その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日はカール・フォン・クラウゼヴィッツ(著)、加藤秀治郎(訳)の『 全訳 戦争論 』。「著者〔クラウゼヴィッツ〕序」をお届けします。
【著者〔クラウゼヴィッツ〕序】
学問的という概念は、体系とか、完成された体系的学説に限られないし、それが主要なものでもない。そのことは今日では明白であり、詳細に論じる必要はない。本書では文章上も、体系は出てこない。本書が提示するのは、完成された体系的学説ではなく、加工材料以外の何ものでもないのである。
学問的な性質は、戦争という現象の本質の究明を試み、諸現象とそれを構成する諸要素の性質との関係を示そうとする点にある。どの点でも論理的な一貫性を追求したが、〔本書では〕その思考の糸があまりにもか細い糸となった場合、その糸を断ち切り、再びこれに相当する経験的な現象に関連させる、という方法を選ぶこととした。植物も茎が伸びすぎると果実を結ばないが、現実世界の技芸でも、あまり理論の枝葉が伸びすぎないよう、刈り込まれねばならない。そして、理論はその土壌たる経験の近くに置かれねばならない。
小麦の穀粒につき、化学的な構成要素を分析して、穂の形を究明しようとするのは明らかに誤りであろう。成長した穂を見たければ、小麦畑に行けばよいのだ。分析と観察は、決して相互に軽視、排除すべきものではなく、相互に補完するものである。理論と経験も、同様である。それゆえ本書の諸命題は、相互に内的な必然性に支えられているのである。いわば、〔諸部分が相互に支え合う、アーチ状の〕小さな丸天井のような構成となっているのだ。諸命題は、戦争での経験か、戦争そのものの理論的概念か、いずれかを外的な支点として確立されており、反論に対しても十分に強化されているのである(※)。
戦争について、聡明で実態に十分通じた体系的な理論を書くのは、おそらく不可能ではあるまい。しかし、これまでの戦争の諸理論は、それとはほど遠いものであった。その非学問的な思考様式はともかく、従来の戦争理論は、相関関係と体系の完全性を求めることに汲々とするあまり、日常茶飯事や、決まり文句や、無駄口にあふれている。その特徴につき正確な印象を得たいのなら、〔諷刺作家〕リヒテンベルクの〔『防火法規要綱』の〕一節を読んでみるとよい。
「ある家屋の火災の際には、何よりも左側の家屋の右壁と、右側の家屋の左壁の防火に努めねばならない。例えば、左側の家屋の左壁を防護しようとするなら、その家屋の右壁が、左壁の右側にあることを想起しなければならない。したがって、火炎もまた左壁の右側と、右壁の右側に迫っているので(我々の想定では、その家屋は火炎の左側にある)、右壁は左壁よりも火炎に近い。それゆえ、その家屋の右壁は、火炎が守られている左壁に達する前に守られないと、罹災する可能性がある。したがって、守られていないものが何か、他のものより早く、燃え落ちるかもしれない。それだから、左壁を放置しても、右壁を防護しなければならないのである。要点をしかと心に留めるには、次のことを想起すればよい。火災の家屋の右側の家屋は左壁を、左側の家屋なら右壁を防護しなければならない、と」
このような空虚な決まり文句で、聡明な読者が戦争理論を遠ざけることのないよう、著者は素材を厳選した。まず、戦争についての長年にわたる考察であり、戦争経験のある聡明な軍人との交流で得たものであり、また、筆者自身の戦争での多くの経験をもとに着想し、確たる金属となったものを素材としたのだ。本書の各章は、外見上、相互にあまりよく関連していないように見えるかもしれないが、内的な相関性に欠けているということはないと思う。おそらく、〔今後〕より優秀な理論家が現れ、本書のような個々の素材にとどまらない書物を著し、不純物のない、確かな金属からなる、渾然一体たる全体像をもたらしてくれることであろう。
【目次】










