その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は大石繁宏さんの『 Rich Life まだ知らない景色が人生を豊かにする 』。第1章から一部を抜粋してお届けします。
【幸福、人生の意味、それ以外の何か】
高校の卒業を前に、ザ・クラッシュの不朽の名曲の歌詞にある問いに直面した。「とどまるべきか、進むべきか?」。その時答えを出すのは簡単だった。ただ進めばよかった。しかし、年齢を重ねるにつれ、答えるのがだんだん難しくなっていった。この問いは何十年にもわたって、自分の私生活と学術研究のテーマとなった。おそらく読者の皆さんも、自分に何度もこの質問を投げかけてきたことだろう。私の父のように、誠実で、慎重で、ノスタルジックで、安定した生活を優先する人もいれば、感受性が強く、気まぐれで、冒険的な人生を好み、リスクを恐れない人もいるかもしれない。もちろん、引っ越しが少ない人生と多い人生、単調な人生とドラマチックな人生、平穏な人生と試練に満ちた人生、型にはまった人生と型破りな人生──それぞれにトレードオフがある。しかし、どちらがより「良い人生」への近道なのだろうか。
本書ではこの問いに答えるために、心理学における数十年にわたる研究とデータを中心に、文学、映画、哲学からの例で補足しながら、解説していく。しかし、その前に、まず次の質問から始めよう。良い人生とは何か?
作家のドナ・タートが、小説『ゴールドフィンチ』で描こうとしたテーマについて尋ねられた時、彼女はこう答えた。「良い人生とは何か?(中略)自分自身が幸せになること? それは個人的な幸福なのか? それとも、自分の幸せを犠牲にしてでも他人を幸せにすることなのか?」。タートのこの問いは本質を突いている。われわれは、自分の幸せを追求すべきか、それとも、自分のことを後回しにして他人の幸せのために尽くすべきなのか。
まず、個人の幸せとは何だろうか。あなたにとっての幸せとは何か。やりたいことを自由にできることか。仕事上の目標の追求と達成か。ビーチや温泉地への旅行か。僕自身はこれまでの人生で、息子たちがまだ中高生だったにもかかわらず、名門大学で職を得るためにニューヨーク市へ引っ越すなど、いくつもの自己中心的な決断を下してきた。息子たちは友人や故郷から離れたくないと言っていたが、僕は自分の幸せを最大化する道を選んだ。しかし、その結果自分が幸せになったとは思えなかった。
一方、父は地元にとどまることを選んだ。自分の幸せを犠牲にしてでも、母や他の人たちを幸せにしようとしたのだろう。同じ県内の景気のいい都市部に移住していれば、もっとたくさんのお金を稼ぐことができたはずだ。皮肉なことに、何年もたった今、進み続けた僕よりも、とどまった父のほうがより人生に満足しているようだ。まるで中国のことわざのようだが、これはもっと大きな真実を示している。
心理学の研究によると、他者を幸せにしようとすることで自分自身も幸せになるが、自分を幸せにしようとしてもそうなるとは限らない。実際、心理学者は、社会貢献のための寄付、感謝の手紙を書くこと、満足主義(ほどほどに満たされれば幸せ)の考え方が、幸福を促進することを発見している。父が幸せだったのは、あまり欲張らず、地元での日常を大切にし、長年連れ添った妻とともにささやかな出来事に喜びを感じることができたからだろう。
おそらく父の幸せの秘訣は、自分のニーズよりも、母や家族の伝統といった他者のニーズを優先したことにあるのかもしれない。しかし、自己犠牲と道徳的な人生、つまり「意味のある人生」とは、後悔のないものなのだろうか。短期的に見れば、愚かな言動について後悔することが多いが、長期的に見れば、「愛している」と言わなかったことや、学校に戻らなかったことなど、行動しなかったことについて後悔することが多い。
自己犠牲や道徳的な人生を送ることで、チャンスを逃し、「もし○○していたら」といった後悔にさいなまれることはないのだろうか。確かに自己犠牲は称賛に値するが、それを優先しすぎると、自分の本当の気持ちや理想を見失い、自分の人生が「自分のもの」とは感じられなくなってしまう可能性もある。フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルはこれを「不誠実な人生」と呼んだ。その例として、トニ・モリスンの小説『スーラ』に登場するネル・ライトが挙げられる。彼女は妻や母親としての役割を完璧にこなすために、幼少期に憧れた冒険の夢を脇に置いた。
それと対極にあるのが、神経学者で作家でもあるオリヴァー・サックスだ。執筆活動を始める前は、熱狂的なヘルズ・エンジェルス(米国のバイク愛好家団体)のバイク乗りであり、ボディービルダーであり、LSDの常用者だった。大学時代はうつ病に悩まされ、彼が同性愛者であることを知った母親から「生まれてこなければよかった」とまで言われ、精神的にタフな時期もあった。また、20代から35年間にわたりパートナーなしの孤独な時期もあった。しかし、辛い時期があったとはいえ、専門分野の境界を破り、冒険と好奇心に満ちた、経験的にも感情的にも豊かな人生を送った。それはサルトルが認める「本物の人生」である。
(中略)
【本書について】
「幸せ」や「人生の意味」は、自分の人生がどういう状態なのかを示す全体的な評定であるのに対し、「心理的豊かさ」は経験を示すものであり、正確に言えば、どれくらい時間をかけて経験を積み重ねてきたかの総合的判断である。物質的な豊かさがお金で数値化できる(お金が多いほど、物質的に豊かである)のと同じように、心理的な豊かさも経験によって数値化できる。興味深い経験やエピソードがたくさんある人ほど、心理的に豊かな人だといえる。富を蓄積して物質的に豊かになるように、経験を蓄積して心理的に豊かになる。 もし幸福が試合ごとに変化する打率のようなものだとしたら、心理的な豊かさは通算のホームラン数に近い。それは積み重なっていく。
「心理的に豊かな人生」は万人向きではなく、好奇心の強い人のほうが向いている。「幸福な人生」や「意味のある人生」には快適さや安心感が伴うが、「心理的に豊かな人生」にはそれが欠けてしまいがちだ。一方、「幸福」と「意味」のパラドックスは、それらがもたらす自己満足が、後悔や疑念、答えの出ない問いを抱えたままの不完全燃焼の人生に陥る可能性があるということだ。
ありがたいことに、私たちの人生はゼロサムゲームではない。つまり、幸福で意義深く、心理的に豊かな人生を送る人もいる。したがって、心理的な豊かさの研究から得られる教訓は、誰にとっても役に立つ。重要なのは目的地だけでなく、その過程も重要だと認識できていれば、新しい経験や知識を求めることに大きな価値を見いだせるようになる。そうすれば、後悔のない、少なくとも後悔の少ない人生を送れるようになる。
では、あなたはとどまるべきか、それとも進むべきか。とどまる人にとっては、心理的な豊かさが人生に新たな興味と柔軟性をもたらすだろう。そして、進む人たちは、すでに心理的な豊かさへの道を歩み始めている。
「心理的に豊かな人生」に必要なその他の要素は何だろうか。どんな人が心理的に豊かな人生を送っているのか。心理的に豊かな人生とは、幸せな人生や意味のある人生とどう違うのか。経験を直接積む必要があるのか、それとも間接的な経験でもよいのか。心理的に豊かな人生を送るメリットは何か。どうすれば心理的に豊かな人生を送ることができるのか。本書では、これらの疑問について深く掘り下げていく。
【目次】




