その本の「はじめに」には、著者の「伝えたいこと」がギュッと詰め込まれています。この連載では毎日、おすすめ本の「はじめに」と「目次」をご紹介します。今日は政井貴子さん、増島稔さん、SBI金融経済研究所の『 2040年の日本再生 進化系フィジタル経済の衝撃 』です。
【はじめに】
私たちが直面している現代は、後世の歴史家たちから「極めて重要な分岐点」として記録されるに違いありません。
戦後の復興と高度成長を経て、世界有数の経済大国となった日本は、1990年代初頭のバブル崩壊以降、長い調整局面を歩んできました。企業、家計、金融機関は、資産価格の下落や過剰債務の問題に向き合いながらバランスシートの再構築を進め、同時に人口減少や高齢化という構造変化への対応を迫られてきました。また、グローバル化の進展とその後の変容という大きな環境変化の中で、日本経済は長い模索の時間を過ごしてきたと言えるでしょう。
その過程で失われたものは少なくありません。賃金や物価が上がりにくい環境が長く続き、就職氷河期世代を生み、若い世代の将来設計にも影響を与えました。また、世界経済が成長を続ける中で、日本の相対的な購買力や経済的プレゼンスは低下しました。
もっとも、この30年余りを単なる停滞や失敗の歴史として捉えることは適切でないと感じています。私たちは大きな調整コストを払い、多くのものを失いました。しかし同時に、金融システムの安定性、企業部門の健全な財務基盤、世界最大級の対外純資産など、次の時代を支える重要な基盤も築いてきました。それは、日本経済が長い時間をかけて困難な課題と向き合い、変化に適応してきた証でもあります。そうした経験と力は、これからの変化に対応していく上でも大きな強みになるはずです。
象徴的なのは金利環境の変化です。政策金利は2026年6月に1%へと引き上げられ、デフレの入り口ともいえる1995年以来の水準に復しました。しかし、その意味合いは大きく異なります。当時、日本経済はバランスシート調整の入り口にありましたが、現在は長い調整を経て築かれた基盤の上に立っています。この間、企業の資金調達や設備投資、家計の資産選択のあり方も、金利のある世界を前提としたものへと、徐々にではありますが姿を変えつつあります。
一方で、世界に目を向ければ、国際秩序の地経学的な転換とグローバル・サプライチェーンの再編、人工知能(AI)に代表されるデジタル技術の爆発的進化など、巨大なメガトレンドの渦が巻き起こっています。これらの変化は互いに独立したものではなく、絡み合いながら、既存の産業構造や国際秩序のあり方を問い直しつつあります。
私たちは今、長い調整期間の中で培ってきた経験と強みを活かしながら、こうした世界的な変化を成長の機会として取り込むことができる地点に立っています。失われた活力や豊かさを取り戻し、その成果をより幅広い人々が実感できる持続的な成長につなげていく――。今は、そのような未来への挑戦を始める好機とも言えるのではないでしょうか。
こうした激動の時代において、本書が見据えるのは2040年の日本の経済社会です。
今から約15年後の2040年には、団塊ジュニア世代が高齢者となり、現役世代はさらに減少します。人口減少や高齢化への対応はすでに始まっていますが、2040年は、私たちが現在進めている改革や技術革新の成果が試される時代でもあります。社会保障、労働市場、地域社会、インフラなど、日本社会が抱える課題と可能性の双方が、より鮮明に姿を現してくるでしょう。
もっとも、未来はあらかじめ決定されているわけではありません。このままいけばどのような社会が訪れるのかという「予測」以上に重要なのは、どのような社会を創り出したいのか、どう選択し、どう行動するかという、私たちの「意志」です。
本書は、SBI金融経済研究所が2024年6月に立ち上げた「2040年の経済社会研究会(以下、研究会)」における議論と、国内の第一線で活躍する経済学者・専門家たちによる多角的な分析の集大成です。私たちがここで提示するのは、絶望の未来予測ではありません。変化を成長と豊かさにつなげるための再生シナリオです。
これまで研究会で議論を重ねてきた再生シナリオは、人口減少や高齢化といった構造的制約の下にあっても、日本が長い調整期間の中で培ってきた強みを活かし、新たな成長とウェルビーイングを実現する道筋を示すものです。その中核となるのが、「進化系フィジタル(EvolvedPhygital)経済」が拓く新たな経済社会です。そこではAIやロボティクス、金融や経済活動の高度なデジタル化などの革新的な技術が社会の隅々にまで実装され、現実(Physical)世界とデジタル(Digital)空間がこれまで以上に高度に融合することで、新たな価値や需要が創出されます。人口減少が進む社会においても、こうした技術革新は生産性を大きく高め、持続的な経済成長と人々のウェルビーイングが相互に高め合う好循環を生み出す可能性を描いています。
しかし、そのような豊かな未来は、技術革新だけで実現するものではありません。技術の果実を持続的な成長とウェルビーイングへと結び付けるためには、それを支える制度や社会システムの変革が不可欠です。研究会では、日本経済の再生に向けた鍵として、「攻め」と「守り」の一体改革を提唱しています。具体的には、人材が成長分野へ円滑に移動できる「柔軟な労働市場」の構築、イノベーションを支えるリスクマネーを家計から直接呼び込む「デジタル金融革命」、そして産業基盤の生命線であり、製造業復活の土台となる「安価で安定的な電力」の供給という三つのブレークスルーです。さらに、こうした痛みを伴う改革や、AIをはじめとする技術革新によって産業や業界の境界が薄れ、企業や働き方そのものが大きく変化していく中、人々が安心して新たな挑戦へ踏み出せる社会を実現するため、「給付付き税額控除」をはじめとするセーフティーネットの整備も、「攻め」の改革と並ぶ「守り」の基盤として不可欠であると考えています。
こうした問題意識は、SBIグループが創業以来、金融を通じた新たな価値創造と社会課題の解決に挑戦してきた歩みとも軌を一にするものです。本書は以上のような研究会の提言をわかりやすくまとめるとともに、日本が直面するさまざまな経済社会の課題と可能性について、多角的な視点から考察した論考を収録しています。その特徴は、マクロ経済・税制・社会保障、金融市場・金融政策の分析にとどまらず、イノベーション戦略、経済安全保障、GX(グリーントランスフォーメーション)の現実的な軌道修正、食料安全保障を見据えた農政改革、さらには東京一極集中と地方のあり方(都市のコンパクト化やシェアリングエコノミー)に至るまで、幅広いテーマを一貫した問題意識の下で統合的に論じている点にあります。
分断が進む世界の中で、日本はいかにして自律性を保ち、国際社会における不可欠性を高めていくのでしょうか。そして、限られた資源の中で、どのような国家戦略を描き、地域社会の持続可能性を確保していくのでしょうか。
本書では、一つの立場や価値観に依拠するのではなく、各分野のスペシャリストたちの知見を結集し、2040年の日本が直面する課題と可能性を多面的に考察しています。時に厳しい現状認識を示しながらも、未来を悲観や楽観だけで語るのではなく、私たちがどのような選択を行い、どのような経済社会を築いていくべきかについて、具体的な論点と方向性を提示することを目指しています。
2040年という未来は、決して遠い彼方の出来事ではありません。それは、今を生きる私たちが既に直面している課題の延長線上にあり、私たち一人ひとりが今日積み重ねる選択や行動が、次世代を担う子どもたちが生きる2040年の社会を形づくっていきます。未来を考えることは、今この瞬間の選択を問うことでもあります。
本書に収められた論考は、未来への単なる「悲観」や、根拠なき「楽観」を語るものではありません。直面する厳しい現実を冷静に見つめながらも、経済学の知見と確かなデータに基づき、私たちがどのような「意志」を持って変革に挑むべきか、その方向性を示すものです。
本書の出版にあたり、多忙な研究・実務の合間を縫って、それぞれの専門領域から示唆に富む論考をご寄稿くださった執筆者の先生方に、心より感謝申し上げます。
また、「2040年の経済社会研究会」において、大局的な視点から活発な議論を重ね、本書の基盤となる提言の取りまとめにご尽力いただいた研究会メンバーの皆様、そして編集・出版に携わってくださった関係者の皆様にも、厚く御礼申し上げます。
本書が、2040年の経済社会について考え、政策立案や企業経営、研究の現場をはじめ、それぞれの立場で新たな議論と挑戦を進めるための一助となれば幸いです。
2026年9月
SBI金融経済研究所
理事長 政井 貴子
【目次】






