴染みのない人でも安心して本書を読み進めてください。評論家ではなく当事者の意見だからこそ、きっと、あなたの仕事や生活で役に立つ視点がたくさん見つかるはずです。

【目次】

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